トップページ  Bi-Online

違法行為
慶野 響

「ただいまー」
 俺は家に帰るなりなおざりに叫び、まっすぐ自室に向かった。二階に上がり、部屋に入るなりベッドの上にカバンを下ろす。
 それから、机に置いてあるデスクトップパソコンの電源を入れる。高校に上がるときに親に買ってもらったものだ。性能は高いとはいえないが、ふつうに使うぶんには問題ない。昔から毎月の小遣いも同級生に比べて少なく、近くに親戚がいないためもあってお年玉の額も一万を超えたことがない俺は、六桁未満のパソコンでも恐ろしいほどの高級品に思えたものだ。今ではアルバイトで小遣いは稼いでいるが。
 OSが立ち上がるまでの間に、さっきベッドに下ろしたカバンの中から透明なプラスチックのCDケースを取り出す。中に十枚はCDを収納できる、厚いタイプだ。
(さて……)
 今日『仕入れ』たブツは三本。外国産のパソコン用ゲームソフトが中心で、前々から注文していたものである。単価が五百円なら、安いもんだ——俺は、裏面が青いそのCDをケースから取り出しながらそう思った。
 裏面が青いCD。そう、CD−Rである。個人でデータや音楽をCDにすることができる媒体で、特に俺のような貧乏人が時代に適応した文化的な生活を送るには欠かせないものだ。もっとも、それには信頼できる人脈が必要となるが。
 そう、実に安い——ふつうに買ったら楽に福沢諭吉とオサラバしなければならないような値段のパソコンソフトが、たったの五百円硬貨一枚を出すだけで買えるのだから。説明書や保証書は付いてこないが、まあ、さしたる問題ではない。
 著作権法? そんなもの、見つからなければ犯罪は犯罪にならない。遠くの裁判より、近くのサイフの中身の方が切実な問題というものだ。なに、世の中にはこんな行為、ありふれている。今さら一人や二人そういうことをする人間が増えたところで、何でもない。
(……?)
 そこで俺は、CDケースの中に異物が入っていることに気付いた。
「……フロッピー?」
 CD−Rの間に挟まれるようにして入っていたそれは、ごくありふれたFD(フロッピー・ディスク)だった。ただし、メーカー名も何もない、銀一色のものであることをのぞいては。
(珍しいな……)
 こんなものは見たことがない。それも不思議だが、こんなものを入れてきた意図も読めなかった。一体何を入れて寄越したのだろう。
 とにかく、確かめてみることにする。そもそもパソコンで認識できるかどうか分からないが——
 パソコンのFDドライブにそれを入れ、読み込ませてみる。
 ——ガーッガガガッガーッ
 ドライブは不穏な音を立て始めた。やはりフォーマットが違うのか。
 そう思った瞬間、突如パソコンのディスプレイが真っ暗になった。一瞬驚いたが、すぐに復旧して元通りの画面が映し出される。
 ——画面の中央に小さなメッセージウィンドウが開いていることをのぞいては。

『中藤は死ぬ』

 ただ、それだけ。何の飾りもない、そっけない文章だ。
「な、何だこりゃ……?」
 再びFDを読み込ませてみると、今度にうまくいった。だが、中には何かの実行ファイルが一つ入っているだけだった。容量はごく軽い。何の冗談か、アイコンは割れたFDの絵だった。
 実行させてみると、さきほどと同じメッセージウィンドウが開き、さきほどと同じメッセージが表示された。何度やっても、結果は同じだった。
「……あいつ、タチの悪い冗談かますなぁ」
 これを渡してきた人間が、このプログラムを作ったのだろう。あまりにも簡単で、すぐにできるものだ。ちょっとした冗談のつもりで渡してきたに違いない。
 いつもコピーCD−Rを売ってもらっているのには感謝しているが、冗談ならもう少しマシなのにしろよな……そんなことを思いながら、俺はそのCDを抜き取った。

 次の日、俺はいつもより一時間遅れで登校した。何となくタルかったので、一時限目をフケたのだ。
 俺はざわついている教室に入ると、すぐにあいつの姿を探した。俺にCD−Rを売ってくれている男だ。
 だが、そいつの席には、誰も座っていなかった。
「何だ、あいつまだ来てねぇのか」
 俺はそいつの席の前まで来ると、自分のことを棚に上げて何の気なしにつぶやいた。
 その瞬間、周囲が沈黙した。下を向く者、顔を見合わせる者——みんな、俺と視線を合わせまいとしているようだ。
「お、おい、お前ら、どうしたんだよ。突然黙りこくって」
「あいつ、死んだんだって。今朝。交通事故」
 一人の男子生徒が静かに答える。こいつも俺と同じくあいつからコピーCD−Rを買っていた人物で、高山という。
「は? 何言って……冗談だろ?」
 高山は無言で首を振った。
 俺は立ちくらみを感じた。あいつめ、自分で作った冗談がホントになっちまうとは……

