①上海→昆明(7月28日〜8月2日)

7月

28日

朝、電車に乗って成田空港を目指す。
藤沢ー新宿ー日暮里ー成田空港

新聞を読んでいたら、
一面に、知り合いの顔写真が載ってて、
期待の新人みたいな記事があった。

それに比べて、自分は今、何してんだろうか
と嘆く。


航空機会社は、中国東方航空で、
リコンファームが必要なのと、
機内食にセロリの青臭いところが入っていた
以外は全然満足です。

ただ、チェックインのときに、

アナタノニモツハ
大変オオキイノデ
キナイニモチコムコトハデキマッセンデスYO。

って言われる。

中国の空港は預けた荷物がなかなか出てこないのと、
バッグの中身を抜かれることがあるらしいので
何とか持ち込めるように交渉。

なかなか渋るので
「この前はこの大きさで、オタクの航空会社、いけましたよ」

が決め手で、OKがでた。


そっか、この航空会社は、機内の手荷物持込が結構厳しいのかって思った。

ん、

まてよ

隣の席の中国人グループが持ち込んでいる

象印の炊飯ジャー

ビデオデッキ

デスクトップのPC

コシヒカリ
(推定10kg)
は、OKなんですか?

ああそうですか。



上海空港に到着。

ここが中国か。

とりあえず駅にシャトルバスが出ているので
それに乗って中心部へ。

でっかい。

上海でっかい。

それに、凄い都会だ。


東京のビル群の物凄さに
おしっこを漏らした程度の
湘南ボーイ(陸系)にとって、

上海はあまりにも
都会過ぎて、
刺激が強すぎて

うんこをもらす。

というか、全部の毛穴から
何か出た気がした。

すっげえ。


とりあえず、上海観光は最終日までとっておいて、
今日は合肥に向かおう、夜は怖い。
夜行の電車のチケットを買った



時間になるまで、上海駅前をうろうろしていた。


そしたら、駅前に公安が来ていて
駅前で寝ていた浮浪者たちを、
凄い大きな声で怒鳴り散らしていた。

そして、かと思うといきなり
浮浪者を蹴飛ばし始めた。


これが最初に触れた、
中国というものだった。


29日


朝、南京に着く。

ここで興味があったのは

日本軍南京大殺戮記念館
のみ。

どうなっているんだろう。

わくわくしながら入館。

と、いきなり

VICTIM 300000

の文字がところどころに。

この数字は、中国がたまに増やしたりするので
そのたびに書き換えるのかな?

