規約委員会

注記:

  1. Q-hive2002年8月29日京都オフ会議以降の規約委員会のログはこれが全てではありません。全てのログの公開をNAM資産管理委員会に求めてください。
  2. これは残り時間が少ないなか、nam-log3に収録されていない規約委員会のメールのなかで重要だと判断したものを攝津がその場の瞬発的判断で保存したものです。ですから、漏れや抜けがあると思われます。完全な公開をNAM資産管理委員会に求めてください。


【0334】

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件  名 : 柄谷提案ーnam的なものをめぐって
差出人 : krtn
送信日時 : 2002/09/10 17:21
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規約委員会の皆さんへ

 この規約委員会は、新たな規約を作るだけでなく、NAM創設以来の理念を新鮮
に保持するための機構です。初期からNAM創設にかかわってこられた方に参加を
お願いしてきたのは、そのためです。しかし、その一人である、西部氏がNAMを
脱退されました。

その発端は、西部氏がQに常任者をおいて、旧来のような(NAM的な)運営をや
めて企業化する構想を強行しようとしたところにあります。西部氏の構想にした
がえば、NAMのプロジェクトとしてはじまったQの特性が、すべて失われてしま
います。そして、Qが何を目指すかも不明になる。LETSは政治的には何とでも結
びつくことができるので、NAM的であってのみ、LETSはQたりうるのです。NAM的
な理念を否定したLETSがどうなるかは、他のLETSを見ればわかることです。

 もちろん、QとNAMは別です。しかし、それはQが「NAM的」であることを否定
することであってはならない。NAMは、それ自身の拡大よりも、「NAM的なもの」
を外にもたらすということを課題にしています。では、「NAM的なもの」とは何
でしょうか。

NAMのホームページの「Q&A」に、「NAM的なもの」とは何か、という質問に対
して、つぎのような答えがあります。

《要約すれば、次のような条件を満たしている場合のみ、「NAM的」です。主観
的な「気分」でなく、資本と国家に対抗する理論的根拠と方法をもとうとしてい
ること。第二に、組織原則として、互選とくじ引きで代表者を決めていく意志を
もっていること。第三に、複数次元が交差し、それらの間での諸個人の分業と協
業によって、資本と国家に対抗するというような方法をもっていることです。》

柄谷に文責があるとはいえ、これは、NAMの当初から、共有され確認されていた
認識です。以上の定義は、さらに簡単にすると、運動の目的、と、組織論に関す
る規定であるといえます。

NAMのプロジェクトから派生した組織が、いかに独立していても、以上の原理・
原則をもっていなければならないことは自明です。(われわれはそれをNAMの遺
伝子と呼んだりしました)。Qの場合、以上の「NAM的なもの」の定義は完全に
当てはまるし、当てはまらなければならない。

つぎに、こうした原理や原則は、現在、実行できないとしても、それを「統整的
理念」としてもっていなければならない。それはNAMだけでなく、「NAM的な」運
動体にもあてはまるものです。

以上の原理・原則から見ると、西部氏の、QをNAMから切り離そうとする動機に
は、疑わしいものがあります。彼はNAM的なものを認めていないのです。西部氏
はLETSを実現するために、NAMとNAM会員を利用してきたが、NAMあるいはNAM的な
ものへの関心はなかったというほかありません。たとえば、西部氏は、二年の間
に、北海道で一人のNAM会員をも集めていない。もし本人が意図的にNAMを否定す
るか隠しているのでなければ、これは、ちょっとありえないことです。

今から見て明白なのは、西部氏が自分のLETSを実現することを目指しており、他
のことは眼中になかったということです。そのために、NAMを利用し、今後利用
できるものはない、ということで、NAMと断絶し、Qの企業化を強行しようとし
た。それは、これまでNAMの人たちの協同によってなされてきたことを、すべ
て、西部氏の私有物(学問的業績?)と化すということです。

西部氏がNAMを脱退したのは、これまで従ったふりをしてきたNAMの諸原理を、い
まや公然と拒否する、ということ以外ではありません。しかし、もしわれわれに
落ち度があるとしたら、NAMから派生した組織が、いかなるものでなければなら
ないか、もし違反したらどうするか、について、規約としてはっきりさせていな
かったところです。(とはいえ、暗黙には了解されていたのであって、これを明
文化することは、原理改正というほどのものではありません。)

今回の規約改正において、この問題を入れていただくように提案します。

ついでにいうと、Qの生成の過程で、特に会員の身分証明をめぐる議論、また、
セキュリティをめぐる理論などで、創設以来の重要なメンバーが二人NAMを脱退
しました。この対立は、QにNAM的な理念を実現しようとする人たちと、Qの実
現のためにそのような理想主義を斥ける人たち(西部氏はその筆頭です)の対立
です。私は、すぐに実現できないとしても、理念として書き込むことを主張しま
した。(Qが他の地域通貨やLETSと異なるのは、たとえば、ホームレスや非合法
移民でも使えるような市民通貨に、将来的にはなりうるということです)。しか
し、結局、それも西部氏によって無視・却下されてしまった。

