今後の方向

世の中では哲学というものは"何の役にも立たないもの"と考えている人も少なくありません。 実際、哲学科にも「哲学は所詮、自己満足だ」と自嘲的に言う人もいます。しかし、そのことはその人の哲学が単なる自己満足に終わることを自ら予測したに過ぎません。
ソクラテスは彼自身のことを "牛のおしりをさして回るアブ”にたとえました。ひとびとにうるさがられながらも多くの人に問いを投げかけ、本当に大事なことは何なのかの問いにひとびとを振り返らせようとしました。
哲学は社会を急激にかえることはできません。しかし、このソクラテスの姿勢は今日でもかわらず大切なことではないでしょうか。
これまでの長い哲学の歴史が現在のわれわれにとって無意味なはずがないのです。

これから

先人たちの多くの成果を礎に人間の実存について論じていくこと、つまり「存在する人間」を論じるのではなく、人間が「人間として存在する」ことの意味を考えていくことが、わたしの大きな課題です。
そして、さまざまな制約が存在する現状の下で、いかにして人間は自分の制約をどれほどまでに克服可能なのか、つまり今日の状況の中でどのように「実存する」ことができるのかを考えていくことがその先の課題です。
 まず第一の課題へのアプローチには現在の人々と宗教のかかわり(宗教現象)も非常に大切な要素になります。そこで、西欧からみた「世界の宗教」といったつい最近までの古い枠組みをみなおすことが必要になります。そして新たな枠組みの実現を可能にするのはまさに須賀のいう「シモーヌ・ヴェーユの『世界を横につなぐ思想』」であると考えます。

(『如来像』 あや作)

(イエス・キリスト) (『ペテロとはなすパウロ』 レンブラント画) (シモーヌ・ヴェーユ)

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