 学校でコピーCD−Rを売りさばいていたその男の名は、中藤といった。

 俺は家に帰るなり、無言で自室に向かった。
 中藤とは親友——というほどでもないが、まあそれなりに気の合う友人だった。二人で(といっても俺は横から見ていただけだが)ゲームのセーブデータを改造したり、市販の音楽CDをMP3形式にエンコードしてネットで顔の見えない相手と交換し合ったり——なかなかに楽しかった。
 それに、何もイリーガルなことばかりしていたわけではない。この前など、俺は中藤から変な誕生日プレゼントをもらった。箱を開けてみると、五センチ角くらいの黒い板が出てきた。「超強力磁石だよ。な、面白れぇだろ?」と中藤はうれしそうに言っていた。何に使うんだと聞いたら、「さあ?」と無責任な答が返ってきたが。
 とにかく、変なところもあったが、気さくでいい奴だった。
 ——その中藤が死んだ。
 まだ実感が沸かないせいか、涙はじわりとも出てこなかった。代わりに、いいようのない無気力感が俺を支配していた。
 部屋に入ると、昨晩から机の上に置きっ放しになっていた銀色のFDが目に入った。
(……!!*)
 俺は目を見開き、近寄ってそれを手に取った。何だこれは。どういうことだ。
 FDの表面の三分の一ほどが、真っ赤に染まっていた——まるで、血で染められたかのように。
 弟の仕業か。そうだ、そうに違いない。まったくあいつはイタズラが過ぎる。勝手に俺の部屋に入るなと言っているのに。
 そう思いながらも、俺の手は気付かぬうちに震えていた。
 いや、あるいはこれは昨日のものとは別のFDなのかも。ふとそう思い、パソコンを起動させ、ドライブにそれを入れた。
 プログラムを実行させると、昨日と同じようにFDの中身が読みこまれ、昨日と同じようにメッセージウィンドウが開く。そして昨日と同じメッセージが——いや、違った。

『中藤は死んだ
 次は高山が死ぬ』

 相変わらず、簡素でそっけない文章。
 俺は目を見張った。知らないうちに、奥歯がガチガチと鳴っていた。

 翌日、学校で俺を待っていたのは、「高山が死んだ」というニュースだった。今朝、マンションの屋上から飛び降りたらしい。遺書はなかったそうだ。
 高山は最初に中藤からコピーCD−Rを買っていた人物だ。彼と中藤は中学のころからの友人らしい。その高山が死んだ。
 となれば、次は——
 俺は家に帰るとすぐに自室に向かい、パソコンを立ち上げた。あの銀色のFDはすでに三分のニが赤く染まっている。
 もはや疑いようがない。このFDのプログラムは、次に死ぬ人間——それも中藤に関わった人間の死を予言している。どうやってか分からないが——今日などこのFDは鍵付きの箱の中に入れて隠しておいたというのに——それが現実となるたびにFDが赤く染まって行くのだ。
 このペースで行けば、FDが全部赤く染まるのに必要なのは、あと一人。そしてそれは、高山の次に中藤からコピーCD−Rを買っていた人間、つまり——
「……やっぱりそうなるか」
 俺は、自分の口から出る言葉を他人事のように聞いていた。

『高山は死んだ
 次はお前が死ぬ』

 犯人は誰だ。どこにいるんだ。くそっ……! みすみす殺されてたまるか。俺は立ち上がり、ディスプレイを睨み付けながら、椅子を押しのけて一歩下がった。
 と、まるで俺の心を読んだかのように、画面に新たなメッセージが表示された。しかも、透明人間でもいるのだろうか、カチャカチャと勝手にキーボードが叩かれている……!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?*」
 俺は絶叫を上げ、前を向いたまま後退ろうとしてぶざまに尻餅をついた。
 一体何だ、何が起こってるんだ!

