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トラブル・リリーフ-ピース・ガード
TR-PG
慶野 響

 暗く静かな部屋。部屋を支配しているまとわりつくような闇が、彼の心身にも溶け込んでいる。まるで闇に縫い付けられたかのように、彼は微動だにしていなかった。
 そんな部屋にも、朝はやって来る。
 闇は、突如現れた侵入者に抗するすべもなく押しやられていく。容赦なく射し込む光に、彼はまぶしそうに目を細めた。
「……朝、か——」
「——朝だな——」
「——朝だろう」
 彼は独りごち、気だるげに身を起こした。身体に残る闇を陽光が払拭していくような感覚を覚えながら、立ち上がって窓を開け放ち、薄汚れたコーヒーメーカーを手に取る。窓から流れ込んでくる初夏の風が心地よい。
 赤みがかった黒髪の男だ。中肉中背で砂色の瞳、とさして珍しくもない市民の特徴の中で、この地域ではほとんど見かけないその髪の色だけが異彩を放っていた。とはいえ、常識を排して純粋に見たならば、その髪は他の部分とよく調和しており、決して変ではなかった。
 やがてどろりとした濃いコーヒーがカップの中で湯気を立て始める。彼はそれを片手に、机の上の質素な小箱に目を向けた。
「今日も頼むぜ、相棒」
 小さく呟いてカップを口につける。喉を流れ落ちるコーヒーの感触を感じながら、彼はコーヒーの苦さに顔をしかめた。

「おほひほ、はひはっへたんは」
「口に物入れてしゃべるな、分かんねぇよ」
 パンをほおばりながら非難してくる同僚をちらりと見て、彼は答えた。そのまま同僚の座っているデスクの向かい側のデスクに備え付けられた椅子を引っ張り出し、腰を下ろす。
 金髪碧眼の、絵に描いたような美青年。ウェーブのかかったつやのよい髪は肩の辺りまで伸ばされており、手入れには相当時間をかけているだろうとうかがえる。——が、彼の掛けている丸眼鏡がその品の良さを台無しにしていた。カラーレンズで、光の角度によってさまざまな色に変わるようなのだが、どの色もけばけばしく、何となく下品な雰囲気を漂わせている。
 その同僚は無言でパンを嚥下し、言い直してきた。
「だから、何で遅れたんだって言ってるんだよ」
「……別に。ちょいと野暮用があったんだよ」
 憮然とした表情で言う。
「それよりハルス、あれは届いてんのか?」
 同僚——ハルスは、にやりと笑った。笑い方もあまり上品とはいえない。
「やっぱり気になるか、シルノー」
「まあな。あれの開発にゃ俺も多少関わってるしな。で、いつだ?」
「?」
「するんだろ? テスト」
「ああ」
「じゃあ俺が——」
「ダーメ」
 意気込むシルノーに、ハルスは意地悪く答える。
「お前、遅刻したろ。テストは俺がやる。定刻どおーり出勤してきた俺が、な」
「何言ってんだ。どうせ出動命令が出ない限り、俺たちの仕事なんてないようなもんだろ」
「平時のデスクワークだって疎かにしちゃいかんぜ、シルノーくん。それとも、遅刻したこと、監察部の奴らに言ってやろうか?」
 シルノーはぐっと言葉に詰まった。憎々しげにハルスをにらむ。
「くっそハルス、覚えとけよ」
 ハルスは素知らぬ顔で手元の書類の整理を再開した。
(しゃーねぇか……)
 シルノーはため息をついて、自分も仕事をしようと棚に納められた羊皮紙の束に手をかける。
 が、彼の手がその書類を取り出すことはなかった。
『——出動命令。実動部一斑から三班は至急ブリーフィング室に集合せよ。繰り返す。出動命令——』
 鳴り響く出動命令とともに、シルノーたちを含む十数人が立ち上がっていた。
「行くぜ、ハルス」
 シルノーは満足げな笑みを浮かべて言った。
「あれは実戦テストになるな。当然、俺も使わせてもらうぜ」
「——分かってるよ」
 今度はハルスがため息をつく番だった。

