『番外:独白』 -6完
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「最後の夜…抱いてくれていたよね…一条さん。
どこまでもどこまでも、深く抱き合って…離れたくなかったね…。
俺は、すごく愛していましたよ…今も、とても愛していますよ。
帰ってきてください…俺は、帰ってきましたよ。
あなたも…帰って…俺の元へ。俺の腕の中へ…帰って…?
あなたを…抱いて眠るのが…俺、しあわせ…一番、しあわせ…
あなたが、俺の腕の中にいる…それだけが、しあわせ…。
だから…帰ってきて、帰ってきて…俺の腕の中に…帰って…」
かすれた喉が呟く声は、またとぎれる。
話し続け、呼び続けた五代は疲れきって…また呼ぶ。もううわ言のようだ。
脈絡もない、思いつくままの愛の言葉…。
五代から薫へ…薫から五代へ…交わされてきた想いの嵩…。
俺は、起き上がった。
もう明け方だ。血圧計を見て、俺は息を吐く。
薫…とうとう帰って来たな…。
「おい…血圧が回復してきたぞ…。」
五代がぱっと振り向く。歓喜の色が、素直な表情に溢れて…唇は開かれたが、五代は何も言えなかった。
ゆっくり五代は立ち上がり、眠る薫を見つめて、そっと手を伸ばす。
鼻のチューブに触れないよう気をつけながら、頬を撫でた。それから、屈んでその頬にくちづけた。
もう…俺のことなど、おかまいなしだ。だが、それでいい…。
「もうすぐ…目を覚ましてくれますよね…
そして…俺を見てくれる?俺を呼んでくれる?
一条さん…俺は帰った…ここにいる…起きて…」
信頼と崇拝と賞賛と…すべてを込めて、五代はもう一度くちづける。
俺は、見ていられなくなり、目を逸らして背を向ける。もう眠気はなかったが、他に身の置きどころはなく、俺は簡易ベッドに横になる。
もうじき朝が来る。薫…おまえは目を覚まし、恋人を見つけるだろう…。
五代の腕の中へ…待ち焦がれている五代の腕の中へ…帰っていく…。
俺も、嬉しい。だが…やはり、少しは妬けるよ、薫。
俺の腕の中に…おまえはいたこともあったのだから。
おまえは幸福ではなかったかもしれないが、俺の腕の中にいたことも…あったから。
幸福に…してやりたかったんだがな…俺は…薫。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は、補習をすべて取り止め、薫と下校するようにした。
昼休みも一緒に飯を食い、共に過ごした。
勉強は夜すればいい。時間がなければ、睡眠を削ればいい。薫を理由にして、受験を失敗する気など、全くなかった。かえって集中が増して、能率は上がったぐらいだ。
薫は何も言わず、俺の態勢を受け入れた。
俺は、澤木に報告しに行った。
「澤木と話したい。呼んでくれ。」
社長とは直にお話しはできません…という感じで、取次ぎに出てきた子分が俺をねめつける。
「ああ?なんだぁ、てめぇは?」
「いいから、呼んでくれ。」
「なんだとぉ…」
澤木…頼むよ、と目で探すと、気付いて席を立って来る。
俺に迫っていた子分の頭を無造作に掴み、引き剥がすように横に退けた。
「あっ澤木さん!こいつが…!」
「こいつは…いいんだ…。」
「あっはいっ!」
澤木の言うことはよく聞く。しつけがいいな…と感心する。
澤木が顎をしゃくったので、俺たちは廊下に出た。
「俺が表に出る…。」
こいつには、挨拶は無用だ。余計な言葉も要らない。
俺の言葉に、澤木は少し眉を上げ、問い正す表情になる。
これは…つまり、よく薫が納得したな…ということだろう。
「俺に…惚れてるわけじゃない。
俺が、頼んだんだ。」