と、その前で記念撮影をしている人が多数。

ここら辺の歴史認識は人によってさまざまなので、
思ったことはここではあまり書かないけど、


世界的にフェイクだって証明済みの写真が堂々と飾ってあったり、

言い分が、かなり中国よりだったり

なりふりかまわず無理やり日本軍を虐殺者扱いしている



笑えたのが、

やっぱり社会主義国。

公務員に全くやる気は見られない。

みんな寝てるし、

凄惨な写真の前で警備している警備員が
弁当広げてパクパク食べてたり携帯いじってたりしてた。


途中、
日本各地の日教組から送られた千羽鶴が沢山飾ってあった。
「今までの過ちを許してください」
みたいな文面が添えてあったと思う。

日本人って、途中でばれた、
かなりいづらくなったので
帰る。


この日は合肥にも向かう。

町の人は、とても優しかった。

そこで色々したあと

やっぱし夜が怖いので
武漢行きの深夜バスに乗った。

こんなに急いでるのは、チベット、モンゴルに時間を割くため。

と、中国の漢民族の町が、あまりにもつまらないから。


30日

深夜、武漢に着いた。


ここは全くみるところなどないので
トランジットの町。

早速次の町である、荊州行きのバスを待つため、
そこら辺のくぼみで野宿。

明け方になったので、
バスターミナルに行こうとした。

そしたら、バイクのおじさんが声をかけてきて、

5元でターミナルまで送ってやるとかいうので、

乗せてもらうことに。

暫くして着いた。

5元払おうとすると。

50元よこせって行ってきた。

何だこいつ。

あれか。

ぼったクリってやつだな。

なんかウザくなって、走って逃げた。

あの野郎、はめやがったなって思ったが。

まぁ、今思うと、自分の方が逆にただ乗り少年なわけで。。



バスを待っていたら、
荊州にいきたいのか?って声をかけられる。

格安で連れて行ってやるだって、言われる。

これが白バスとかいうやつか。
旅行者はこれに結構だまされるらしいことを聞いていたので、
どんなものかと、乗ってみることにした。


乗ったのは、小型のバンで、
明らかに6人乗り位なのに、
15人くらい乗っていて、厩舎に入れられた家畜のように
ぎゅうぎゅうに押し込められて、きつかった。

まぁ、これも経験なのかと。。。。

しかし
外国人だと。日本人だとソクばれで一気にやばい展開に。

もう、どうにかこの時間を早く終わらしたくて、CDを聞いた。

あいつはなんか音の出る機械を持っている、、、、と。
周りの視線がさらにアツアツなことに。


バスは小さな町なんかを何度も通過する。


クラクション鳴らしまくりで通過するので、
地元の子供たちがジャガイモとか石とか投げてくる。

マジ怖い。

途中で、なんでか5回ぐらい車を乗り換えさせられるし、
バスの運転手は何度も交代するし。。。。

これ、ちょっとやばいんじゃないかって思い始める。

周りの視線をぴりぴりかんじる。

何かとられてはいけないと、必死に荷物を抱きかかえた。
そして、寝た。

おきたら、バスの中は自分だけで後は誰もいない。

やばい、はめられた

と確信。


あたりを見回すが、ほとんど何にもない。

やっべええ。

荷物は大丈夫だ。

近くにいたおじさんに、聞いた。

タダ単に、どうも自分は、寝ててバスの乗換えをミスったらしい。
ことが発覚。

ということで、僕の荷物のことなんて、だれもがノンマークだったわけで。。。


あぁぁぁ

当てもなく彷徨っていると、

町を発見。

桃仙という町らしく、
そこから荊州行きのバスが出てるとのこと。

それに乗り込んで、一路荊州に向かった。
またもやすし詰め状態で、精神的にかなりきつい状態。

荊州に着く。
行きたいのはタダ一つ、荊州城。

ひたすら歩いて到着。
すっげえでかかった、

高校時代、三国志にはまっていた自分としては、
あの、荊州城に今自分が来ていることに、とても不思議な気持ちになる。

思わず色々な武将たちが、ここで戦ったんだなっていう空想を繰り広げてしまう。


たまらず妄想タイム、突入。

興奮。


明日は長沙という町に向かう。

31日

寝台バスにのった。
バスにベットを無理やり載せたような単純なつくりなのだが、
これがいささか気持ちよく、
とても快適なので気に入った。

長沙の町に着いた。
バスの運転手の方がとても親切に案内してくれて、
町の中心行きのバスまで案内してくれた。

よかったよかったと、
駅前で無事到着。


とりあえず切符を買わなければ。
桂林まで。

よくわかんないので
ちょっと困っていたら
どうしたの?
って、駅員に尋ねられる。

すみません、桂林まで切符を買いたいんですが。(英語)

