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映画発掘、第六回・サム ライミ監督のクイック&デッド
柳下 徒是有(どぜう)

冒険小説やゲーム、マンガに娯楽映画等は社会的に冷遇されている。これらに対して の罵り言葉は、荒唐無稽、暴力的、非現実的、等多岐に渡る。ところが、これがいわ ゆる芸術的作品に対しては、芸術の名のもとに正当化されるのである。これを娯楽産 業に対する差別と言わずして何と言おう。むしろ荒唐無稽云々は娯楽作品にこそ求め られているものである。荒唐無稽で暴力的で非現実的、これこそ娯楽作品の十八番で ある。したがって、それを褒め言葉として取り戻すべきである。そうして、良い娯楽 作品を後世まで遺し、人々の意識を改革すれば、映画産業の未来はますます明るいも のとなるであろう。

と私が述べたところで、サム・ライミ監督の以下の言葉には全く及ぶまい
〜人が見たいのは高尚な映画ではない〜
実に素晴らしい言葉である。
純粋娯楽映画を作らせれば、右に出るものはない実力の持ち主だけはある。

サム・ライミ氏は、『死霊のはらわた』で一躍有名になった映画監督である。『死霊 のはらわた』を作る時、彼は数分間のデモフィルムを作って資金集めという華やかな らざる方法、且つ37万5000$の低予算ながらスプラッタ−映画史上に残る名作を完成 させた。

で、これだけの仕事を成し遂げただけあって、お金の使い方がよく分かっていらっし ゃる。

お金をかけていない所。
弾着をほとんど使っていない。
だが、役者の演技と、見事な演出によって見ごたえのある画面になっている。十分注 意していないと、気が付かない程上手くカットが繋がれているのだ。

お金をかけている所。
俳優。
役者の顔ぶれがすごい。ハリウッドスター大集合。というかすでに、怪獣総進撃。 主人公に、シャロン・ストーン、悪役の保安官は『クリムゾン・タイド』で憎まれ役 の艦長を演じたジーン・ハックマン、気障な無法者に『エイリアン2』『ターミネー ター』のランス・ヘンクリセン、準主役に『グラディエイター』『バーチュオシティ 』のラッセル・クロウ(この人、やけに闘技場とか殺人ゲームとかに縁のある人です )、そしてかの有名なレオナルド・ディカプリオ。
なんだか、すごいことになってます。
これだけ個性の強い、しかも全員が主役級の俳優でありながら、見事にそれぞれいか にもな役に配置しております。
しかも、人々が彼らに対して持つイメージそのまんまの役である。(特にディカプー が)

それだけに限らず、町医者に盲目の靴磨き少年、酒場の親父に町のおばさんまで、脇 役一人一人まで、個性的な役者をそろえております。
しかも、主役も脇役も、一人一人が役割を持たされて場面に現れています。
見ただけで、どんな人だかわかるような、いかにもな顔ぶれ。

アカデミー賞でもとってそうな顔の町医者と、顔の造形はどちらかと言えば、という か明らかにダサいのにもかかわらず、ディカプリオに負けない迫力を持って佇む盲目 の少年が、特に素晴らしい。あ、あと町の住民代表のおばさんも。
全員だな。

あらすじ。
早撃ち大会の開催される町にやってきた、凄腕の女ガンマン。彼女はこの町を支配し ている悪徳保安官と、浅からぬ因縁があった。保安官と決闘するために、早撃ち大会 に参加することになる。だが、参加者はいずれも名のある無法者や一流のガンマン達 。強敵ぞろいの大会を見事勝ち残り保安官と戦うことはできるのか。

