以後広島藩から、いわゆる「切米」18石をくだされ、また、浅野侯が参勤で近くを通られるときには挨拶に出ても構わない といった内容の奉書。 御奉書 一 米拾八石被下 居郡御通行之節 御目通江罷出 加茂郡三津口村 醫師 俊卓 右此度御普請御用ニ付 奉願永代上限銀子 差上寄殊之至ニ付
広島藩参勤の道のりは,広島から呉,あるいは竹原付近まで陸路,そのあと
大阪まで瀬戸内を海路,その後は陸路 といったルートをとることが多かった
ようです。
三津口村の松井家居宅も,穏やかな港町にあるということで,文久頃から
何度か,お殿様お泊まり,あるいはご休憩の「本陣」になっているようです。