澤木は、僅かに頷いた。
「澤木…俺が手に負えない時は、頼む。」
澤木は、俺を見ていた。
それから…俺の肩をひとつ叩き、教室に引き上げていく。
会見終了。裏は任せろ…おめぇは頑張れ…そんなところだろう。
あいつ、とうとう一言もしゃべらずに、話を済ませやがった…と俺は笑い、肩をさすりながら、引き上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺がそばにいるだけで、やはり薫に接近する者の数は減る。
近付く者がいれば、俺はもう、露骨に睨んだ。近寄るな…俺のものだ…俺は実際、そう思っていたから、そういう態度をとった。
やがて、一条がとうとう落ちた…やはり、相手は椿だ、という噂が広まり始め、ますます都合がよくなった。
「椿…」
並んで校門を出ながら、薫が言う。
「一年の女子が…毎日、手紙をくれる。もう一ヶ月ずっとだ。
椿の名前を出していいか?」
「何て言うんだ?」
「恋人だ、と言う。いいんだろう?それで…?」
「ああ、いいが…俺が出ようか…?」
薫は苦笑して、首を振る。
「そのくらい、俺でも言える。
ああ…男しか愛せない、というのもいいな…。」
また笑う薫を、俺は見た。
俺は、あれっきり薫に触れていなかった。ただ、薫を守った。
以前と同じように俺たちは語り、俺たちは並んで歩いていた。
だが、薫はどこか変わってしまった。毎日そばにはいるが、薫は遠くなった。どこか閉じてしまい、どこかが荒んでしまった。
孤高の野生動物を、俺は檻に入れてしまったのかもしれない。やはり…薫にとっては、愛してもいない者の為に、したくないことをしていることに変わりはないのだろう。
相手が俺であるだけ、よけい悪いのかもしれなかった。
俺は、こっそりため息をつく。
こうして、毎日そばにいれば、俺はまた乾く。
告白してしまったことで、俺の心の箍は外れてしまっていた。
愛している…と言いながら薫を侵害していた連中と、同じようにはなるまい、と思う程に。
薫が欲しくなる。
靡く髪を捉えたくなる。ひざまづいて、縋りたくなる。腕を引いて、抱きしめたくなる。
また…薫の匂いがする。
愛されて、愛せない地獄に、薫は住んでいる。もう長年、住み慣れている。
そして、俺も…愛して、愛されないという別の地獄に暮らし始めていた。
ゆっくり、季節は流れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そうか…合格したのか。
椿…おめでとう…。」
薫は、静かに笑っていた。
「これで…高校生活も終りだな…。」
「ああ…。」
薫の合格は、もう決まったいた。
まだ浅い春の陽光の中を、俺たちはまた連れ立って歩いていた。
あれ以来…薫は、誰とも寝ていない筈だ…。
俺は、山程撃退してきた。澤木にも、一度頼んだ。
卒業間際になったら、また狂う人間が増えてきた。
あの峰岸も、一時期イカれてしまったいた。
下級生もたくさん追い払った。
まったく、薫の惚れられ方は、異常だった。
だが、誰にも身体を与えることは、なかった筈だ…。
…それだけが、俺の救いだ。
そう思いながら、俺は、俯いて歩いていた。
大学は…離ればなれになる。
そうしたら、今のように毎日近くにはいられない。
それでも、俺は今の関係を、続けるつもりだった。
恋人だと…他人には思わせているが、実はただの友人…。
いや…俺たちの関係は…何と呼ぶのだろう…。
いつものように。
苦しいな…と、俺は思い、薫の横を歩いていた。
「薫…うちに寄らないか?」
俺の口から、突然誘いの言葉が出ていた。
