〜EPISODE47【決意】より〜 その2
◇◆◇
同棲を持ち掛けられ、雄介は揺らぐ気持ちを何とか抑えて、それから二週間は、以前の通り時折、一条の部屋を訪れていた。
明日が一条の休日だとカレンダーでチェックしてポレポレを出たのは、もう夜中だった。
最近は、一条との時間が輪をかけて切ない。勿体無いほど速く過ぎてしまう。
一条の清廉さには磨きがかかり、何度体を繋げても決して穢れることがない崇高さは、雄介にとって益々神々しいものになった。
(近頃の一条さんって、透き通るようだもんな〜。なんか儚げで…。オレがあんなこと言っちゃったからだよなぁ…)
未確認生命体は、丸々一ヶ月、姿を現わしていなかった。残るは第〇号のみだとの見解はさらに深まり、気象庁にも協力を要請し、科警研では第〇号検知レーダーシステムの開発に着手していた。完成には未だ暫らく掛かるとの話だった。
(でもまぁ、一条さんがそういう風に見えるってことは…、いよいよ…なんだな…)
唐突に、雄介は、鋭い視線を感じた。
(! まただ! …ヤツだ! ヤツが近くにいるんだ!)
雄介はバイクを急停止させた。バイザーを上げ、辺りを窺がった。
近頃は、一条よりむしろ、その視線を送る主に、強く心を惹かれることが頻繁に起っていた。無論、恋愛感情などではない。相手に心当たりは、当然ある。第〇号だ。
(ヤツが…オレを待ってる…。しかし、何を…!?)
闘いたいのなら、目の前に顕れて、仕掛けて来ればいい。なのに、ただ、戦慄の走るような視線を送ってくるだけで、姿を見せない。
もう、気配は消え去っていた。速まった鼓動を宥めるように気を取り直し、再び、雄介はバイクを走らせた。
目的地に着くと、一条は入浴中だった。
雄介は、一条がちゃんと夕食を摂ったか、キッチンでチェックした。シンクに、タッパーが洗って伏せられているところを見ると、作り置きのおかずを解凍して食べたようだ。念の為、ゴミ箱の中の残飯も見てみた。インスタント味噌汁の殻と、レンジで温めて食べる米飯の容器があるだけだった。
「ちゃんと食べたよ」
リビングの入り口で髪を拭きながら、苦笑交じりに、パジャマ姿の一条が佇んでいた。
「あれ…、もう上がったんですか? さっき、水音が…」
「足し湯だよ。おまえがもうそろそろ来る頃かと思ってな。丁度いい、入って来いよ。外、寒かっただろ?」
「もう、バリバリ冷え込んでますよー! 今日はお客さんが多かったから、こんなに遅くなっちゃって…。待たせました?」
「俺も遅かったから…」
「…じゃあ、風呂で温まって来ますね」
「ああ」
早速、雄介のためのタオルを用意しながらも、浴室に向かう雄介の、通り過ぎざまに見えた、レザージャンパーを脱ぎかけた逞しい肩口に、一条は目を走らせた。
(…遠くなった…、…俺の…五代が…)
二週間前の雄介の告白から、一条は時々、切にそう感じる。
溜め息を噛み殺し、すっかり雄介の部屋着と化したスウェットスーツを、クローゼットの抽斗から出した。
そのスウェットシャツを見る度に、一ヶ月前のジョギングを思い出す一条だった。
「もっともっと強くなりたいと思ってるんです。ヤツには究極の力を出さないと勝てそうにない気がして…」
雄介の言った科白も同時に甦り、つらくなるのだった。
(…もう、…誰にも…止められないんだ…)
頭では理解しているのだ。雄介にしか出来ないことだと。
割り切れていないのは、一条の、初めて識った恋心と情だけだった。
(それが運命だと言うのか? 神だろうと叛けるこの想いは、では、どこに遣ればいい…?)
