完全勝利

市芦反圧弾圧闘争を支援する会
          会長 小川正巳


  

 9月30日、不安を抱いて判決を聞きに裁判所に行ったが、「転職処分取消」という判決があっという間に済んだ。正直言って挙げた拳のおろし場に困ったという感じとともにこみ上げてくる喜びを感じた。

 思えば長い闘いであった。12年間にわたる闘争において、前田校長や小林管理部長の公平委員会審理における長い証言が悪夢のように思い出される。そのような悪夢のような証人尋問にもかかわらず、わたしたちの頭のなかには、単純明快な真実が動かしがたくあった。市芦の教育実践を核とした組合運動に対する弾圧としての強制配転であるということ。

 しかし、長期にわたる悪夢のような公平委員会審理はこの単純明快な真実の上に重くのしかかってきて、これを蔽う。わたしたちが希望を託した市の公平委員会も「市長の任命であり、公平委員会そのものが行政機構の一環であるから公平に審理が行われ公平な裁定が出されるなどということは、かなり幻想に近い」。

 果たせるかな芦屋市の公平委員会は、教員を職員であるから等しく市の強権に服すべきであるという理論を用意した。長い悪夢のような公平委員会審理の果てに、単純明快な真実を救い上げて明示したのは裁判所であった。
 松本教育長及び前田校長の「組合敵視」を明らかにして、このような「不当な目的による転任処分は、社会通念上著しく妥当性を欠くもので、任命権者に与えられた裁量権を逸脱する違法な処分というべきで、取り消しを免れない」

 私は青雲闘争とこのたびの市芦闘争に微力ながらかかわってきたが、市芦闘争が12年間の長きにわたって闘われたが、同じようなケースである青雲闘争が5年で終結したことに留意したい。
 恐らく市芦闘争が長引いたのは公平委員会審理に幻想を抱いたからではなかったか。その点、青雲闘争は最後は人事委員会審理と公判が並行し互いに連絡しあって行われた、さらに県教委が力ある仲裁者の提案に乗って、青雲闘争は「和解勝利」に至った。

 青雲闘争はこれに加えて大救援体制に支えられて、当時の日本教職員組合の高山三雄さんが言っているように、懲戒免職者が5年の短期間に復職したということは画期的なことであった。
 だが高山さんはこうも言っている、「人事委員会審理闘争の経過をみたときご本人は勿論のこと、弁護団の先生方も、このような和解で解決するのではなく裁定を受け完全勝利で復帰したかったのではないだろうか。

 多くの人たちは、そのような条件ができていたと考えたのではないだろうか。」その意味では市芦闘争は裁判所の裁定を得ての完全勝利ではなかったか。

 いずれにしても市芦闘争は完全勝利を勝ち得たとしても、それは大きな傷をともなっての勝利であるとも言えよう。

 原告の一人鈴木紀之さんの6月24日の意見陳述書は痛切である。「被告市教委のいう『帰したから済んだことだ』という言い分は、あまりにも罪と恥を知らない言い分です。きちんと誤りを認め、謝罪し、償うべきは当然です。」「私たちは30代、40代の中堅となり、教員としての仕事をもっとも成熟させて力を尽くせるという時期を迎え、教職への意欲と情熱をいっぱいにしていた時に、突然、無法にも教職から追放され、子どもたちや親との関係を絶たれたのです。この無念さは言いようがありません。この無念さを抱いてのここ10年余です。」