やはり、俺にも受験はプレッシャーだったのかもしれない。何か、羽目を外したいような気分があった。
このまま、薫を帰したくなかった。
「ビールでも買って、祝杯を上げよう。付き合ってくれ。」
「そう…だな。」
何か急に喉が乾いてきて、俺は唾を飲んだ。
あれ以来も、互いの部屋で何回か二人きりになっていたが、俺は指一本触れていなかった。
もう一度、触れてしまったら、俺はもう歯止めが効かない…それは、わかっていた。
告白する前よりも、飢えて、乾いて、耐えている…どういうことだ、と自分を笑いながら。
それでも、薫を守っていられてよかった…と、思った。
今日もまた耐えられるのか…わからなかった。
だが、薫を傷つける者には、なりたくなかった…。
俺は、べらぼうに酒が強い質らしいが、薫はそれほどでもない。
俺の部屋で、話しながら、缶ビール一本ずつを飲み…薫の耳朶が僅かにピンク色に染まっていくのを見ていた。
静かな…相変わらず、口数の少ない男だった。だが、俺の冗談に笑う。応える時には、俺の目を真直ぐに見る。
18歳の春…ほろ酔いの薫は、美しさの絶頂にあった。見られると、気が狂いそうだった。
「これで…俺のボディガード役も終りだ。
学校が違っても、せいぜいそばにいるつもりだが…気をつけろよ。」
「椿…心配するな。」
薫は、苦笑する。
「だが、本当に助かった…ありがとう。」
そう言いながらも、誇り高い瞳が、少し荒む。
檻に入れられて、与えられた餌を喰う獣の自虐…見る度に俺も傷む。
心の痛みを吐き出したくなった。
「守られたくはなかったんだよな…おまえは…
俺の、わがままを聞いてくれたんだよな…」
「椿…拗ねるな。おまえらしくない。」
俯いていた顔を上げると、薫は少し酔って、優しく笑っていた。
そんな顔で見るな…。
そんなに無防備に笑うな…。
息が詰まり、自分を虐める言葉を、俺は吐き続けた。
「結局…好きでもない俺の為に、したくないことをさせてしまったんだな。
俺も…連中と変わりはなかったのか…。」
「椿…酔ったのか?」
このくらいで、酔う筈はない。だが、酔ったような気分だった。
薫の匂いがする。薫がそばにいる。薫が…欲しい。
「変わりないなら…もっと早く、こうすればよかったのか。」
俺は手を伸ばし、薫の頬を撫で、髪を撫でた。
薫は、手を避けず、動かなかった。
「椿…もう…我慢するな…。」
俺に頬を辿られながら、首を傾げ、真面目な低い声が言っていた。
「もう…我慢できない。
もう…駄目だ。全然、我慢できない。
だが、それじゃあ、連中と同じになっちまう。
おまえが嫌だと知っているのに…。」
滑らかな頬に触れた指を、離せなくなってしまっていた。
俺は、しゃべりながら、薫の顔を辿った。
前に乗り出して、唇でも触れた。すると、唇も離せなくなってしまった。
「椿は、ずっと苦しそうだ。
俺は…椿なら、いいよ…。」
ボディガードへの謝礼のつもりかよ、お情けで身体を頂く程、飢えてはいないね…と、言いたかったが、あいにく俺は餓えきっていた。乾ききって、干涸びていた。
「抱かれれば、惚れるのかもしれないし…」
思い付いた、というように笑う目に、哀しみの影がかすめる。
「薫…いいのか…?」
薫は、僅かに頷いた。
俺は立ち上がり、薫の腕を取って立たせた。
すぐ後ろが俺のベッドだったから、座らせておいて、抱きながら、横たえた。
足も上げさせておいて、上から覆い被さる。
すでに女を抱いたことはあったが、男を抱くのは初めてだった。
両手で頭を挟み、薫を見つめた。そして、唇を奪う。薫は、目を閉じた。
「薫…薫…薫…薫…」
優しくゆっくりするつもりだったのに。