◇◆◇
「はい、終わり」
「ああ、すまない。ありがとう」
一条の足の爪を切り終えた雄介は、後始末に掛かった。
飛んだ爪の破片がないかチェックしている雄介の背中に、一条は、その男が背負っている宿命の苛酷さに思いを馳せた。
もし、自分がクウガだったら…、何度もシミュレートした一条だった。
(きっと自滅していただろう。いくらアマダムがコントロールしようと、もっと強くなるために、自分の心臓を停めるなんてことは、…出来なかっただろう。…みんなの笑顔を守るために、…闘うために…なんて。…俺の薄弱な意思では、精々が…)
「どうしました、一条さん?」
雄介が首だけを捻って、一条を見ていた。凡てを包みこむような、優しい眼差しだった。
「…! いや…」
(おまえがクウガだからこそ、俺達は…愛し合えた。…違う出逢い方をしていたら…、どうなっていたんだろうな…?)
一条の隣に座り直し、雄介が一条の肩を押しながら、二人で横たわった。
「…一条さん、憶えてます? 「それしかないなら仕方ないだろう」って一条さんが俺に言ったこと…」
大人しく仰臥し、天井をぼんやり見ていた一条が、「ああ」と思い当たったように言った。
「…赤の金の力を出すしかなさそうだって、おまえが相談した時だ…な?」
「そうそう。……で、今度も、そうなんです」
雄介は片肘で自分の上体を支え、一条の顔を見ながら言った。
「それしかないなら、…やるしかない…ですよね」
一条は、急速にぼやけてくる視界の中の雄介を、確りと見た。
「……」
「…賛成……今度は、…してくれないんですか?」
「…俺が…賛成しなくても、…おまえは…やる気だ…」
「…オレが終わらせないと…、…一条さんにも危険が迫ってるんですから…!」
思いも掛けなく語尾が激昂してしまった雄介は、決まりの悪い顔をした。
「オレ…、自分を奮い立たせる呪文を持ってるんです」
一条のこめかみに流れようとしている涙を啜った雄介は、好色そうに唇舐め擦りすると、一条の耳もとに顔を埋めて囁くように言った。
「オレの代わりに一条さんを誰かが抱いても良いのか?」
一条は「あぅ」と喘いで、身を捩じらせた。
「ほら…、こんなに淫らなカラダにしてしまったのは…オレですからね。誰かが一条さんを抱くかもしれないって思っただけで、…オレ、沸騰しそうですよ、脳味噌が」
一条は、信じられないと言いた気な眼で、雄介を見た。
「だから、死ねないと思うんです。でも、このまま終わらないと、一条さんも緊急召集を気にして、いつまでも愉しめないでしょう? …だから、終わらせたいんです」
「…でも…それで…もし…」
耳から首へと熱烈な愛撫を受け、次第に呂律が妖しくなってきた一条は、それでも言葉を継いだ。
「堪えられない…もうッ …考えただけで…狂い…そうだッ」
「一条さんはオレに「クウガにならないでくれ」って縋る日が来そうって困ってた。オレは一条さんに「刑事を辞めてくれ」って、ずっと言いたかった。……無理でしょう、言ったって? 一緒に地の果てまで逃げたって、無駄でしょう? …もう、終わらせるしかないんです、オレが」
雄介は一条の体をうつ伏せにした。双丘を割り、蕾に舌を這わせた。
(刑事を辞めろ、だと? おまえを…手放せと言うのか!?)