といったけど、英語が分からないらしいので

だめもとで日本語で聞いてみる。

やっぱり分からない。



ここまで、予想通り。


中国では日本語はおろか、
英語すら全く通じない。


と、なんか分かったような顔をされて、
ちょっとまっててみたいなことを言う。

この展開はもしや。。。



何か、向こうから人(笑顔)が来た。



アニョハセヨ  ホニャララ、、、、、、、ニダ。






よし、ここまで予想通り。


結局、筆談で購入できた。




この町では、色々なところを廻った。

と、CDプレイヤーとカセット全部をどこかに忘れてきてしまったことを、
インターネットカフェで気づく。

あれはとても大切なもので
少し壊れていたのだけど
4年も僕にかまってくれた年季モノであったので、
とても落ち込む。


そうだ、町でIポッドを買おう。
前から欲しかったしちょうどいい。
この悲しみは乗り越えられると、
購入を決意。

今日はとても冴えてるな。



と、ここまでとんとん拍子で、
Iポッドを買ったところで
曲を転送する術がないことまで悟ってしまった
ので、おとなしくCDを購入することに。

すぐさま購入。

その後
CDショップに行ったら、

知っているアーティストはニルバーナしかしらなかったので
やむなくそれを購入(5元)。

町を歩いていて、ストリートチルドレンの集団に遭遇。
前の人が、彼らにバッグをあさられてた。

追っ払われて帰った先に、そのこの母親らしき人がいたのには、
少し考えさせられた。

まるで、スタンド使い(ジョジョ)のように、子供を使って
他人からモノを奪おうとするなんて。

次に、僕も囲まれた。
一人に上げたら大変なことになることをしっていたので
誰にもあげなかったが、
一人だけサボって路上で寝ている少年を発見。

その子にいくらかあげた。

そしたら何人も追っかけてきたのですっごい勢いで逃げた。
こんなにもてたのは初めてなので、
ちょっぴり気持ちが良かった。

サボって寝ているぐらいの少年の温度、
何事にも中途半端にやる人、
とても好きだ。

中国のトイレはとても臭い。
近くを歩くだけで、トイレが近くにあることを
察知できる。
そのたびに、ラーメン二郎を思い出す。
まさに二郎のにおいなのだ。

トイレに限らずバスの中、電車の中、路上
なんかでもとても臭う。

どうしたものか。
とても耐え切れない。




と、
自分が臭くなればいい。

という秘技(禁断)を発見。

実は中国に着てから未だに一回も着替えていないしシャワーを浴びていない。

たとえ自分のプライドを傷つけようとも
(今更、別にない)

体調が許す限り、

体臭が許す限り、

戦い抜くことを


いつかは
みんなの
スメル オブ ジョイトイ
になることを決意して、
つぎの町、桂林に向かうのであった。
あー、この人 遂にいちゃったね。


8月1日

憧れの
桂林に着いた。

ここの町は鍾乳洞がとっても多いことで有名で、
町中に、ひたすらとんがりコーンライクな山がいくつも点在する。

まずは自転車を借りなければ何も始まらないので、レンタサイクルを探す。

人に聞いてみたら、じゃあ、私の宿を紹介してくれると言ってくれて
連れて行ってくれた。

中からおばあさんが出てきてとても懇意にしていただいた。
ただ単に、自転車を借りたいだけのこの少年に、
朝食はまだか?
とか、
今日のプランはもう決まっているの?
だとか
色々お世話していただいて感激した。

3人で話し合った結果、
まずはヤンシュウというところに行きなさいということになたので、
ヤンシュウにバスで向かう。
バス停までおばあさんはついて来てくれて、
バスを待っている方に、
「この人は日本人で、バスの乗り方があまり分からないものだから
教えてやってくれ」
とまで頼んでいただいた。

その方とバスに乗り込み、
「あと6っつめのバス停で乗り換えなさい」と、
親切に教えていただき、その方は降りていった。

どうやら、この少年が寝過ごしてしまって乗り過ごしてしまう
ところまでは計算に入ってなかったみたいだ。


少し遅れたが、ヤンシュウに到着。
ヤンシュウという町はとてもすばらしかった。

それから桂林の町に帰って、
その町でも自転車で疾走、失踪。

少し迷子になったがとても楽しい一日だった。
自分に優しくしてくれる人の出現で、
精神的に回復したようだ。


続いて、一気に昆明に向かう。
20時間強の旅である。

電車は、空調の効いている車両だったので
どんなに快適だろうと、お菓子を沢山買い込んで
ピクニック気分で乗り込んだ。

それが、大変なことになった。



どうやら3連休の最終日ということで、
列車は非常に込み合っていて、
自分の座る席がなかった。

しょうがなく車両連結部分で蒸し暑い中待機していると、

そこは喫煙スペースだったらしくタバコのにおいにまずやられた。

続いて、

カップラーメンのしるやらスイカの汁やらを通路にがばっと捨てるのである。

さらに、

赤ん坊などには、母親が通路におしっこやらウンコやらをさせるので
全く居場所がない状態で、くさくてきつい。


なんと、その状態で12時間。
このまま夜を明かしたことになる。


つぎの日の朝、やっと座れた。

向かいのおじさんとかにお菓子をあげて手なずけておいた。


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坊主が上手に屏風にインリンポーズの絵を書いた。

その絵で、夜な夜な楽しんでるそうな。