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映画発掘、第七回 究極の続編映画、その名はキャプテン・スーパーマーケット
柳下 徒是有(どぜう)

続編映画は、一作目よりも不利な状況に置かれる宿命にある。
商業的には他の新作よりは優位な位置に立ちやすいだろうが、しかし不利になる条件 はそれ以上に多い。
例えば、人物や世界観等に前作の束縛がある。これを破ると前作の支持者の反感を買 うことになる。だが、前作を見た観客を満足させるだけでは、やがて作品自体が収縮 していく。前作の束縛を破らなければ、再び新たな感動を呼び起こすのは難しいので ある。
矛盾した性質を上手くまとめあげる絶妙なバランス感が必要とされるのだが、当然の 事ながらバランス感だけではまだ不足である。
第一作が、製作者の熱意と独創的な発想で、思わぬヒットを飛ばした後急遽製作が決 定したならなおさらである。

正統派のシリーズ映画としては、『ターミネーター』と『バック・トゥ・ザ・フュー チャー』が挙げられる。

『ターミネーター2』は、予算の関係上『1』ではできなかったことを徹底的におこ なった。
車やビルの爆発、警官隊との銃撃シーン等で大作映画へのパワーアップを十分に堪能 できる。
それだけでなく、美少年、女戦士(強いおっ母さん)という客の心をがっちり掴む要 素を準備し、さらに救世主側と妨害者側のサイボーグに対照的な外見である等、俳優 のそろえかたも実に見事である。
そして当時の最新技術も動員。
CGによる、液体金属サイボーグには誰もが驚いたことであろう。
演出も、サイボーグの特種能力を完璧に生かしきっており、ハリウッドの大作映画の 中でも傑出した出来である。
これこそ正統派直球勝負シリーズモノの代表である。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は正統派変化球シリーズともいえる。
前に述べた絶妙なバランス感覚を具えるのみならず、前作を束縛ではなく、今ある作 品をさらに面白くする為の足掛かりとしているような映画であろうか。
1〜3まで、物語のパターンは全く同じ、1985年の喫茶店でも1955年の喫茶 店でも2015年の未来の喫茶店でも1885年の西部劇の酒場でも、全ての場所( っーか時代)で同じ顔の悪役が、同じ台詞を吐き、同じ負け方をする。
普通なら先が読めてしまうのだが、シリーズの度に違う形の脅威が主人公に襲いかか り(でも原因は全て同じ顔の人による)、安心できるお約束と手に汗握る場面のメリ ハリが効いていて、実に面白い。
じつによく内容が練ってある。
『2』は、『1』と密接に重なりあっており、『1』の舞台裏で起きたことが『2』 で重要な役割をはたしている。
『3』のクライマックスのシーンは、『2』の中で伏線が張られている。だがなかな か気付くまい。
全部の作品が、密接に組み合って出来上がっていて、全てが同じパターンの繰り返し なのに、それでも実際に見るまで全貌がわからない。
ハラハラするのに安心できて、わかっているのに先が読めない、これこそ正当派変化 球勝負シリーズモノの代表である。

だが、まれに世の中には何処かネジが外れてしまった続編というものがある。製作者 の苦闘の現れであろう。多分。

例えば、『ゴジラ』では一時期ゴジラが口から吐く放射能火炎で、空を飛んでいたこ とがあった。また、『おそ松くん』のイヤミの物まねをするシーンまであった。かの 有名な「シェー!」である。
このゴジラ、あまりうけはよろしくはないようだが。

そして特に顕著な例は、『ロボコップ』である。
『ロボコップ』では、人間と機械のはざまで苦しむサイボーグや、手足や頸動脈の切 断等、相当な暴力描写も取り入れた、シリアスなヒーローものだった。二作目では、 この路線をほぼ完全になぞろうとしていた。さらに銃撃シーンや、ロボコップの自己 確認の演出に力を込めようとしたが、最後の場面の台詞が生きているのはやはり1で ある。
なお、『ロボコップ』シリーズにおいて、風刺を込めたCMや、挿入される架空のニュ ース、ラストの自己確認の台詞はパターンとなっている。
が、『ロボコップ3』は・・・。
扱いに困る人もいるだろう。
忍者とロボコップがカタナと銃の戦いを繰り広げ、背中にジェットを積んでロボコッ プが空を飛び(合成がなんだかアレです)、忍者ロボには無意味に自爆用核爆弾が搭 載されている。なんじゃこりゃ。
これだけ馬鹿やっていながら、ラストに自己確認の台詞をなんとか言わせようとする あたりに、尋常でない馬鹿っぷりが垣間見える。