そうではない事くらい、一条にも判っていた。雄介は第一線で命を張る一条のことを心配して、辞職を匂わせたのだ。
(じゃあ、…同じなのか…)
お互いがお互いを必要として、執拗に心配している。お互いの死を前提として、お互いの生に執着している。
(そう、俺がクウガだったら、みんなの笑顔のためなんかでは闘えない。愛するおまえを守るため…。それなら最期まで…)
「一条さん、もう余計なことは考えないで…」
(ああ…、わかったよ、五代。…それなら…同じことだ。…それしかないなら…仕方がないじゃないか…)
一条は自分を解放した。吸い込んだ息を、永く喘がせた。
「一条さん…一条さん…」
(おまえの苦しみが染み込んでくるようだ…。ああ、五代…、漸くわかったよ…)
うわ言のように自分の名前を連呼する雄介を、一条は全身全霊で受けとめた。
「一条、…悩むな、これ以上。おまえが迷えば、アイツだってつらいぞ」
椿の言葉が一条の脳裏で甦った。
(そうだな、椿。やっと解ったよ…。…つらい…な、五代…)
「きつ…ぃ…。もっと…緩めて、一条さん。…持たない、これ…じゃ…」
「何度でも……往けばいい……。ご…だい…」
「…ああ…ッ」
(救ってやる、五代、俺が。…俺が、…見ててやる、最期まで…)
◇◆◇
「ありゃ…、雨だ…」
窓際に裸のまま立った雄介は、カーテンの隙間から外を見て呟いた。遅い朝にも関わらず、宵のように暗い空から篠突く雨が降っていた。
ジョギングに出掛けられないと判断して、雄介はニヤついてベッドに戻った。
「一条さん、今日はゆっくり、しっぽり濡れちゃいましょう」
半覚醒だった一条は、再び軋んだベッドの中で、雄介が自分の股間を玩んでいるのに気付いた。
「まだ勃つのか?」
「一条さんは、もうダメ?」
やおら一条の股間にも手を伸ばし、雄介は扱き出した。
昨夜、いつもの失神がなかった一条に気を良くした雄介は、自分のほうがバテるまで、一条を付き合わせた。二人とも、一体何度達したか、わからない。精も根も尽き果たしたという言葉通りになるまで一条を貪り、雄介は久々に充足して眠りに就いたのだ。
「あらら、二人してダメみたいです…」
お互いのペニスは、眠ったままだった。
一条は、雄介に悟られないように、心の奥底でそっと安堵した。
(ったく…! 絶倫にも程があるぞ! アマダムの統治下じゃないのか、その股間は!)
二度寝を決め込み、雄介に背中から包まれるように抱かれて、一条は目を瞑った。
雄介は心がざわめいていた。
一条の肌に密着している部分だけが暖かい。背中から冷気が忍び込んで来るような感じがした。
寝室は適温に設定した暖房のおかげで、寒さなど無縁の筈なのに、布団の中に氷柱でも入れられたかのように、背後が厭に冷たかった。
(悪寒とも違うしなぁ…)
暢気に考えていた雄介は、その時鳴り出した一条の携帯電話に、ビクリと身を強張らせた。
一条は跳ね起きた。ベッド脇に手を伸ばし、携帯電話を掴んで雄介を振り返った。
雄介は、もう下着を穿き出していた。
「一条です」
応答する一条の表情が見る間に緊迫した。
「…炎上…!」
愕然とする一条を見て、雄介は確信した。第〇号がついに出現したのだ。
目と目が交錯した。一条の瞳が震えている。余程の事件が起こったのを、雄介は見て取った。
一条が電話の回線を切ったのと同時に雄介は訊いた。今にも駆け出して行きそうな勢いだった。
「場所は?」
「……」
「一条さん、しっかりして。場所はどこなんです?」
呆然としたままの一条の肩を揺すり、雄介は更に尋ねた。
「……」
「じゃあ、オレ、行きます」
雄介は一条から聞き出すことを諦めて、レザージャンパーの袖に腕を通しながら踝を返した。
「五代!」
我に返った一条は、慌ててベッドを出た。玄関でレーシングブーツを履いている雄介の背中に、漸く追い付いた。しかし一条は、その場で動けなくなってしまった。