名を呼び始めたら、箍が外れた。
やはり、止められなくなっていた。
薫の肌は白く滑らかで、触れたらもっと触れたくなった。
俺は、シャツのボタンを外し、はだけさせ、もっと触れたくて、やがてはすべてを剥ぎ取った。
やはり、奪ってしまう…と、心のどこかで泣きながら…俺は、奪った。
薫の腕は俺を抱き返さなかった。ただ目を閉じて、声ひとつあげずに横たわり…俺に、与えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
思っていたとおりに。
一度抱いてしまったら、俺は堕ち、俺は狂った。
薫…これは、逆効果だ。
これでは、ますます忘れられず、これでは、ますます離れられない。
だが…離れる気なんかないんだから、これでいいんだ…俺は、そう思った。
高校を卒業し、大学の入学式を待つ春休み…俺は、毎日薫を誘い、毎日薫を抱いていた。
大学生になっても…始終、俺は誘い出した。
薫の部屋で、俺の部屋で…どちらも不都合な時は、ラブホテルで…。
俺は、薫の身体に溺れこんでいた。
だが…薫は、決して燃えなかった。冷えたままだった。
手や口で追えば、勃って放つ。その時は、僅かに苦し気に眉を顰めるが、その他は何をしても、反応がない。ただ、目を閉じて俺に抱かれ、揺すられている。
「薫…おまえは、不感症か?」
最初のうちは、俺は笑って訊いていた。
「快感がないことは、ない。
俺は、ずっとこんなふうだ…普通は違うのか?」
俺の腕を枕にして、真面目に訊き返す薫に、俺はまた笑う。
「まぁ…だんだん良くなるんだろうな。
俺が、これだけ可愛がっているんだから…。」
俺はまたくちづけて、薫を愛し始める。
いつかは、惚れてくれる…いつかは、感じてくれる…
俺は、まだ信じていた…。
だが…薫は変わらなかった。むしろますます冷えていった。
抱く度に、望みは枯れた。
俺が誘えば、薫は拒まずに抱かれる。冷たい身体を、俺に差し出す。
それでも、僅かずつ…煩わしい顔をするようになった。瞳は凍っていった。心は閉じられ、愛はますます遠離った。
抱いていても、なぜこんなに遠いのか…。
手の中にあるのに、なぜこんなに俺は餓えなければならないのか…。
いつまでこんなことを続けなければいけないのか…俺は、わからなくなっていった。
俺は倦み疲れ、荒れ果てて、次第に残虐になった…。
「椿…痛い。もう、やめてくれ…。」
いつものラブホテルで、何度めかの事に及んでいた…。
あれは、二十歳の春だった…。
「今日は、もう帰らないと…。」
俺を受け入れながら、平然と、薫はしゃべった。
「今日は…帰さない。」
俺は引き抜き、また激しく腰を叩きつけた。
腕の中の身体が僅かに仰け反り、眉が歪む。
薫は、後ろに入れられることは、好んでいなかった。俺を受け入れる時には、薫は萎え、いつもかすかな苦痛を見せた。
その苦痛の表情だけが、俺に抱かれている反応だった。
「痛い。」
「薫…他には言えないのか…?他には感じないのか…?」
俺は一層大きく動いた。無性に薫を苦しめたかった。
「椿。やめてくれ。」
目を開き、冷静に言っていた。
だが、またきつく捩じ込まれて、眉を顰め、あきらめたように目を閉じる。
「それだけか…他に言うことはないのか。
おまえの昔の恋人が言っていたな…氷でできた人形だと…
愛はないのか…心もないのか…この綺麗な身体の中に…
あんなにたくさん惚れられて…俺にもこんなに惚れさせて…
何も感じないのか…このアイスドール…アイスドール…」
駄目だ…やめろ…と思うのだが、もう俺は止まれなかった。
「何が不満だ、言ってみろ!