その後、TVシリーズ『ロボコップ・新たなる挑戦』『ロボコップ・最高機密作戦』も 作られた。『3』が許されるのなら、これでも大丈夫と思ったのか、視聴者に挑戦し ている出来であった。やる気のないCG背景、映画に引き続いて登場する悪役はお笑い 担当と化しており、格段に作戦が小物になっている(人間を狂暴化させる薬品を貯水 地に放り込むベタなストーリー、とか、超小型ロボを開発させて町中を大混乱させて おきながらやることは銀行強盗、とか。もう普通の特撮番組の内容)。
テレビ版なので、まあタダで見ることができたと考えれば、腹も立つまい。
許せないことは、シリアスとイロモノの比率が2対1だったのが、2対3に逆転され たこと。『ロボコップ』シリーズの中では、まっとうな作品の数の方が少なくなって しまった。

『1』を見てすぐにテレビシリーズを見ると、ロボコップの世界に絶望しそうである 。
封印すべきだ。

で、『キャプテン・スーパーマーケット』
実はこれは続編なのである。
監督は、『死霊のはらわた』のサム・ライミ氏。
で、主人公の名前はアッシュ。原題は『EVIL DEAD3』。ホラーもしくはスプラッター に詳しい方ならお気付きかもしれないが、これは要するに『死霊のはらわた3』。れ っきとした続編なのだ。

では、なぜ有名な『はらわた』シリーズの名を使わず、新たな題名をつけたのか。お そらく、第一作を見て、同じノリを期待して見に来た観客が、怒り出す可能性を考慮 したのではなかろうか。

誤解して欲しくないのだが、『キャプテン・スーパーマーケット』と『死霊のはらわ た』の関係は、『ロボコップ』と『ロボコップ・新たなる挑戦』の関係とは全く異な っている。
つまり『キャプテン・スーパーマーケット』こと『EVIL DEAD3』は、第一作と比べて 観客を激怒されるほどつまらなくなった、とか、パワーダウンした、とか、子供騙し (子供向け、ではない)になっているとかいうことはないのだ。

『死霊のはらわた』とはどんな映画か説明したい。
主人公アッシュは、友人達と五人で森の中の廃屋に泊まることになった。そこで彼ら は呪われた書物『死者の書』を発見する。封印されていた悪霊を復活させてしまい、 次々と悪霊に憑かれていく友人達。悪霊に取り憑かれた者は、人肉を求めて暴れまわ る不死身の怪物になってしまうのだ。彼らの動きを止める方法はただ一つ。動けない 程細かい肉片に刻むのみ。そこでアッシュはチェーンソーを手にし、人喰いモンスタ ーをぶった切って、ぶった切って、ぶった切ってぶったぎってぶったぎってぶったぎ って、まだまだぶったぎってぶったぎってぶったぎって・・・。
と、まあこのようにサービス精神溢れる仏陀義理映画である。

では、『キャプテン・スーパーマーケット』はどんな映画か。
ジャンルは、ホラーコメディ。耳なれない人もいるであろう、他に主な映画として、 『ゴーストバスターズ』『アダムス・ファミリー』等がこのジャンルに分類される。 前作の血まみれ映画を期待した人は、間違いなくがっかりするだろう。

だが、あえて言おう。これは究極の続編である。

何故か。
全く違う映画のようでありながら、やはりシリーズに連綿とつながる何かを、外見上 のつながりではないものを、持っているのである。

それは何か。
どちらも恐ろしくネジが外れた映画、ということだ。
一作目の段階でシリーズものの終盤に、ごくまれに誕生する壊れた映画、しかも面白 いもの、と同じ形態をとっているのである。
並の作家では続編等作れまい。
そして続編では、元々暴走している作品のネジをさらに外すという不可能に挑戦し、 見事に成功しているのである。
したがって、『キャプテン・スーパーマーケット』には、今までのホラーコメディに はないぶっ飛んだ異様な力が込められている。

日本ではタイトルからしてぶっ飛んでますね。粗筋の推測は難しいでしょうから説明 すると、
主人公の名前はアッシュ。彼はスーパーSマートの家庭用品売り場の主任である。彼は 森の中の小屋で、呪われた書物『死者の書』に封印されていた悪魔を解放してしまう 。悪魔の力で中世前期のイギリスに送られてしまい、そこでアーサー王に出会う。国 の賢者によると、彼は世界を救う戦士であるらしい。悪魔に奪われた『死者の書』を 奪いかえすため彼は単身呪われた森に踏み込んでゆく。さあ、二十世紀の知識(工作 の本)と兵器(チェーンソーと猟銃)で悪魔の軍勢を撃ち破るのだ!

