どうしても言わないかん

市芦救援会会長 玉本 格


 この間、公判には忙しい中参加してくださっていた皆様には御礼を申し上げたい。

 それから、弁護士さんには、よく教育の中身を勉強してくださって、協力してくださっていて本当に御礼を申し上げます。

 市芦救援会通信を見ていて、目が白内障になっていて読みにくくなったんやけども、読みながら涙が止まらなかった。そこを読んでみます。これはどうしても言わないかんと。

 「原告石橋、同小川、同滝山、同森村、同深沢はまだその無念を宙ずりにしたままです。この無念さは、この子どもたちと出会うことでしか晴らしようがないのです。処分の取消による学校現場への復帰以外癒されないものです。」

 この七〜八行の文を読んで泣いてしまいました。本当にそうだと思います。

 「この無念さは子どもと出会うことでしか晴らしようがないのです」本当に涙が出てきて、何べんも読みました。一番大事なところはここじゃないのかと思います。

 それから、甲山事件じゃないけれども、まだ行政関係からいろんなことがあるみたいですけど、僕は今度の編集を見て、たとえば、ここにボロボロになった新聞を持ってきたんです。

 『発言と行動』という新聞なんです。家で本の整理をしよったんです。古い新聞が出てきたんですね。『発言と行動』の第一号です。これは、私たち、戦争が終わって詩を書いてきた時に、特に腹が立ったのは「安保」のときですね。あのときに色々反対したんです。『発言と行動』というのは、文化人としてこの点をなんとかせないかんのとちがうかということで作った。    僕らは『航海表』という週刊誌に詩を書いていたんです。その中に、竹中郁さんがおられた。竹中さんがこれに参加しておられたとは知らなかったんです。

 「兵庫県文化人「発言と行動」を評す」という文章を書いて、「時々刻々」という題で詩を書いておられる。その詩を読んでみます。


時々刻々
竹中 郁
  碗の中のコーヒーが冷えてゆく
  地球が冷えてゆく
  刻々 
  花が散り
  富士の大沢は崩れおち
    しかるにわれら人間は
  散らない 崩れない 冷えない
     刻々 
  目はとらえる
  刻々 
  手はつくる 
  刻々
  躯は生む

 短い言葉の中にものすごい深いものがある。すばらしいなと思った。

それから小田実さんも、僕らが「安保反対」で騒いでいたとき、その時分からヴェトナムの戦争に対して反対運動をやっとったわけです。その人も参加してます。「暮らしを奪い返そう」という文章があります。

 市芦救援会通信の中には、僕らが大事にせないかんと思うことが多く含まれています。例えば、「市政にたてつく人物、公民館講師から排除」という文も出てますし、それから、「校長の自殺の真相ー日の丸・君が代強制」。

 皆さんご存知の通り、こういうものを大事にして、本気でやらないと、これからの日本はどうなるかわからないという思いがあります。この自殺された校長さんは、広島県の私の郷里の世羅高校の校長です。この校長さんは、文部省や県教委からといろんな所から、「お前はがまんして日の丸、君が代問題に反対する人は退職してしまへ」と強要されてたんですね。そういうこともちゃんと出ています。

 こういうことをほっていてはダメなんです。本気でやっていかないと。特に「日の丸・君が代」の問題は、これは放っておくとあかんと思います。「発言と行動」を起こさないとダメじゃないかと思います。

 ヴェトナム戦争のとき、日本の国がヴェトナムの人々をどれだけ傷つけたか、もういっぺん考え直してみないかん。そこでがんばってきた人たちが現実におられてそのときの詩人たちがこの『発言と行動』を起こしたということです。

 今、どうしても一言言いたいと思って、この新聞を持ってきたんです。「安保」の時、女子大生の樺さんという娘さんが反対運動をやって警察の警棒によって殺されたつらい思いを持っています。あの時、なぜ、もっとみんなでやっておかなかったんか、それが、今度はもう鶴の一声で、教育委員会が言うたから、文部省が言うたから、行政が言うたからと、その通りになっていく。

 私の郷里は広島県の世羅郡というところです。「自分の命を粗末にして自殺するのは、そんなんは、ほんまにわかってない」と怒鳴りました。

 この戦争が終わった時、原爆ドームを見た時、どんな気持ちがしたか。医者が徴用にとられて一人もいない。薬品も何も全部軍部にとられていて、その中で、私はかわいい、かわいい一人娘を死なせてしまいました。それは、薬がない、医者がいない、そして、「お父ちゃん、おじいちゃん、お腹が減った、赤いマンマのご飯がほしい、カンヅメが食べたい」と言いながら死んでいきました。そういう言葉を思い出します。

 本当にそういう目に会った人、広島の原爆がいかにひどいものであったか、一生忘れないです。あの東海村の事件で、放射能にかかった人たちがどんなに腹が立ってるか。なぜもっとこれを本気にやってくれなかったのかと。この日本がどないなって行くかということを。そんなことを思いますが、今、病気療養中で言葉不足ですが、お許し下さい。今後ともどうかよろしくお願いします。