おまえだけ…おまえだけに惚れ続けて…
何でもしてやる…何でもやるのに…
この売女!ビッチ!雌犬!泥棒!」
しゃべり続け、やがてはわめき続けながら、俺は薫を犯していた。
「…椿…やめてくれ…」
薫が囁く。薫の首が、ぐらぐら揺れる。
それでも、俺は歯を食いしばり、腰を叩きつけていた。
薫の体内はなま暖かいままで、何も反応しない。
「こんなに狂わせて…愛のかけらもくれないのか…
よがり声のひとつも出せないのか…勃たせもしないのか…
おまえには心がない…氷でできた…人形だ…
ダッチワイフのほうがよほどマシだ…」
薫はもう、何も言わなかった。
本当に人形のように、壊れた人形のように、ぼろきれのように、揺れていた。
俺は、やがて、ののしりながら達した。
解放した身体は、動かなかった。投げ捨てられたまま…薫は横たわっていた。
(俺は…何をしている…。)
「薫…すまない…。大丈夫か…?」
薫の身体には、触れられなかった。
愛すると同時に、深く憎んでしまっている己を…俺は、知る。
(俺は…何をしている…。)
「抱かれれば…快感は、あるよ…椿…」
俯せに投げ出されたままの薫が、呟いていた。
「だが、辛いのは…椿…おまえだ…」
「薫…」
俺は、ベッドに腰かける姿勢で、頭を抱えてうめいていた。
「椿、すまない…友情はあるが、やはり愛情はないんだ…」
「わ…かって…いる…」
薫が身動きし、起き上がる気配がした。
「あ、つ…」
痛みにうめくのを、俺はぼんやり見ていた。
薫は、ベッドから降りて立ち上がり、俺の前に立った。
内股に、血が一筋流れ落ちていく。
澤木…やっぱり、俺にもわかったよ…
傷つけずにはいられない…おまえの気持ちが、やっとわかった…
決して…わかりたくはなかったのに、な。
「傷つけてしまったな…薫…」
おまえを守りたかった…それなのに…。
「す、まない…痛むか…?」
薫の血から、目が離せなくなってしまった。
とうとう、俺が流してしまった…薫の血を。
「椿…怪我はたいしたことはない…。顔を上げてくれ。」
薫に呼ばれ、俺はのろのろと顔を上げる。
「椿…痛むのは、辛いのは、おまえだ。
だから…もう、よせ。」
薫は悲しそうに、真剣に俺を見て…案じていた。
「俺には返せない…おまえが苦しむ…
だから…もう、やめてくれ…」
薫は手を伸ばして、俺の頬に触れる。
薫から触れられたのは、初めてかもしれない…と、俺は思った。
(とても…駄目だったんだな、最初から…)
ただの友人でいた時のほうが、俺たちは近くにいた。
愛を告げる前のほうが、俺たちはたくさん笑っていた。
抱くたびに、おまえはますます遠くなった。
もう一度…あの日に帰りたい…。
「友情は…まだ、あるのか?」
かすれた声で訊ねると、薫は頷く。優しい目をしていた。
「変わらない…俺は、頑固なんだ…。」
「そうか…。」
俺は、薫を見上げていた。
美しい俺の女王。花のような俺の恋人。冷たく輝く俺の女神。
俺は、おまえが…欲しかった。
だが、方法を間違えた…。
「そうか…じゃあ、俺は友人に戻ろう。」
言ってしまったら、憑き物が落ちたような気がした。
まだ…苦しい。とても苦しい。
だが…俺は、おまえの友人に戻ろう。
一番の親友に…戻ろう。
そうすれば、俺は二度とおまえを失わない…。
そうなんだな…?
