〜EPISODE35【愛憎】より〜 その3

     ◇◆◇

 (もう…いいだろう?)
 (気持ちイイー)
 (一条さん一条さん一条さん)
 (うう…うう…)
 (これじゃあ、どっちでも…ツライ…)
 (ヤメサセテ)
 (一条さん一条さん一条さん!)

 「一条さん!」

 雄介は我が目を疑った。
 目の前に投げ出された一条の裸体は傷だらけで、至るところに血が滲んでいた。しかも、精液の臭いと汚れが著しい。
 ぐったりと死体のように動かない一条の上に突っ伏していた雄介が、致したことに相違なかった。
 「一条さん!」
 ガンガンする頭に、様々なことが蘇って来た。
 「オレ…オレは…! なんてことを…」
 震える両手を見つめ、雄介は、その掌の中に顔を埋めて慟哭した。
 ここに来てから見えていたことを総て思い出していた。
 何かに操られるようにして、一条を引き裂いた自分が許せなかった。支配されてしまった自分が情けなかった。どうにも悔しかった。悲しかった。
 留めどなく流れる涙が一条の胸元に滴る。暗く長い洞窟をやっとの思いで脱出したと思ったら、瀕死の一条が自分の精液にまみれ下敷きになっていたなんて、遣る瀬無さ過ぎる。
 いつかこんなことになるのでは…という漠然とした危惧が現実のものになってしまい、雄介は絶望した。
 「うわああぁぁぁぁ! うをおおぉぉぉぉ!」
 喉も裂けよとばかりに、叫んでみた。ケモノになり下がってしまったのなら、ケモノらしく咆哮したいと願った。本当に狂ってしまいたかった。この現実を直視したくなかった。
 でも、浸っても酔ってもいられなかった。一条を助けなければならなかった。償わなければならなかった。
 「ああ、そうだ! 死なないで…一条さん!」

 一条の熱は高かった。震えていた。
 雄介はあちこち部屋を探索し、ベッドのひとつに一条を寝かせた。
 湯を沸かし、ストックされていたペットボトルの清涼飲料水を捨て、たくさんの湯たんぽを作って一条の体の周りに置いた。ストーブはなかったのでエアコンの限界まで温度を上げ、先ずは一条に汗をかかせた。
 冷蔵庫の電源を入れ、氷を作った。
 林檎を絞り、見つけ出した鎮痛解熱剤を潰して果汁に溶かし、口移しで飲ませた。
 ひと汗かかせたところで、抱きかかえて風呂に入れた。
 別のベッドに寝かせ、もう一度、薬を同じ方法で飲ませた。
 出来立ての氷水でタオルを絞り、一条の額を冷やした。
 救急箱を見つけ出し、怪我のあるところを優しく消毒し、化膿止めの軟膏を塗った。
 何かしている間は冷静でいられた。
 雄介が我に返った時は真夜中だったが、何日かは知れなかった。
 翌日、一条は昏々と眠り、雄介はつきっきりで額のタオルを交換し続けた。
 空腹を覚え、ストックされていた乾麺のうどんを茹でた。
 一条が目を覚ましたらすぐに食べられるように、煮崩しも作った。
 二日目の朝、一条の熱は下がったようだった。苦しげだった呼吸も正常になっていた。
 念の為、救急箱の中に入っていた体温計で確かめると、平熱に落ち付いていた。
 ホッとした雄介は、今度は自分のために風呂に入った。髪の毛が針金のようになっていた。
 湯船に湯を張っている間、ぼんやりとしていたら、人影を近くで見たような気がして、ハッとした。洗面所にあった鏡に映った自分の胸像だった。改めて見て愕然とした。
 人相がすっかり様変わりしていた。不精髭が顔の下半分に斑に生え伸び、眼窩は落ち窪み、瞳には力がなかった。
 どんよりとした眼を、いっそ抉り取りたかった。
 (この眼は何を映して愉しんだ!?)
 震える両手が雄介の顔に伸びて来て、頬をがりがりと引っ掻いた。
 (この手は何を掴んだ!? この面を誰に晒した!?)
 顔の皮膚が何ヶ所か破れた。爪から血が伝って滴り、見る見るうちに、洗面台が赤く染まった。
 (オレは…一条さんを…汚した……! もう…ダメだッ)
 いよいよ眼球に指を突っ込もうとした時、雄介は硬直した。
 雄介本人の意思ではなかった。
 雄介の知覚のスイッチが切られた。無意識の内に、洗面台の蛇口を捻り、血を洗い流した。
 (ああ…そうだ。風呂…)
 雄介は何事もなかったかのように、平然とした態度で着衣を脱いでいった。
 洗面台と手の血は跡形もなく洗い流された。そして、雄介の顔にも、傷ひとつ残っていなかった。
 皮肉なことに、それは、聖なる石、アマダムの力の為せる技だった。

