(註記)このページは、FA(Free Associations)に掲載されていたNAMの説明を元に、せめてこれだけはという最低限の修正を施して攝津が作成したものです。


NAMは、諸アソシエーションの連携というアソシエーショニズム(連合主義)の戦略をもちい、三位一体となった資本=国家=ネーションという歴史的構造の揚棄をめざす市民運動であり、2000年に大阪で始まりました。その後、権力の固定化をふせぐべく、事務局を京都、東京と移して行くうちに会員数を増やし、日本のみならず米国、欧州、アジア各地に会員数最大500余名を数えるにいたりました。その間インターネットや各地でのオフ会を通じてさかんに議論が行われ、LETS(一種の地域通貨)のインターネット化、代表の互選とくじ引きによる選出などの画期的なアイディアが実行に移され、連携のエールが交わされました。2003年1月に解散、現在に至ります。

なおNAM会員は、以下のような簡潔な「プログラム」に同意し契約して、自由に活動していましたし、元会員有志は現在も活動を続けています。

 われわれが開始するNew Associationist Movement(NAM)は、十九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証にもとづいている。そのプラグラムは、極めて簡単で、次の五条に要約される。これらに関して合意があれば、それ以後の活動はすべて、各個人の創意工夫に負う。

(一)NAMは、倫理的─経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。

(二)NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織するということ、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程におくということを意味する。

(三)NAMは「非暴力的」である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜなら、NAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。

(四)NAMは、その組織形態自身において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。

(五)NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戦が不可欠である。

(柄谷行人『NAM原理』太田出版、ISBN:4-87233-542-2、p17-19)