「チョウサイヤ」という掛け声は、長崎ではまったく忘れ去られているが、
この掛け声はむしろ近畿、四国地方には非常に良く用いられ、掛け声はおろか
祭りや山車の名前にまで使用されていて、祭りの言葉としては最もポピュラーなものとなっている。
 長崎でもかつては「庭先廻り」などに使われていた。
夜もふけてくると本踊などの「庭先廻り」では踊子の手を引き、または肩車などして
「チョウサイヤ」「チョウサイヤ」と言いながら回っていたし、また町によっては「庭先廻り」が終わり
町内に帰って来ると「チョウサイヤ」と唱えることになっていたところもあったという。


 
ところで近畿、四国地方には「ちょうさ」と呼ばれる布団太鼓がある。
この布団太鼓は「コッコデショ」と同類の物で形もそっくりなもので、いわゆる「コッコデショ」のルーツであり現在でもその所作の多くに共通点を持っている。
 また山車を「ちょうさ」と呼ぶところも多くあり、それ以外にも「ちょうさ」または「チョウサイヤ」
「ちよーさぁーじゃー」などを掛け声としてかけるところは非常に多い。
しかしその語源はというと諸説まちまちであり、ちょうさとは「重座」のことであるとか
昔「張さんという人がいて・・」とか地方によっていろいろ言われている。



しかしこの語源はそういったものではなく「招財」が正しいのである。
「招財」と書いて「チャウツアイ」と発音する。もちろん唐音訛りの言葉でおそらく唐人市中雑居
時代に広まったものだろう。
 この「招財」というのは、五路財神(ウールウツアイシン)の脇神のことで、五路財神とは趙玄壇
(チャウエンダン)を中心に、招財(チャウツアイ)、利市(リィスウ)、招宝(チャウパウ)、納珍(ナチン)の
脇立4神でそれぞれ金銭を司る神々である。またこの五路財神を祭る事を「迎福」(ヤーホー)という。
 長崎に入港する唐人船は貿易船であり、したがって貿易商人である唐人達は金銭の神である
五路財神を特に大切にしていた。毎月2日,16日は「迎福」の日として、この日には三牲香蜀を供し
また神廟に参拝していたのである。

写真は筑後町。 招宝!
ところでくんちで大黒町などが出す唐人船の掛け声は「ヤーハー」である。
この「ヤーハー」は前述した「迎福」(ヤーホー)から来ている。福を迎える意味がある。
また龍踊で囃し方の掛ける掛け声は「チャウパー」であるが、これも同じく招宝(チャウパウ)からきている。よく龍踊の音を「ドンドコ、スットン、チャーパー」などといったりするが、このチャーパーはラッパの音ではなく招宝(チャウパウ)という掛け声のことである。宝を招く意味がある。
 唐人雑居時代に見た風習が、大元の意味は忘れ去られたにもかかわらずその言葉だけが「めでたい言葉」として残り、くんちの掛け声に取り入れられていったものだろう。
 また「チョウサイヤ」という掛け声は、現在の長崎においては忘れられてはいるが、江戸時代に八坂神社(当時は現応寺)の神輿を担ぐ時に掛けら
れていたし、庭先で踊り 子を肩車していたときに掛けていたというから、
おそらく当時は担ぎ物などの掛け声として使われていたのではないだろうか。


写真は元船町の唐人船。唐人船は出帆地によって船の形が違う。 迎福!そのため来崎した人達などが、長崎の担ぎ物を見てその掛け声「チョウサイヤ」を珍しさや金が儲かる神の名として聞覚えて帰りその当地で広まったということが考えられる。
第一、「チョウサイヤ」という掛け声が広く分布しているのは、当時、糸荷廻船で長崎と密接に繋がっていたところばかりなのである。しかも布団太鼓のような担ぎ物に多く使われているという実態がその可能性を示唆している。
いずれにしても江戸時代、唐人達が崇拝していた五路財神の神の名や祭祀の名が、今日の日本の祭りにおいて掛け声や山車の名前として残っているのは興味深い。

ところで2003年の「もってこいくんち」で、龍踊の掛け声を「ヤーハー」とボードに書いてまで観客に紹介していたが「チャウパウ」の間違いではなかったのか…







チョウサイヤについて
ちょうさ会館に保存されている「ちょうさ」
写真は筑後町。招宝!
唐船は出港地により10種ほどあるという。迎福!
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