     ◇◆◇

 これも夢か、と思った。一条は、ベッドに寝かせられていた。見慣れない天井が目に入り、すぐにここが生田家の別荘だということはわかったが、エアコンディショニングされた知らない部屋のベッドの上で寝ていたことが、俄かには信じられなかった。
 上掛けの夏蒲団を剥ぐと、やはり全裸のままだったが、不快感が消えていた。発熱による悪寒や頭痛もなく、汚れた体もすっかりきれいになっていた。
 (…あっちのほうが…夢だというのか? いや、まさか…。そうだ、たくさん怪我をしていたはずだ)
 そう思い、すぐに喉もとに手をやった。痛みはないが、かさぶたが手に触れた。背中に意識を集中した。引き攣れたような箇所があるように感じた。
 (たくさん…やられた…)
 羞恥に赤くなりながら、尻を意識した。
 (そうだ! 五代は!?)
 自分でベッドに入った記憶がないということは、雄介が連れて来てくれたんだろうし、こんなに具合がいいということは、雄介が看病してくれたんだろう…と思った。
 (それとも、誰か来たのか?)
 一条はベッドを出た。そろりと怖々一歩踏み出すと、ちゃんと歩けた。違和感はなかった。
 広い窓の方に目をやると、薄いレースのカーテン越しに、ふんだんな日光があった。
 (どのくらい寝てたんだ)
 急ぎ足でドアまで進んだところで、裸のままでは…と躊躇いが生まれた。
 振り返って羽織るものを探した。
 と、ドアが開いて雄介が入ってきた。
 「!」
 ギクリとしたことに罪悪感を覚えたが、全身が既に強張っていて、どうしようもなかった。

 雄介もギクリとした。
 まさか一条が起き出しているとは思わなかったのだ。
 (どうしよう…なんて言おう…)
 視線を外し、ドアに背を張り付かせ床のあちこちを見ながら、雄介は困惑した。
 その様子を見て、一条は逆に安堵した。
 (正気に…戻った…んだな…?)

 「五代、何か着るもの…」「一条さん、腹減ったでしょう?」と、二人で同時に喋りだし、
 「ああ、そうだな」「ああ、そうですね」と、同時に答えた。
 笑うしかなかった。しかし、上手く笑えなかった。
 「じゃあ、飯と着替え」声が少し上擦った。
 「はい、すぐに用意します」隷属する者の応え方だった。