 TR-PG——トラブル・リリーフ-ピース・ガード。シルノーたちが所属する組織の名で、通常の騎士や戦士では、より正確に言えば普通の人間では太刀打ちできない敵に唯一対抗する手段を持った少数精鋭集団だ。どこの王国にも属さず、ただ人知を越えた敵を倒し、世界を乱させないために存在する組織である。
 組織はいくつかの部署から構成され、それぞれ役割が決まっている。シルノーたちは実動部——実際に敵と戦う部隊に属する。また、部署は地域ごとに存在し、各地域の支部の実動部は、内部でさらに五程度の班に分かれている。一班は五〜六人を基本とし、能力的に総合バランスが取れるように組まれるのが普通である。
 シルノーたちの属するファンデサウン実動部一斑も、それに倣って五人の構成だった。
「——おい、シルノー!」
 ふと気付くと、ハルスが話しかけてきている。
「あ? ああ、悪い悪い。ちょっと考えごとしててな。何だ?」
「ったく。お前、さっきからぼーっとしててよ、ちゃんと部長の話聞いてたか?」
 ハルスが言っているのは、実動部を統括する立場にある、コムダウル部長のことだ。さきほど、ブリーフィング室にて今回の作戦について説明があった。
「ああ。大丈夫だ」
「ならいいけどよ。お前、一応一斑のリーダーなんだからな。お前が失敗すると俺にまでめーわくがかかる。ちゃんとやれよ!」
「分かってるって」
 そう言うとシルノーはまたあさっての方向を見つめて考えにふけり出した。ハルスは口を開きかけたが、すぐにやれやれというように肩をすくめ、そこを離れていった。
 やがて日も暮れ、作戦開始時刻が迫る。さすがにシルノーも考えるのを止め、手の中の『武器』を握り締めて気を引き締めた。例の質素な小箱の中身である。
 作戦といっても、大したものではない。コムダウルの話によると、ファンデサウンから数キロ離れた街で、一週間ほど前から夜な夜な人が惨殺死体になっているという。一晩に必ず一人で、老若男女の別はなく、被害者の共通項も見つからない。『異敵』のしわざだと断定した情報部の話をもとに、シルノーたちが駆り出された。一斑から三班は、独自の判断で『異敵』を発見し、これを退治せよ——これが作戦のすべてである。ようするに、勝手にやれということだ。
「さて——」
 他の班がどういう手を使うつもりかは知らないが、シルノーたち一班はもっとも手っ取り早い方法を取ることにしていた。いつどこに出てくるか分からない敵を悠長に待っている気は毛頭ない。
「始めるか」
 シルノーは『武器』を持った右手を左肩の前に持っていき、『判定呪』を唱えた。
「——ジーエム・ピーエル・ピーシー・ガープス
   ガープス・ピーシー・ピーエル・ジーエム
   我と我が身は 冀う 貴方が正しき方法を示されんことを
   我と我が心 注ぎ込まん 神具が我に微笑むを望んで」
 小さいが朗々としたシルノーの声に呼応するように、手の中の『武器』——神具が、それまでの球形の形から変形して分裂していくのが分かる。
「我 挑むは これ 十四なり——〈異敵感知〉!」
 『判定呪』を完成させるのと同時にシルノーが大きく振りかぶって神具を空中に投げる。
 ——それは、三つの立方体だった。それぞれ、六つの面に点が一つから六つまでつけられている。
 夜空に舞った三つの立方体を乗せるように、空中に半透明の板が出現する。立方体はその上に落下し、ころころと音を立てて転がり、——止まった。
 上を向いている面につけられている点の数を足すと、十一だ。
 シルノーはほっと息を吐いた。
(よし、成功だ——)
 と思うと同時に、彼のイメージの中にはっきりと『異敵』の存在が感じられた。鮮明で、どうやら相手は何も自分の存在を隠蔽する手段を持ち合わせていないらしい。
 神具はすぐに消え失せ、次の瞬間には彼の手の中に戻っていた。
 落ち着いて『異敵』の位置を特定する。
(——っておい)
 すぐ後ろだ!
 考える前に体が動いていた。大きく前方に跳び、草むらに飛び込む。すぐに体勢を立て直し、『異敵』に身構える。
 そいつは、ふつうの人間より一回りも二回りも大きい図体をしていた。膨らんだ胴体に比べて腕と足は小さい。頭はなく、本来それがあるべき部分には大きなさそりの尻尾のようなものが生えている。今はそれは振り下ろされた状態になっていた。さっきとっさに前に跳んでいなければ、今ごろシルノーの身体は二つに泣き別れていただろう。
「まさか、そっちから来てくれるとはな——」
 シルノーは再び右手を左肩の前に持っていく。
「モテる男はつらいぜっ!」
 再び振り下ろされてきた頭尻尾を横っ飛びにかわし、即座に『判定呪』を唱える。
「——ジーエム・ピーエル・ピーシー・ガープス
   我 挑むは これ 十六 否 十二なり——〈火球直射〉略式!」
 空中に投げられた神具が再び半透明の板に乗る。点の数は——十二!
「ぎりぎりだがっ、もらっとけ!」
 半透明の板と神具が消え、代わりに現れたサッカーボール大の火球が『異敵』を襲う。
 ——ドォッ
 火球が『異敵』の腹を貫く!
 しかし、『異敵』は腹にぽっかり開いた空洞など気にしたふうもなく、三度頭尻尾を振り下ろす。
「しつこい奴は嫌われるぜっ!」
 そう叫びつつ今度は後退してかわす。しかし、内心では敵の生命力の高さに舌を巻いていた。
(ちっ、まだか——)
 近くにいるはずの金髪の同僚の姿を思い浮かべて毒づく。さすがに、この敵相手に一人では分が悪そうだ。破壊された石畳を見ても簡単に予測がつくが、敵の攻撃を食らったら一撃であの世行きだ。しかし、いつまでもよけられるとは限らない。
 すぐに追いついてきた『異敵』が攻撃を繰り出してくる。よけようと足に力を入れるが、——足が壊れた石畳に挟まっている!
「しまっ——」
(ヘマった!)
 次の瞬間には、敵の頭尻尾がシルノーを引き裂いて——
 ——ゴゥッ
 引き裂いてしまう前に、突如飛来した光球が敵を横っ面から吹き飛ばす。しかしさほど効いてはいないらしく数歩たたらを踏んでから立ち止まる。
 その間に、シルノーは石畳から抜け出していた。光球が飛んできた方に視線を向ける。
「ハルス!」
「大丈夫か!? まさかこんな近くにいたとは——」
 ハルスはTR-PG支給の人工神具・光滅銃を持っていた。シルノーの危機と見て発砲したのだろう。
 シルノーはハルスに駆け寄った。
「人工神具の単独での乱用はするなよ——壊れるのはお前の身体なんだからな!」
「大丈夫だ。……俺の神具は直接攻撃型じゃないからな。それより、例のモンだ」
 ハルスが懐から取り出した小瓶を放ってよこす。ラベルも貼られていない透明な小瓶の中には真紅の粉が詰まっていた。
「ありがとよ!」
 シルノーは『異敵』に向き直った。
「化け物——あの世へのみやげに教えてやるぜ」
 右手を左肩の前に持っていく。
「神具は一人一人独自のもの。俺の神具は、こいつ——」
 手の中の神具を握り締める。
「〝大いなる主〟——『大主(ダイス)』だ」
 こちらに意外に速い速度で向かってくる『異敵』に向かって、シルノーは『判定呪』を唱えた。
「——ジーエム・ピーエル・ピーシー・ガープス
   ガープス・ピーシー・ピーエル・ジーエム
   我と我が身は 冀う 貴方が正しき方法を示されんことを
   我と我が心 注ぎ込まん 神具が我に微笑むを望んで」
 空いている左手と口で小瓶の口を開け、空中に向かって投げる。真紅の粉が舞う。
「我 挑むは これ 十六なり——〈火球直射〉!」
 点の合計は七。現れ出た火球が直進し、『異敵』を襲う——
 真紅の粉が巻かれた辺りを通った時、火球の大きさは何倍にも膨れ上がった。炎の燃え盛る勢いも増したように思える。
 『異敵』に衝突した火球は、激しく爆発した。辺りに轟音と閃光を撒き散らし、爆風が周辺を蹂躙する。
(——どうだ?)
 これでだめなら、ちとキビシイな——
 そう思いながら見ていると、閃光の収まったあとに、燃え盛る炎の柱が目に入った。その中に黒ずんだ物体が見えたが、やがて崩れ落ちて消えた。『異敵』は最後まで悲鳴すら上げなかった。
「——終わったみたいだな」
 シルノーはほっと一息ついて、ハルスに笑いかけた。
 が、そのハルスは硬直していた。
「おい、どうした? 倒したんだぜ? 嬉しくないのか?」
 ハルスは口をパクパクさせていたが、すぐに怒鳴った。
「バカ! あれ見ろよ!」
「?」
 シルノーは怪訝そうに眉根を寄せながら、振り向く——
 家が燃えていた。
「げぇっ」
「ばっきゃろ、周辺の住民に被害出してどーすんだ! 早く消せー!」
 そうして、彼らは休む間もなく消火活動に精を出すことになったのであった。

