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ユメ
竜 ピン太

 「今日こそは早く寝なさいよー。」
いつも遅くまでテレビを見ているせいか、マミーの寝る直前のこの一言はもはや日常となっている。しかし、今日に限って早く眠れない理由があった。
—そう、実は明日からテストが始まるのだ。あれこれいろいろやらなければならないことがあるのに、さっぱり手付かずのままついに前日になってしまった。いまさら無駄だと知りつつも目の前の教科書と格闘していた。が、予習をしていないときに限って指名されるのと同じように、こんなときに限って眠くなる。
「まあぁーいっかー。」妥協してしまった。
—朝が来た。もうすでにあきらめムードが漂っていた。仮病を使って学校を休もうかとも思ったが、そのような嘘がマミーに通用するはずもないことは阪神が巨人に勝ち越せないのと同じくらい明らかだった。嫌々ながら自転車にまたがるとなぜか久米宏の顔が頭に浮かんだ。
「あー。」ため息以外の言葉は考えつかなかった。
 この寒さの中自転車で二十分もかけて学校に行くのだから、快適なはずはない。着いたときには手がダイヤモンドのように固くなっていた。しかし、そんなことは日常茶飯事。それよりも授業開始五分前なのにもかかわらず学校の中が魂が抜けたようにひっそりしていた。と、向こうから何やら怪しい人影、見るとあの悪趣味そうな出で立ち、微妙にかっこいい寝癖、そして早歩き、そう、あれはHではないか。
「何やってんの。みんなもう行ってるよ!」
「行ってるって…どこに?」
「何寝ぼけたこと言ってるんだ。映画館に決まってんだろう。」
「映画館って…今日、テストじゃ…?」
「もうおまえにかまっている暇はない。」
そう言ってHはさっさと行ってしまった。学校も開いていないようだし、ついていくしかなかった。Hは終始無言でひたすら早歩き、それでも自転車の僕にとっては遅い。学校に誰もいなかったのにも驚いたが、誰もいない学校にHだけがいたのはさらに驚くべきことであった。
「なんでおまえだけ学校にいたんだよ。」
「……。」
Hは相変わらず無口。いつもはうるさいのに。そうこうしているうちに映画館に着いた。この映画館と言えば今「ケイゾク」って言うすっげーおもしろい映画が上映されているって聞いていたけど、そんな雰囲気でもない。Hのあとについて恐る恐る中に入っていくと、何と驚くなかれ、みんないるではないか。自分のクラスメイトしかいないことには違和感を覚えたが、とにかくほっとしたことには違いない。と、なぜかチャイムが鳴った。みな一斉に席に着く。仕方がなく僕も前のほうの席に腰を下ろした。今から何が始まるんだろう。そのとき、誰かが近づいてくる。なんとそこにはクラス一チャーミングでインテリジェントであると皆が認めているお嬢さんのMがいるではないか。目線を合わせないようにしている僕の隣の席に彼女のほうから座ってきた。その瞬間、館内がざわつき出した。それもそのはずである。今まで数多くのつわものたちがアタックしてきたのをまるでハエを叩き落とすかのようにかわしてきたのにどうして自分のような駄目男に……。と、また久米宏の顔が脳裏を過った。とにかく僕は南アルプスの天然水に浸っているような気分だった。そのとき彼女はなぜか財布を取り出した。お金の勘定をし出したのである。
「なにしてんの?」
「実はさぁー、読みたいマンガがあって買いたいんだけど、ほら、CDも買いたいでしょう。だからお小遣いが足りないんだよね。」
「エッ—!」
心の叫びが思わず声になった。
このしゃべり方は明らかにMではなかった。しかし、聞き慣れた声ではあった。誰だっけ?すると、“M”はこちらを振り向きながら、
「ちょっと、お金貸してくんないかなぁー。」
その瞬間、僕は凍った。なんとHの顔だったのである。僕はのけぞった、蟹股のままニ、三歩あとずさりした。Hの顔は言うまでもなくMの体には不似合いであったが、そんなことはどうでも良かった。もはや何も考えられない心理状態であった。と、そのとき、自分の足もとが垂直抗力を感じなくなっていたのに気付いた。僕の体は一瞬止まった。しかし次の瞬間、自分の体はもうそこにはなかった。どこまで落ちていくのか見当も付かなかった。自分は叫び声をあげているつもりであったが、認識することはできなかった。まさしく無の状態であった。
「あっ。」
僕はふと目を覚ました。全身汗だらけなのに気付いた。教科書も汗がしみ込んでふやけていた。
「夢かぁー。」
時計に目をやったが二本の針が百八十度をなしていたということ以外は何も読み取れなかった。しかし、そとから差し込んでくる明かりで時を知ることができた。
—今度こそ朝が来た。いつもと変わらない朝が来た。ふとテストのことを思い出した。が、「ヤバイ」という気は不思議と起こらなかった。何故だかはっきり説明できないが昨日の夢がからんでいることは明らかであった。あれはただの夢ではなかった。突然笑いたくなった。そして笑った。しばらく笑っていた。
「まあ、なんとかなるか。」
僕は勢いよく立ち上がった。また少し身長が伸びたような気がした。




|あとがき|  拝啓.皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。このお話は私が実際に見た夢に基づいたフィクションですが、登場人物はノンフィクションであります。その原点はただ今メガヒット上映中の映画ケイゾクに見出せる気がいたします。 ぜひ一度ご覧あれ。

ユメの挿絵




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