     ◇◆◇

 雄介が用意した服を着て、うどんを食べた。ソファーで寛ぎ、一条は人心地ついて、雄介をじっくり観察した。
 雄介は一条の視線を甚く感じいた。でも、目を合わせられなかった。次にどんな罵声が降りかかってくるか、身を竦ませていた。
 「五代…」
 「はい…」
 「…今日は何日だ?」
 「あ、テレビ、つけましょうか?」
 「それより、下界と連絡を取らなきゃ…な」
 「え? ああ…警察……」
 「別におまえを逮捕するわけじゃない。杉田さんに連絡を入れておかないと…。…心配しているだろうから」
 「はい」
 「……どこまで憶えている?」
 「! ……」
 「…五代…」
 雄介は自分の頭を抱えた。髪の毛を毟り取るように力が加わった。ぶるぶると手が震え出した。
 「五代、やめろ。自分を責めて欲しいわけじゃないんだ」
 「く…う…」
 雄介の肩が激しく上下し出した。
 一条は雄介に近づいていった。
 「来ないでッ オレは…もう…!」
 「…いいんだ…」
 一条は雄介の肩にそっと手を置いた。
 「ダメだッ」
 「いいんだ、五代。いいんだ。おまえは……」
 「イヤだ! 一条さんを…オレは…」
 雄介の声が震えた。一条は雄介の両肩を掴んだ。
 「おまえ一人を犠牲にしない!」
 「……」
 雄介の震えが唐突に止まり、忙しかった息遣いも途切れた。
 「……」
 一条は訝った。
 「五代?」
 「……」
 やがて、地の底から響くように、「クックックックッ」と、顔を膝の間に埋め頭を抱いたままの姿勢で、雄介が喉の奥で笑い出した。
 「ご…だい?」
 徐々に甲高くなってくる笑いは、無気味だった。
 「クックックックッ……オレが…クウガだからでしょう…」
 「なに?」
 雄介はゆっくりと顔を上げた。濡れた双眸はギラギラしていた。もう、笑っていなかった。
 「まだ…利用価値がある…。闘わせなくちゃイケナイから、未確認生命体と…。まだ…終わってない…」
 「お…まえ…!」一条は瞠目した。
 「一条さんは…ご褒美なんでしょ? …アイツ等を…殺す度の…!」
 カッときて、一条は雄介の顔面を拳で殴った。
 「オレがクウガだからッ 一条さんは抱かせて呉れてる!」
 ソファーに横倒しになったまま、雄介は言い募った。
 「こ…のぉっ…! 馬鹿っ!」
 一条は黙らせたかった。雄介に馬乗りになり、更に拳を振るった。
 「犠牲…ね…。巧いこと言うなぁー。…誇り高い一条さんが…オレに抱かれてオンナになって…感じて喘いで…全身が性感帯になっちゃって……相手が人類に貢献してる…クウガだから…断れないよね…。オレ…何回でも…イけたでしょ……ヒトじゃないもの、もうバケモノだもの」
 「……五代…!」
 二人ともズタズタだった。貶める言葉は、吐くほうも浴びるほうも、身を斬られる思いがした。

 暫らくして、雄介の横倒しになった体に、一条は密着するように身を投げ出した。
 激しかった鼓動が徐々にアンダンテになり、興奮が治まりつつあった。
 雄介の伏せられた顔を見ながら言いたかったが、一条はそのまま告げた。
 「…その…バケモノを……愛している俺も…もう化け物なのかもな」
 ビクッと雄介の体が痙攣した。
 「おまえは…誤解しているようだが……俺は…もうずっと前から……おまえを愛している」
 「……」
 「信じないのか?」
 「……無理…でしょ……もう」
 「あのな、よく聞け、五代雄介。…「俺について来い」と言った日のことを憶えているか?」
 「…あれは…TRCSを…」
 「バカ…。結果だけを見るな」
 雄介は少しずつ上体を捻った。一条の体が重石になってなかなかすんなり行かなかった。
 一条はわざと退かなかった。さっきは渾身の一撃を浴びせたのだ。多分、雄介の顔は腫れているだろう。それを見たくなかった。
 「一条さん…重いよ…」
 「愛してるよ、五代。…もっと早く言えれば良かったんだが…。言おうとしたことはあったんだ。…タイミングが悪くて…言いそびれてしまったが…」
 「……照れ屋さんだし…」
 「…ああ…」
 「…今、顔、赤い?」
 「…さあ…」
 「見たいんですけど」
 「信じるか、俺を」
 「一条さんこそ……オレが……怖くないんですか」
 「怖いのは…俺自身かもしれない…。…おまえを…無条件で赦している…」
 「赦すの…オレを…」
 「ああ」
 「…狂ってるでしょ、…オレ」
 「…いいんじゃないか、世紀末最大のバカップルで?」
 雄介の腹筋が揺れた。上に乗っている一条の腹筋も揺れた。
 「あは…あはは…あっははははははははっ に、似合わないー! 一条さんが「バカップル」って! あはははははははははは! あはは…あは…は…」
 雄介の笑い声は次第に篭もっていった。一条はそっと上体を起こした。
 雄介は目元に腕を置いて仰向いた。鼻腔が震え、戦慄く口元は腫れ上がり、唇の端が切れて少しの流血が見られた。
 「…後悔しますよ…、赦したこと…」
 「するかな…?」
 「させるような気がします」
 「じゃあ、どうする?」
 「……その時が来たら、……殺して……」
 「……わかった。…考えておく」
 一条は雄介の腕を退かせた。ゆっくり顔を近づけ、雄介の涙を吸った。目蓋を舐め、唇の切れたところにキスした。
 じっとされるままになっていた雄介の腕が伸び、一条の背中に回った。
 深い口付けを交わし、時々目を合わせ、微笑み合った。
 熱い吐息の中、一条が囁いた。
 「抱いてくれるか?」
 「願ってもないけど…電話は?」
 「あとだッ」
 生田和也の父親のものだろう、ざっくり編んだオフホワイトのサマーセーターを素肌に着ていた一条は、それを一言の下、勢いよく脱いだ。
 雄介は欲情を灯した眼で、一条の上半身を眩しげに愛でた。少し肉が削がれたような気がした。
 一条は雄介の服も、急かすように脱がしに掛かった。
 薄くはない雄介の胸板が露わになると、一条はゴクッと喉を鳴らした。
 「オレが欲しい?」
 悪戯っぽく雄介は自分の乳首辺りを撫ぜた。
 「ああ」
 雄介はクシャッと笑った。そして真面目な顔の一条を引き寄せた。
 「もうひとつ使ってないベッドがありますけど…」
 「ここでいい」
 「狭いですよ?」
 「焦らすなッ もう待てないんだッ」
 「…最高!」
 言うが早いか、雄介は一条をソファーの下に押し倒し、一条の胸に武者振り付いた。
 「アア…! 五代! 俺の…!」
 一条の歓喜の声が、雄介の心を打った。氷解した。愛されていると実感できた。奮い興る感情が在った。
 「離さない、一条さん!」
 耳元で自分の血流が聞こえていて、膜が掛かったように感覚が昂進していたが、雄介の悲痛にも聴こえる魂からの叫びは、一条の奥底まで確かに届いた。