「行ってらっしゃいのキスを」
そう言って振り返った雄介は、満面の笑みを湛えていた。
雄介は、青褪めた顔で立ち竦んだままの一条の裸体を引き寄せ、魂まで吸い取るような濃厚で激しい口付けを与えた。
一条は、雄介の背中に腕を回したかった。しかし、身動きどころか、息が詰まるほどきつく抱き締められていて、叶わなかった。胸に食い込んでくるレザージャンパーのファスナーが、痛くて冷たかった。
両の腕の中から一条を解放するのに、雄介は、もの凄い努力を要した。離したくなかった。けれど、行かなければならなかった。
(ヤツが…オレを待っている)
心だけ残して、体を引き剥がし、やっとの思いで一条の裸体を放した。
「行ってきます」
厳粛な顔で、一条は肯いた。それだけが精一杯だった。言葉は出なかった。唇が痺れていた。
ドアが開き、外の冷気が足元から入り込み、激しい雨の音が耳を覆った。
雄介の背中が消え、ゆっくりと扉が閉まり、雨音が遠くなった。
一条も現場に急がなければならなかった。なのに、根が生えたように、その場から動けなかった。
昨夜、自分に誓った筈だった。自分が雄介を最期まで見届ける…と。逆の立場だったら、自分も雄介と同じように救いを求める…と、気付いた筈だった。
(行かなくちゃ…)
懸命に気力を奮い起こした一条だったが、緩慢な動作にしかならなかった。
水の底を歩いているような感覚で、寝室まで辿り付いた。
乱れたシーツが目に入り、息苦しさを覚えた。
散乱したパジャマやスウェットスーツを見て、膝が折れた。
(戻って来るよな? ここで…また、…奥さんしてくれるだろう?)
カーペットに爪を立てた。崩れそうになる身体を支えた。
(五代…!)
◇◆◇
第〇号の威力は、想像を絶するものだった。
無邪気に笑いながら手を振り翳し、総てを焼き尽くしていた。
雄介も、焼かれた。全く歯が立たなかった。黒い金の姿でも、近付くことさえ出来なかった。
今、水溜りの中で激しい水蒸気を上げたのは、自分の体だとわかっていた。
つい先程、超絶的な雷光を浴び、致命傷を負ったこともわかっていた。見苦しくも甲高い悲鳴を上げたのは、雄介だったのか、アマダムだったのか…。
「どうしたの? もっと強くなって、僕を笑顔にしてよ」
媚びるように甘い声で、第〇号は雄介に語りかけた。
目の中に雨が降る。遠退きかける意識を必死で繋ぎとめ、滲む視界の中、第〇号を見据える。
それに向かって、雄介は手を伸ばした。息も絶え絶えだったが、闘志は残っていた。
だが、第〇号は、青年の姿で悠然と去って行った。足取りは「ツマラナイ。未だ機が熟していない」と言いた気だった。
霞んで狭まってくる視野の中に、凄まじき戦士のイメージが浮かんで消えた。
(そう…だよな…。やっぱり…そう…なんだよ…な…)
パトカーを急停車させて、一条は飛び出した。途端に全身がずぶ濡れになった。
「五代…!」
水溜りに顔半分を浸した恰好で、雄介は倒れていた。
(まさ…か……イ…ヤだ……!)
一条は気力を振り絞って、雄介を抱き起こした。
首に手を当て脈を確かめ、気絶しているだけだということがわかると、天を振り仰いで感嘆した。
雄介は、一条の胸の鼓動を感じた。
(ああ、来てくれたんだ…。…なのに…みっともないな、オレ…。負けちゃった…)
敗北に打ちひしがれた身体に、追い討ちを掛けるように、雨が叩きつけられる。地の底に、のめり込んでいくような気分だった。
(…そうだよ、…終わらせるには……)
「……一条さん、…オレ……成ります…」
一条の腕の中で、雄介は、凄まじき戦士になる決意をした。
‐了‐
EPISODE五〇【青空】(オリジナル)に続いて完結……の予定。
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