負け続けても譲れないものがある

鈴木紀之


 昨年結審した時の、神戸地裁の門前での簡単な報告集会の場のことであった。
 市芦反弾圧闘争を支援する会の小川正巳会長が、「時の楔」ということを話された。人の思いを外に、時は何事も風景に風化させていくが、なによりもきついのは、闘っている者の内部に時の楔を打ち込んでいくことであるという。
 身にこたえるものであった。
 青雲闘争の折りに「せいうん通信」に載せられていた先生の詩をあらためて思い出していた。

 権力のいう「教育正常化」のための標的として、九名の教員が強制配転されて10年を越える。
 最初に強制配転された私にとっては、実に12年半に及ぶ時が過ぎていた。強配先では何をしても、しなくても落ち着くことがなく不本意であった。
 自分の身の置き方に戸惑い続けたといっていい。
 一方で、市および市教委のいう「教育改革」は進んでいった。
 学校現場に残っていた組合員にとっても、否応もなく突きつけられる現実を前にその心労は大きいものであったろう。私たち強配された者以上に、学校の内部にいた者にとって不本意さは極まっていたかもしれない。
 自らが「教育改革」の担い手として強いられるがゆえに。
 負け続ける中で溜まってゆく疲労は深かったが、それでも譲れないものがあった。

 内示を聞いて、長い間願っていた復帰が目前のものとなり喜ぶべきだと思ったが、率直に喜べなかった。
 深沢、滝山、小川、森村、石橋さんら5名が残されたままであった。
 それだけでなく、復帰条件のあった森村さんの復帰が実現せず、小川さんが再々強配されたことは市教委を差配するものの邪悪な意志を見せつけるものであった。
 私らとのバランスで秤にかけられた結果とするなら、なおのこと堪えるものであった。

 しかし、何よりも5名が復帰を喜んでくれた。玉本先生が喜んでくださった。
 玉本先生は市芦救援会の会長を引き受けていただいていて、80歳を越えるご老体にもかかわらず、どんなことがあっても、必ず審理や裁判に欠かすことなく姿を見せて私たちを支えてくださっていた。
 あの鳥打ち帽と少しはにかんだ笑顔と口をついで出る不正義を憤る直截な言葉にどれほど支えられてきたことか。
 出会う人みんなが「よかったね」と声をかけてくださった。
 うれしかった。
 私は12年半前の離任式で、生徒や同僚教員を前にして「私が戻ってくるのは、あなたがたのいるこの市芦です」と話したが、「教育改革」は「あなたがた」を一掃していた。
 それが今の教育現実というもので、そこで、そこから始めるしかないと言われている。朝文研の卒業生たちが激励会をしてくれた。そこには「あなたがた」が健在だった。
 あらためて5名の早期復帰までお力添えいただきますようお願い申しあげます。