 執拗に愛撫を繰り返した一条の後蕾は完全に蕩け、雄介は痛いほどに張り詰めたペニスを宛がった。
 何度目かのトライだった。
 挿入する段階になると、一条を組み敷いて犯していた情景が蘇り、雄介は怯んだ。
 一条は、その度に優しく雄介の雄芯を口に含み、力を再び漲らせてくれた。
 体位を変え、リラックスを心掛け、何度もチャレンジした。しかし、果たせなかったのだ。
 「…一条さん…やっぱり…」
 「駄目だ。諦めるな」
 「でも…」
 「それこそ、…許さない」
 「…ウ…ソ」
 「嘘じゃない。……欲しいんだ、おまえが…」
 「…嬉しいんですけど…けど……」
 「勃たないっていうのなら仕方ないが…」
 一条は恨みがましい顔で、雄介の股間の怒張に手を伸ばした。
 「枯れた爺さんになったら耐えられるだろうが…」
 一条は雄介の手を取って、自分の股間に導いた。もっと奥まで引っ張り、雄介の指をふっくらと綻んだ孔に這わせた。
 「おまえが怖がってるのはわかる。俺をやり殺したりしたらどうしようって思ってるんだろう?」
 「……」
 「本望だと言ったら?」
 「……」
 「じゃあ、…その前におまえを殺す……と…約束したら?」
 「…約…束…」
 「ああ」
 「…ホントに?」
 「ああ」
 「……」
 一向に鎮まりそうもないお互いの股間を玩びながら、世間一般では信じられないような睦言を、二人は真剣に紡いでいた。
 「そうだ、おまえに頼み事があるんだ」
 「え?」
 「…この戦いが終結したら、俺に山登りを教えてくれないか」
 「…!」
 何を唐突に…と、雄介は思った。
 はにかみながら、一条は続けた。
 「実は…遭難しかかったんだ、ここで」
 「! ここって箱根で!?」
 素っ頓狂な雄介の声を耳にした途端に陰鬱な表情になった一条は、方向音痴の自覚症状を持ったAB型だった。
 「……今…馬鹿にしただろう…」
 「いやッ しちゃうでしょう、普通! 一条さん、それって、山登り以前の問題…」
 「黙れ、五代! 一緒に行こうってことが言いたいんだ、俺はッ」
 唐突に始まったのは、未来の話だった。遠いのか近いのか、訪れるのかも全く判らない、二人の未来についての話だった。
 「俺はおまえを殺す約束をした。だから、おまえも俺と約束してくれ」
 「…一条…さん…」
 (ああ、この人ってば…もう!)
 バタッと雄介は力を抜ききって目を瞑った。
 「どうした、五代。果てるのは俺の中にしてくれ」
 「…一条さんの殺し文句に射貫かれたんですよ、ハートを諸に」
 「ああ、射撃では仕損じないんだ、俺は」
 「山は登れないくせに」
 一条は鼻に皺を寄せ、雄介の鼻を抓んだ。
 「俺が大切なら、もう二度と山で姿を消すな」
 「イテテテ…わかりましたわかりました」
 お互いにニヤけた顔を近付けあった。
 啄むようなキスから、次第に舌を絡ませあう深い口付けになり、二人の顔は次第に酔ったように上気した。
 二人は横臥したまま、雄介が一条の背中にぴたりと寄り添った。
 一条は上になったほうの足を立てた。その膝裏に雄介は手を添えると、更に持ち上げた。
 一条の尻朶は自然と割れ広がり、無理なく雄介を迎える体勢になった。
 雄介は腰を突き出し、一条の暖かい窪みに、触角を潜らせていった。
 「は…あぁ…」
 一条が上体を捻り、背中を絨毯につけるようにして仰向いた。
 ゆっくりと腰を動かしながら、雄介は覆い被さるようにして一条に接吻した。
 「一条さんの中は…暖かい…」
 「…お帰り、五代…」
 「よかった、戻って来れて…」
 「…俺の約束は…あぁ…永遠に不履行にして…」
 「はい…。一条さん、…愛してます」
 「あぁ…俺も…愛してる…。…おまえは…約束を守れよ…」
 「…はい…」

