CRITICISM 真面目な映画批評
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少々固い文章ですが御一読下さい。
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人間はエデンの園から追放され、その追放地で自分達の社会を作り上げた。では、その人間社会から追放された者が彷徨う世界は一体何と呼べるだろうか。エデンの園の外に存在する人間社会のさらに外に追放されるということは、逆説的にエデンの園に回帰することになるのではないか。

小野不由美の「屍鬼」という小説に、こんなことが書かれていた。この小説、基本的には吸血鬼を題材としたホラーもの。ところが、神に見放された人間・楽園を追放された人間、というテーマが物語の根幹にしつこくへばり付いている重々しい話なのである。

追放された人間、すなわちそれがこの小説の主人公・静信という僧侶なのだが、彼は吸血鬼と人間の共存を求めたせいで楽園から追放され、さらに人間社会からも追放される。それでも彼は何もあがくことなく唯ひっそりと都会の闇の中で生き続けていく。その時彼が思うのが、冒頭に述べたような一種屁理屈じみた考えである。自分のいる場所はエデンなのだと自分を誤魔化すのである。

この自己暗示的な考え方が、本作「π」の主人公マックスからも臭ってくるような気がしてならない。全ての現象を司る神の法則を見つけようと奔走するマックスが、目標を達することも出来ず、あげくに周囲の社会とも隔絶してしまった後に浮かべる力無い微笑みが、神からも人間社会からも見放された人間の諦めのみならず、無理矢理自分を言いくるめて「これでいいんだ」と納得しようとする変な開き直りを含んでいるように思えてしまう。

そんなわけで私はこの二つの作品が類似していると感じたのだが、問題は「屍鬼」の静信も「π」のマックスも、ともに理想を追い求めた結果敗北し追放されているという点にある。

理想主義者の敗北を描いたこれまでの小説や映画は、殆どが自滅の結末を築いてきた。しかし「屍鬼」や「π」では、理想を求めた者が単に敗北を認めるだけではなく、その事実を自己流に曲解して安寧を得たと思い込むことで、自滅の構図から脱却しているのである。

このような自滅回避の方法は確かに新しいベクトルに向かっている点で評価されるべきだとは思うが、同時に何だか少し寂しいような気がする。変に自己完結した理屈を持ち込んで満足する幕引きよりも、どうせならより美しい自滅を選んで欲しいと願ってしまう・・・のは私だけだろうか。

1997年・米・85分

STAFF

監督:ダーレン・アロノフスキー

CAST

ショーン・ガレット
マーク・マーゴリス
ルイス・ソロモン

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