おれってビッグ!?おれってグレイト!?
 H.B.ハリッキー伝説 




1941−1989




本名はトビー・ハリッキー。1941年、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。
13人兄弟の11男として、自動車解体業を営む貧乏な家庭に生まれ育った彼
は、「ビッグ」で「グレイト」な人物になることを夢見て、わずか15歳のと
きに独立を決意。単身、カリフォルニア州に移り住む。幼い時分から車に慣れ
親しんできたハリッキーは、15歳のときに乗り回していた愛車、フルチュー
ンをほどこした56年型ビュイックで、西海岸全域で開催されていたカー・レ
ースやモーターショーに参加。そのたぐいまれなる才能をいかんなく発揮して
は各地で数々の賞を得る。こうして若くして大金を手に入れたハリッキーは、
17歳のときになんと豪邸を購入。さらには不動産業や自動車解体業等々、さ
まざまな事業も始めるが、それらすべてに成功を収め、たちまち大金持ちに成
り上がる。またその一方で、スタントマンやハリウッド映画のアクション監督
としても大活躍する。そして1970年、友人から聞いた話をもとにして、映
画『バニシングin60”』の脚本を書き始め、製作に着手する。構想3年、
製作期間1年、製作費用約4億5千万円をかけて完成された本作は、74年に
公開されるやいなや、アメリカの5都市だけで一か月に5万ドルの興収を記録
して、世界各国でも大ヒットを飛ばした。

こうしてハリウッド映画界においても、そのビッグネームを轟かせ、一夜のう
ちにアメリカン・ドリームを実現させてしまった男H.B.ハリッキー。19
82年には、彼の自伝ともいえる内容の次作『ジャンクマン』を、そして翌8
3年には『バニシングin60” デッドライン』を発表。その後もさまざま
な映画のスタッフとして参加し活躍をするが、1989年8月20日、自身の
新作のスタント場面の撮影中に事故を起こして死亡してしまう。
まだ48歳の若さだった・・・





●余談
ハリッキーは、あの 『愛欲のえじき』(70)に製作協力者として、その名前
がクレジットされている。また同作品にはドライバー役で出演もしているらし
いが、一体どこに出ていたんだろうか!?




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