     ◇◆◇

 「杉田さん、もうちょっと落ち付いて!」
 「いや、もう限界だ!」
 「一条君と五代君は、きっと無事です。もう一度だけ、もう一度だけ電話してみます。お願いします」
 榎田は携帯電話を耳に当て、頭を深々と下げた。
 電話の向こう側で、少しの沈黙のあと、杉田が溜め息交じりに「わかった。折り返しの連絡を待つ」と言うのを、榎田は心底ホッとして聴いていた。
 一旦切断した回線を、一条の携帯電話のナンバーをひとつひとつプッシュして、祈るような気持ちで接続した。
 (お願いよ、繋がって…!)

     ◇◆◇

 「一条さん、忘れ物ないですか?」
 「ああ、大丈夫だ」
 割られたサッシ窓から出てきた二人は、爽やかな表情をしていたが、服装は見るに堪えなかった。洗えるものは雄介が洗って干して乾いていたが、泥染みと破れはいかんともし難かった。
 「たぶん一条さんが乗り捨てたって言うパトカーは、こっちだと思うんですよね」
 ずんずん進んで行く雄介は自信たっぷりだった。
 「おい、大丈夫なのか?」
 疑わしそうな一条の言葉は、でも説得力ゼロだった。端から聞く耳を持たない雄介は、振り返ることなく、構わず歩を進めて行った。
 と、その時、一条の胸元で携帯電話が鳴り出した。
 「!」
 雄介が振り向き、一条は慌てて内ポケットに手を入れた。
 「榎田さんだ…!」
 画面の着信記録を読み、一条は眼を輝かせてオンフックダイヤルを押した。
 「一条です!」
 「一条君!? 今どこ!?」
 「箱根の…生田さんの別荘です!」
 「やだ! 五代君も一緒!?」
 「はい! 救助しました!」
 ノイズが激しかった。回線が途切れそうになっている。一条は急いで言い足した。
 「これから帰ります! 心配掛けて済みませんでした。…もしもし!?」
 耳から外して携帯電話の画面を見ると、『圏外』の表示になっていた。
 「切れた…。でも…奇蹟だ…」
 「たまったま電波が通じたんですね」
 「…ああ…」
 「良かったですね、コトの最中じゃなくて」
 ニコニコ笑ってサムズアップしている雄介を、一条は幸せを感じながらも、呆れた顔をして見た。
 「バカ…」
 言った途端に、一条も笑み崩れた。

‐了‐

EPISODE四五【強敵】に…うう…

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