俺は、笑った。
「少しだけ、時間をくれ。
そして、俺は…戻るから。」
薫は戸惑い、気遣う顔をした。
「二度と、会えなくても…しょうがない、と思う。」
「それは、嫌だな、俺は。
俺は…必ず戻る。」
俺の執着に付き合わせてしまった…辛抱強く、ここに至るまで寄り添っていてくれた。
薫…ありがとう…まだ、心を開かなかったおまえへの恨みも憎しみもあるけれど。
最初から、わかっていたことなのかもしれない。おまえの運命は、俺ではない…。
俺は、友人に戻ろう。最初から定められた場所へ、俺は帰ろう…。
俺は、深呼吸をひとつした。
「もう…ガードはできないぞ。自分で何とかしろよ。
だが、自分を粗末にするな。」
薫は頷いて、少し笑う。
「もう、昔程ではないんだ。知っているだろう?」
そう…俺たちはすでに少年期を脱し、薫も変貌していた。
出会った頃の、妖しく繊細な美しさは、青年らしい逞しさの中に隠れていこうとしていた。
生涯の目標を見定めた、強くしなやかな男の姿が、目の前にあった。
そんなことも俺は気付かずに、俺は己の執着に埋没していた…。
もう、守る者は要らない。
おまえが守る者になるんだな、これからは…。
俺は、立ち上がった。
「薫…もう一度だけ…
それで、最後だ…」
薫は頷き…俺は、抱き、くちづけた。
僅かに唇は開いたが、薫はやはり抱き返しはしなかった。
この強情っぱり…この頑固者…
俺は、おまえを愛し続けるだろう…
愛し続けられる場所に…俺は…戻る…
「シャワーを浴びてこい。
俺は…その間に、帰る。」
俺の腕を離れた薫は、俺を見つめ…それから、頷いた。
「椿…じゃあ、また。」
俺も頷いた。
「薫…またな。」
薫は全裸のまま、バスルームに消えて行った。
俺を振り返ることは、なかった。
それが、薫を抱き、薫に執着して過ごした二年間の終りだった。
俺は、半年程、薫に会わずに過ごし…そして、友人に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「椿さん…目を、覚ますかも…」
五代のかすれ声が、俺を呼んでいた。
いつの間に、朝日が差し込んでいた。俺は、眠っていたらしい。
集中治療室にも光が差し込んで、明るい。
俺は、起き上がり、五代の横に立った。
見守るうちにも、五代に握られた薫の指がかすかに動き、眩しそうに睫が震える…。
薫…夢を見ているのか。
俺も、なんだか長い長い夢を見た。
おまえと出会ってからの、長い夢…。
友人として出会い、また友人に戻った…おまえとの長いつきあいの夢…。
「一条さん…もう、朝だよ。目を覚まして…
俺、帰ってきましたよ。目を開けて、俺を見て…
おはよう…一条さん、椿さんもいますよ…」
五代が、また低く甘く呼びかけ始めていた。
関東医大病院の、俺の元におまえはこの男を連れて来た。その初めての時…。
薫…おまえは、自覚していなかったのかもしれないが…。
俺には、すぐにわかった。おまえは…とうとう、見つけたのだ、と。
薫のあんな表情は、見たことがない。
労りながら、慈しむように、おまえは五代を見て、微笑んでいた…。
愛しくて、可愛くてしょうがないのだ…と、瞳に顕われていた…。
おそらくおまえ自身も気付かない程に、自然な愛がすでに育っていた。
おまえが胸の中に秘めてきた、柔らかく優しい花が、とうとう開き始めていた。
あんなおまえは、見たことがなかった。
誰にも注がれることのなかったおまえの心は…この男の為にあった。
なぁ…五代…もしかして…。
クウガになり、他人の命を守ることが、最初から…おまえの運命だったとしたら。
薫も、最初から…定められていたんじゃないのか…?
おまえを愛し、支え、守る為に…とうとう最後に助ける為に…薫は、最初からおまえの為に、用意されていたんじゃないのか?
だから、こんなに美しくて…おまえと出会うまで、誰も愛せずにいたんじゃないのか?
おまえの為に、念入りに準備されていた天からの贈り物なんじゃないのか?薫は…。
そして、俺は…その薫を守る為に…?美しいまま、おまえの手に渡す為に…?
いや、馬鹿馬鹿しい…こんな考え方は、やめよう…。そんなのは、なんだか腹が立つ…。
さぁ…ほら、五代…俺たちの眠り姫が、目を覚ます…。
おまえの愛しい、俺も愛しい命が、甦る…。
大切にしてくれ…俺が見守り、愛してきた…俺の女王だ。
おまえに渡す…連れて行け。
けれど、この美しい男の、生涯の友は…この俺だ。
おまえは、俺の代わりにはなれないさ…ざまぁみろ。
さぁ、薫…目を覚ませ。俺たちが、待っている…。
やがて…明るい光の中で、薫は目を開け、五代を見て微笑んだ。
(番外:独白 完)
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