『犯人がどこにいるかだと?
 それならお前の目の前にいる
 そして お前は私に殺される』

 無機質なディスプレイの文章が、なぜだか笑ったように見えた。
 訳が分からねぇ……! パニックになりそうな心を必死に抑え、思考を巡らす。
 透明人間がいるってのか……?
「ぐぁっ!」
 突然、背中に激痛を感じて悲鳴を上げる。何かとがったものがものすごい勢いでぶつかってきたのだ。
「痛ぅっ……!」
 カランと音を立てて背後に何かが落ちる。涙目になりながらそれを見ると、例のCDケースだった。どうやらこれがぶつかってきたらしい。
 だが、どうやって……?
『そのような疑問 無意味だな
 お前は今ここで死ぬのだから
 知る必要などまったくない』
 再びキーボードが見えない手に叩かれ、文章がディスプレイに出力される。
「くそったれぇぇぇぇ!」
 俺は見えない敵に殴りかかろうと突撃した。もうやぶれかぶれだ。パソコンのキーボードを叩いているはずのそいつめがけて、拳を——
 思いっきり外れた。まったく手応えがない。自分の勢いに振り回されるように、俺は床に転がった。
(痛っ……)
 転がった拍子に頬を切ったらしい。血が流れ出ているのが分かる。
「く……そ……」
 恐怖と絶望に押し潰されそうになりながら、俺は必死に敵への怒りを募らせて自分を奮い立たせようとした。
『無駄だ
 お前は死ぬ』
 起き上がった俺の目に飛びこんできた、無機質な文章。俺は叫んだ。
「どうして俺が殺されなきゃならないんだ!」
『自業自得だ
 お前は中藤と組んで違法行為を繰り返していた
 ソフト作成者がどんな思いでそれを作り
 どんな思いで商品としているかも考えずに
 よって 裁きを与える』
 見えない敵は、淡々と返答を打ってきた。ものすごいスピードで、よどみなく、正確に。
「だからって、殺人なんて……犯罪の度合いが違う、割に合わねぇよ!」
『それがどうした
 見つからなければ犯罪は犯罪にならないのだろう?』
「人間の命ってのは、そんなに軽いもんじゃ……」
『そんなことは関係ない
 私はお前のような奴を裁くためにこの世に生を受けた
 なに 世の中には自殺者などありふれている
 今さら一人や二人 そういうことをする人間が増えたところで 何でもない』
「三人じゃねぇかよ……」
 俺はこんな状況でも軽口を叩ける自分に少々驚きつつ、しかしそれ以外に何もできないことに歯噛みした。
 そう、俺が死ねば、これで三人死んだことになる。あの銀色のFDの残りの三分の一も赤く染まって——
 FD!?*
 そうだ、てっきり透明人間でもいるのかと思っていたが、さっき殴ったときには何もなかった。それにわざわざすべてディスプレイのメッセージで会話してきている。それに理由があるとしたら——
『おしゃべりはここまでだ
 そろそろ
 死ね』
 俺はそれをみなまで読まず、FDドライブの取り出しボタンを押した。必死の願いが通じたのか、何の抵抗もなくボタンは押し込まれ、FDが排出される。俺はそれを引き抜き、叩き割ろうとした。
「……!?*」
 割れない。まるで金属か何かのように、恐ろしく硬い。
『無駄といっている
 お前は死ぬ』
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
 何事もなかったかのように出力されるメッセージに俺は半狂乱になり、FDを部屋の片隅に投げつけた。壁にぶつかって勢いよく落ちたが、傷一つ付いていないようだ。
 そして、俺の体は何の支えもないというのに空中に浮かび上がり、上を向いたまま机の方へ動き出す。あのCDケースのように、俺も念動力のようなもので操られているのだ——
 明日の朝刊の見出しが浮かんだ。『十七歳の男子高校生、自室で足を滑らせ机の角に後頭部を強打し即死』……いや、こんな記事、そもそも新聞に載らないか。だがもはやどうでもいいことだ。
 俺は目をつむって、そのときに備えた。
 一瞬の浮遊感のあと、頭に鈍い衝撃が走った——

「——いちゃん! 兄ちゃん!」
 弟の声で目が覚めた。床に仰向けに転がっている自分に気付く。
(俺……死んだんじゃ……?)
「兄ちゃん、晩メシだぜ。早く来いよ!」
 部屋の外から響く声。続いて、ドタドタという音。階段を下りていったようだ。
 しばらく呆けていたが、やがてむっくりと体を起こす。後頭部がズキズキと痛むが、大した傷ではなさそうだった。
 どうやら、机にギリギリ届かない位置で落とされたらしい。省電モードになっていたパソコンを復帰させ、ディスプレイを見てみると、もうあのメッセージウィンドウは消えていた。
「夢……?」
 そうだ、だいたいあんなことあるはずがない。夢に決まってる——だが、まだ生々しく思い返されるあの恐怖と、そして後頭部の鈍い痛みが、簡単に否定させてくれない。
「——フロッピー!」
 あのFDはどうなったのだろう。俺はFDを投げた部屋の隅を見た。
 あった。だが、その表面に赤い色はなく、銀一色だった。
(どうして——助かったんだろう?)
 まだ安心した気分にはなれない。部屋の隅に近寄ってみる。
 銀色のFDの下に何かがある。五センチ角の黒い板——中藤が誕生日プレゼントにくれた、超強力磁石だった。

 結局、確かなことは何も分からなかった。あの磁石のおかげでFDがダメになったのかもしれない。そうとしか考えられない——確証は何もないが。
 分かっていることといえば、中藤と高山が死んだこと、そして俺には彼らがいなくなりはしたがまた平凡な日常が戻ってきたらしいということ、それだけだ。
 俺はあのあとすぐ、持っていた違法コピーソフトをすべて処分した。あの銀色のFDとともに。
 ——あれから、イリーガルなことには手を出していない。何かをしようとすると、いつもあの銀色のFDがちらつくのだ。
 だが、あんな行為をやっている人間はいくらでもいる。今もあのFDの仲間が、どこかで人知れず『裁き』を行っている——そんな気がしてならない。
 闇は、どこにでも広がっているのだから。



Bi-Onlineに戻る