まあこんな話。
はっきり言って、少年ジャンプの格闘漫画みたいな映画。
トーナメント戦、個性的な選手達、試合の合間の心理戦とドラマ、のお約束王道路線 。

主な参加者。
スウェーデンの早撃ちチャンピオン(参加者のなかでは一番地味)、殺した相手の数 だけエースのカードを入れたトランプを持ち歩く両手利きの男『エース』、殺した相 手の数だけ全身にナイフで傷跡をつける脱獄犯『スカーズ』、町の人の依頼を受けた 殺し屋『キャントレル軍曹』、撃たれても死なないインディアン『ホーンテッドホー ス』、若き天才ガンマン『キッド』、元悪党で保安官の一の部下だった牧師『コート 』(強制参加)、他。
と、かように強烈な個性の人々が群れを為しております。

それでも物語が進行していくのはまさにジャンプの世界。格闘漫画王道路線をひた走 っている。

伏線のはり方が上手い。
主要人物のほとんどが、最初の二十分以内に顔見せをおこなう。しかも性格が手に取 るようにわかる演出をしていながら、しつこさを感じさせない。
いいかえれば、他の多くの伏線たっぷり映画と違い、観客に対し「お前ら不注意でわ からんだろうからわかるように伏線はっといてやったぜ」といった態度を取っていな いにもかかわらず、わかりやすいつくりなのだ。
かといって、ネタばれにならないように計算されているのは、まさに職人技。驚くべ きは、最初の主人公登場シーンと悪役の最期が対になっていることである。

また、殺し屋と保安官の互いに余裕を見せた会話による心理戦、暗殺を目論んだ主人 公に対する保安官の威圧、自信過剰で高慢だが実はそれは臆病の裏返しになっている ディカプーなど、複雑な心の動きを絶妙に加工し、実に分かりやすくしている。

人物に限らず、画面も漫画の手法を取り入れている。
早撃ちの決闘で、発砲直前に周囲の光景がスローモーションになり、発砲した瞬間に 相手はすれ違う程近くに見える、等。
また、集中線の効果が実写で使われている。
背景に線が引かれるのではなく、合成で人物はアップになっていくのに背景はすごい 速さで後ろに引いていく、この結果観客の眼は画面中央部に引き付けられるわけであ る。
とどめに、撃たれた人間の穴のあいた左胸から向こう側の景色が見えている、という 漫画そのものの画面手法がとられている。

この監督は、絶対にマンガオタクに違いないと思って調べた所、実際にその通りらし いから恐れ入る。そう考えてみると、『ダークマン』は、ダークヒーロー系アメコミ の雰囲気を取り入れているし、『キャプテン・スーパーマーケット』は不条理ギャグ マンガと共通する所がある。また、『死霊のはらわた』には、一昔前の貸し本時代の 無軌道な勢いを持ったホラーと相通じる空気を持っている。
欠点もまた、少年ジャンプの格闘漫画に言われるものと全く同じ。
人物が次々入れ替わるうえ、分かりやすく作られている。その結果人物の底が浅い。 とか、困難をくぐり抜けて来たのに主人公が成長したのかわからない、とか、人を殺 すことを拒否していたはずの牧師が何故いきなり戦闘マシーンになるのか、そもそも その大会の目的は何か、など。

だが、やはり面白いものは面白いのである。
冒頭に述べたことからわかるように、これは高尚な映画ではない。
すみずみまで気を配ってある、ギッチリと娯楽作品の要素が詰め込まれた映画である 。そして、今はやりのCGによるマンガ型表現(最近マトリックスの猿真似演出が増え ていますね)とは異なる、手作りの味わいのある職人技の画面作りの数々。作品とし て及第点以上、かつ商業的にも失敗しないという面において非常に良い位置にある。 よくこれだけ詰め込むことができたと感心することしかり。
やはり格闘漫画王道路線ゆえか。どうやらこれは全世界共通の娯楽ですな。

何かメッセージらしきものがないのかと考えてみると、力なき町の人々の些細ながら 重要な協力と、共に戦った選手の遺した武器によって最初は歯が立たなかった悪役を 倒している姿から感じ取れる、
勇気、信頼、勝利。
である。と、最後まで某小年誌のような言葉でまとめさせていただきます。



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