しなやか したたか
志においてしぶとい

援会副会長  玉田勝郎


 今日は三人の先生らがとりあえず市芦に戻れるようになったことの報告ができて、救援会としてはうれしく思います。
 ちょっとだけおいしい酒が飲める会に、お忙しい中、集まっていただきありがとうございました。

 私は、昨年の一二月に救援会で忘年会をして、その時に、深沢さんが、一見楚々とした女性を連れて会場に入ってきた。その時に、小川正巳先生が、「市芦でこんな良い酒が飲めたのは初めてだ」と言われた。私も同感でした。
 救援会を作るとき、なんかやれと言われて、では、深沢さんに嫁さんを世話することはできるかもとやったんです。
 鈴木さん、深沢さんはもうダメかなと思ってたんですが、突然深沢さんが弁護士を引っ張り込むと同時に、手をつけて嫁さんにした(笑)。
 私は、これは市芦闘争の一二年間の唯一、最大の成果だと思っておったんですが、三人の先生が現場に戻れるというニュースが飛び込んできた。


 私は思うんですが、例の日教組が一九九六年に文部省と和解して以降、さまざまなところで権力が理不尽な、不条理な攻撃を労働者にかけてくることがいっぱいあって、しかし、それに抗い続けてゆくこともあちこちで生まれましたが、やっぱり大きな組織は誰も支援してくれなかった。その中で孤軍奮闘、今日まできたわけです。

 よく考えてみれば、市芦の教師は、元の学校に戻れるなんて事を本心では思ってこなかったんです。
 それはなぜかというと、部落、朝鮮、障害者、これを触った、そこで何かを語った教師は、やっぱり戻れない。たとえば、広島は、この卒業式を前に猛烈な攻撃を受けました。
 あれは、部落を触ったからですね。何もできなかったけれども、それでも何かを語りかけたということがある。ですから、そういう状況の中で、市芦を追放された教師たちが戻れるというのは、私は思っておりませんでした。

 ですが、それはいろんな力関係だとか、いろんな状況があって、その中で何よりも市教委は追いつめられたと。
それは、在間弁護士の報告にあったとうりだと思います。ですが、この後、戻ったら学校でどんな仕事をされるかということは、ここで言うべきではないと思います。
 やっぱり、今の状況は部落問題、朝鮮人問題、障害者問題に関わった教師は依然として、そうそう受け入れられるもんじゃないと、そういうことを広島の教師達に向けられた攻撃が端的に示している。

 私は市芦の追放された教師達とつき合ってきて、彼らは元気があるんですね、公平審でも、審理の翌日、あっという間にその記録がおこされて送られてくる。
 その情報収集処理の能力はすごいものがあったと思います。青雲の軍団から学んだということを後から聞きました。
 そういう元気がどこから出ていたんだろうかというと、彼らは夏は山登り、冬はスキーに行き、昔は「若者よ体を鍛えておけ」という唄がありましたが、やっぱり体を鍛えてそこから元気が生まれてくるということがあったと思います。
 そういうことが一二年間飛ばされた先で「バイキン」のように救援会の仲間を増やし、元気を創り出してきた。その元気が三人を復帰さしたと私は思っておるわけです。

 やっぱり、発想として「しなやか」ということは大事じゃないでしょうか。
 弁護士の女性でも好きになったら前後見境なく(笑)、僕は好きですと言ってつっこんでいく。そういうことをふくめて、こういうしなやかさということが大事。
 それから、活動、闘いのスタイルにおいて「したたか」であるということ。この二つは多くの人が持ってると思います。


 あと大事なことは、「志においてしぶとい」。さっきの永岡夫婦と子どもの話を聞いてて、こういう家族ぐるみのしぶとさはかなわんなと思ってました。
 発想においてしなやかであること。闘いのスタイルにおいてしたたかであること。
 志においてしぶといということ。こういうことを三人の先生の復帰は我々に教えてくれたのではないかと思っております。
 しばらくかかりますけども、救援会にもうしばらく力をかしていただき、玉本先生のご健康とご自愛をお祈りして、お開きにさせていただきます。ありがとうございました。