「全壊二軒、半壊五軒、死傷者ゼロ、重傷者二名、軽傷者多数——」
 被害を読み上げるコムダウルの前で、シルノーとハルスは冷や汗をかきながら直立していた。
「——いつもながら建物の被害のわりに人間の被害は少ねぇな?  器用なもんだ。ぜひ今度やり方を教えてもらいたいね」
 唇の端を引きつらせながら、コムダウル。
「部長!」
 ハルスが声を上げる。
「俺はむしろ被害者っすよ やったのはシルノーなのに、俺まで始末書書かされて——」
「あっ、お前、裏切るか」
「うるさい、裏切るも何も俺は悪くない!」
「あれ渡したのお前だろうが! お前も同罪!」
「ふざけんな、さんざん試したがってたのはどこのどいつだ! だいたい威力強すぎなんだよ、あの粉!」
「強けりゃ強いほどいいだろうが! 副作用が強いならそれなりの対策を講じりゃいいんだ」
「そりゃバカの考え方だ! いいか、とにかく俺は悪くな——」
「いい加減にしやがれ!」
 言い争う二人をコムダウルが一喝する。
「とにかくだ。今回の件についちゃ、これ以上は追求しねぇ。以後、気をつけるように」
 二人の顔がぱあっと明るくなる。
「部長——!」
「いやー、前から部長はいい上司だと思ってましたよ!」
「ニクイねコノ! いよっ、大統領!」
「そうそう、それと——」
 口々にゴマをする二人に向かって、コムダウルは冷たく宣告した。
「被害の弁償金については、お前らの給料からさっ引いとくからな。——以上だ」
『そ、そんなぁ〜〜〜!!!』
 二人は仲良く一緒に絶叫する。
 開け放たれた窓からは、心地よい初夏の風が吹いていた。



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