103号 01/1

大阪高裁控訴審で市教委主張変更
「四〜五年で帰すつもりだった」?!


明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 去る2000年11月21日、大阪高裁で第2回の控訴審が開かれました。

 これは裁判長が芦屋市教委に対して準備書面の追加を10月13日までに提出するようにきつく督促した上で決めた日程通り開かれたものでした。

 芦屋市教委側は控訴審前日に「人事交流により市芦高校へ復帰を予定していたが、阪神淡路大震災により復帰が遅れた」との追加書面を出してきました。公平審や原審で一言も主張してこなかった「復帰予定」を取り繕い、あろう事か地震のせいにして不当労働行為を誤魔化そうという破廉恥極まりない主張です。

強制配転処分による学校からの排除をひたすら追求してきた市教委が、考えてもいなかった「市芦高校への復帰」を持ち出さざるを得ないほど1審判決の重みは大きいのです。

 追いつめられたとはいえ、就任2年で、何の証言能力もない現管理部長を証人として申請するにいたっては、悪あがきも芸のない話です。

 裁判長は年内との意向を示しましたが、市教委側の都合で、1月15日までに現管理部長の陳述書を提出させ、証人としての採否の判断資料とするようです。次回公判は1月24日の午後1時15分からと日程を決めました。

 私たちは、深沢・河村先生の懲戒事案について、処分当時の組合執行委員でその前後の支部執行委員も経験された吉村先生を証人に立て、当時の労使慣行や市教委との交渉経過について新たに証言していく予定です。

 当日は大阪高裁に、兵高教の組合員を中心に多数の支援者の皆様による傍聴をいただき、大変有難うございました。紙面を借りてお礼を申し上げます。

市教委による市芦潰しの策動は許さない

 さて、市芦高校をとりまく情勢が以前にもまして緊迫してきております。1999年2月に芦屋市の財政当局が財政再建計画策定にあたり「市芦高校の存廃も含めて検討」と北村市政の本音を先走って新聞発表したことがありました。

 それに対しての抗議と説明を求めた組合に対して、市教委は「廃校など考えていない。いかに充実、発展させるかが課題だ」と言っていました。しかし、2000年3月の県立高校の「第一次高校改革案」が発表されたのを利用して、市教委は10月に芦屋市学校教育審議会を発足させました。

 市教委はこの審議会に「今後の高等学校教育の在り方について、一、芦屋市立芦屋高等学校の在り方について、二、芦屋学区の通学区域の見直しについて」を諮問し、2001年3月末を目途に答申を出させるというものです。

 学区制と連動させながら、市芦高の廃校路線を軌道に乗せようとする意図を隠し持った諮問だと言えます。過去二回の学教審への諮問と答申が、今、現に苦闘する子どもたちや学校現場に対する一片の共感や顧慮を示すことのない代物であり、「松本教育改革」の無惨を取り繕う化粧に過ぎなかったことは、明らかです。「松本教育改革」のあからさまな失敗を、ついには廃校で覆い隠そうとしているのです。

 15名の審議委員の人選に加えて、会長に青雲高校弾圧の中心的人物であった元兵庫県教育長の井野辰男を起用していることに、「市芦高校廃校を目論む」市教委の意図が見え隠れします。拙速な審議で結論をでっち上げようとする審議会の悪行は許せません。

 私たちは兵庫県教委による定時制高校つぶしと連動した芦屋市教委の市芦つぶしに断固反対し、「せめて高校だけは」という親、子どもの教育権を守る闘いを続けていきます。裁判闘争と併せて、より一層のご支援をよろしくお願い致します。