タイトルと物語の内容は、なんだか『ア−サ−王宮廷のヤンキー』にも匹敵する衝撃 度ですな。(多量の薬物を服用してふと気が付くとタイムスリップしていたヤンキー の話。ヤバい小説だ。)

平凡な人生を歩んでいた人が異世界に迷い込み、そこで英雄になる。
でもって時間旅行物で、しかもアーサー王が出てくる。
妄想の匂いがしますね。
制作者の妄想の可能性もあるが、むしろこのような映画を観てしまう人の願望を知り 尽くして、観客の求めるものを作っているのかもしれないと思われる。

観客の求めているものがわかっている、というのはサム・ライミ監督の大きな強みだ 。
『クイック&デッド』では少年ジャンプの格闘マンガのような世界観を作り上げ、『 ダークマン』はダークヒーローアメコミの世界観であり、間違いなくお客がやってく るつくりである。
監修したテレビ『ヘラクレス』は、人気番組として日本の『テレビ特捜部』でも紹介 されていた。
また、『ウォーリアプリンセス・ジーナ』という、タイトルからして間違いなく観客 の心を狙い撃ちにしているテレビドラマも手掛けているらしい。

彼は間違いなく、観客の求めているものを理解しているのである。
そして、純粋な娯楽映画、番組を手がけてきた。

その中でも、最も純粋な娯楽作品が、『死霊のはらわた』シリーズであろう。
そこにはメッセージ性はひとかけらもない、意味もない、ただ面白いものの追求の為 に面白いものを作った、そんな気概が感じられる。

決して手を抜いていない。
『キャプテン・スーパーマーケット』はふざけた内容の映画なのに出てくる人々は軒 並みごつくてヒゲの暑苦しそうなおっさんで、全員が深刻な顔をしている。
ふざけた映画なのに、ふざけた人は出ていない。
そして、アッシュはある意味非常にフザケた野郎である。
正義のヒーローとは全く異なる人間で、っーかヒーローの資格が全くない無思慮無神 経無反省無責任な最低の部類に入る主人公である。
世界の危機を何度も招きながら、我関せずといった態度を取り、なじられると逆ギレ し、他人が逃げ出そうとすると説教をたれる、事件を解決すると一人英雄面をする。 だから、笑ってしまうのだ。
だから、この映画の主役に相応しい。
彼が正義のヒーローでないおかげで、映画の純粋な馬鹿馬鹿しさが際立っている。 この映画から、勇気や友情や正義等のメッセージを受け取ろうという気を起こさなく させる役割を持っているはずだ。

城の造形は、きっちりしている。衣服の造形も、ちゃんとみすぼらしい服をみすぼら しく汚してみせている。
だが、襲いかかってくる怪物達は、映画の馬鹿馬鹿しさに比例し、登場人物の深刻さ と反比例するかのように嘘臭い。
『マーズ・アタック』の宇宙人かディズニーランドの作り物のようだ。
しかも、合成が60年代並にアレな出来。動作がカクカクしてます。
非常に馬鹿馬鹿しい。

『死霊のはらわた』では、意味も内容も排した、強烈な印象を残す為だけに特化した ホラーを真摯に作り上げ、そのあまりの過激さに観客は開いた口が塞がらなかった。 (結果として馬鹿馬鹿しくもあった。)
『キャプテン・スーパーマーケット』では、意味も内容も排し、強烈な印象を残す為 だけに特化した馬鹿馬鹿しい映画を作り上げ、そのあまりのくだらなさに観客は開い た口が塞がらない。

ホラーはやり過ぎるとコメディになってしまう、とよくいわれる。
結果として笑ってしまうものを逆手に取り、次回作では笑わせる為にくだらなくする 。
今までにない形で(無論、良い意味で)観客の期待を裏切った手腕は賞賛に値する。 (わざと狙っていることは、『死霊のはらわた2』を見るとわかると思う)
このように、『キャプテン・スーパーマーケット』は、ジャンルの枠さえ乗り越えた 究極の続編であると言えるのである。

追伸、『ターミネーター3』が製作されるという噂があり、その時は女性型のサイボ ーグが登場するともいわれているが、『2』の企画段階で、すでに廃案になったはず だ。(ギャグになってしまいそうだからとのこと)
まさか、『ロボコップ3』みたいになってしまうのでは・・・。
『2』の時の別の案では、新型サイボーグではなく、二人のTー800(どちらもシュワ ルツネッガー)が戦う予定だったそうだ。
もしこれが実現されていたら、今の『6デイ』は実現されなかっただろう。



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