医師免状


明治10年7月、廣島縣醫學校の入学許可証書と、明治13年7月付け第17号の廣島縣病院附属醫學校の卒業証書(いずれも原本)。さらに、明治14年付の医師免状(写し)。
明治10年頃に、医師の資格制度が大きく変わっていますが、ここに紹介するのは、 それと相前後する時代のものです:
河合家から尾道松井家に入家した卓蔵の医師としての歩みについて紹介します。

  
学校への入学許可証(左)と、卒業証書(右)

 

 
医師免状の写し
明治10年に、従来からの開業医には「医業開業許可書」が与えられ、それ以外 のものは、学校できちんと物事を教わって資格試験を受けて合格しなければ 医師免状をもらえないということになりました。
つまり、医術の修行が、恩師に弟子入りしてその医術を学び取るといった旧来の 形態から、知識と技術を体系的に学習して資格を取るといった現代的な形に大きく変化したわけです。 有名な医者の弟子として医術を学び、すでに有能な医者として一本立ちしていても、 明治10年の開業許可書を逸した場合には、この資格試験に合格しないと医師免状は もらえなかったわけです。物理学や数学を体系的に学んでいない、こういった 従来型のお医者には大変な問題だったでしょう。
共通一次の前後に大学の関門を通った我々世代と、共通するものがあるかもしれません。






古文書のページへ
ジオシティーズの入り口へ このコミュニティの入り口へ ご近所を訪問する