12年余の闘いの成果

市芦分会  深沢 忠


 鈴木さんの場合、一番最初に配転され、1986年10月から13年近くになります。
 復帰については組合も交渉してきて、まだ五人残っているので交渉は続けている。
 ただ、鈴木さん、吉岡さんの場合は、定年退職も近づいていることもあり、このまま置いておくわけにはいかないと、二人の復帰については強く要求していました。

 ただ当局はそれを認めて復帰させるというほど甘くないわけで、この間、震災で財政が苦しいという中で人件費削減ということが大きくあったと思います。
 私たちをとばすためにわざわざ市教委の中で増員したりして受け皿を作って配転したわけです。
 今回市芦では講師を辞めさせ、人件費の削減というのがあった。
 吉岡さんの元の職場は人員削減するという形でやられたのが今回の3人の復帰です。

 ただその背景があったにしても、やっぱりずっと12年余も闘い続けてきて、裁判闘争も続けていることについて、当局もなんとか整理したいと思ってきた。
 あるいは、実務レベルで担当者が処理に苦しんできたこともあって、それらの中でこの復帰が進められてきたのだと思います。
 ただ、3人が復帰したことは嬉しいことには違いないのですが、鈴木さんが復帰と知った時に最初に言ったのが「定年2年前に、とばされたのをまた勝手に戻されたことは悔しい」と。

 小川さんが仕事の中で上層部と意見対立して再々配転になり、また森村さんが復帰の条件があったにも関わらず、返さなかったということから言えば、私たちの中に分断を持ち込むような形であり、あまり素直に喜べない状況です。
 今後の課題の方がたくさんあるという復帰ではあります。
 でも、9人のうち3人が戻った、3年前の麻田さんを入れて4人戻ったということは、やっぱり喜ぶべきことです。
 しかもこちらから謝罪して戻ったわけでもなし、闘いの中で戻っていったのであり、そのことは闘いの成果としておさえたい。当局にごめんなさいと謝らせてないことについては、これからきちんと裁判闘争を闘いながらケリをつけていきたいと思っています。
 戻った市芦の状況はとばされた時の状況とはかなり違っていますし、大変ですが、今後とも皆様の支援を宜しくお願いいたします。
 本日はどうも沢山お集まりいただいて有り難うございます。