ところで、Q形成の過程で、NAMから辞めてしまった「NAM的」な人たちとは、岡
崎さんと湯本さんです。彼らは、NAMの理念を具体的に語りうる人たちであり、
また、この規約委員会にも属していました。彼らが辞めてしまうような組織はど
こかでまちがっている、と私は思っていました。そして、今度、そのまちがいが
何であるかにはっきり気づいたのです。私は、NAMの規約改正、とQのNAM化を実
行することで、彼らにNAM復帰を呼びかけたいと思います。

また、つぎのようなことをQに関与しているNAMの人たちに訴えたいと思いま
す。NAMは、NAMの外に「NAM的なもの」を散種するといってきたのですが、そも
そもNAMの中から出てきたQを「NAM的なもの」にするのは当然です。そして、そ
のような闘争によってしか、Qの未来はありません。

                       柄谷行人



【0336】

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件  名 : Re: 柄谷提案ーnam的なものをめぐって 2
差出人 : krtn
送信日時 : 2002/09/10 21:30
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柄谷行人です
杉原さん
私は、朽木さん他、大勢の人がいる前で、10数時間にわたって説得し、西部氏
の企てを阻止しようとしました。
現在、Q管理委員会で彼にそのようなことができなくなっているのは、その結果
であるにすぎません。私がいなかったら、どうなっていただろうか、と思うの
は、けっして妄想ではない。その席にいた、他の人はどう思いますか。

君はいざとなれば戦うといっているだけで、客観的な情勢の認識がない。その
「いざ」は、すでにあの夜に来て、過ぎ去っているのです。

とはいえ、これは規約委員会です。私がこの提案で述べているのは、NAMから派
生した組織に関する認識において、西部氏が勘違いしていること、また、それに
だまされるか、あるいは説得される人がいること、それゆえに、そのような誤解
が二度と生じないように、規約として明文化する必要があるということです。そ
れに反対なら、反対である根拠を述べてもらいたい。




》-----Original Message-----
》Behalf Of 杉原正浩 lutsch
》Sent: Tuesday, September 10, 2002 6:27 PM
》To: [email protected]
》Subject: [nam-rules:0335] 柄谷提案ーnam的なものをめぐって 2


》杉原です。

》From: "krtn"
》> その発端は、西部氏がQに常任者をおいて、旧来のような(NAM的な)運営

》や
》> めて企業化する構想を強行しようとしたところにあります。

》私はQ管理運営委員会に所属していますが、西部さんが「Qに常任者をおい
て、
》旧来のような(NAM的な)運営をやめて企業化する構想を強行しようとし
た」、
》という事実があったとは認識していません。正確にいうと、このような構想を
》表明されはしましたが、強行しようとしたという事実はないし、強行できない

》と思います。

》Q規約(↓)によると、Q管理運営委員会における代表の権限は、代表権、および
》議長として議事進行を務めることができるということ、それと何らかの議案に
》対して議決を要請する権利、の3つしか存在しません。

》----------------------------------------------------------------------
》7.5 代表及び副代表
》1. Q管理運営委員会には,代表1名,副代表2名をおきます。
》2. 代表および副代表はQ管理運営委員会でQ管理運営委員の中から互選しま
》す。
》3. 代表は,Q管理運営委員会を代表し,Q管理運営委員会の議長を務めます
》。
》副代表は,代表を補佐し,代表に事故ある時,または代表が欠けた時は,その
》職務を代行します。
》 7.6 メーリングリスト会議・議決
》1. Q管理運営委員会の会議はメーリングリスト会議として常時開催されてお
》り,通常の議題は提案後十分な期間を経て特に異議なき時には,承認されたも
》のと考えられます。
》2. オフライン会議は原則として正式の会議とは認められませんが,メーリン
》グリスト会議で正式の会議として承認が得られた時には,その限りではありま
》せん。
》3. 本規約に定めがある場合または議長が議決を要すると判断した議題につい
》ては,出席した管理運営委員の過半数の議決により決定されます。ただし,電
》子投票の場合,提案後十分な期間内に投封[した管理運営委員の数を出席した
》管理運営委員の数とみなすこととし,出席した管理運営委員の数が過半数に満
》たない場合には,投封[は無効となります。
》----------------------------------------------------------------------

》したがって仮に西部さんが自らの私案を強行しようとしても、他のQ管理運営
》委員を説得しないことにはそのような強行は不可能です。言いかえると、Q管
》理運営委員会代表は、その意思決定権を一手に握っているわけではないのです
》。
》むしろ内部的には、他の管理運営委員とほとんど何ら変わらないといってもい
》いぐらいです。

》実際、現在のQ管理運営委員会においては、柄谷さんが言及された専従制案に
》対し、多くの批判が噴出しています。私自身そのような批判を積極的に展開し
》ている者ですが、専従制案に批判的だからといって、以下のような柄谷さんの
》認識には決して同意できません。西部さんが何をどう考えていようが、Q管理
》運営委員会の現在の組織形態は、そのような専横を許すような形にはなってい
》ないためです。

》> 今から見て明白なのは、西部氏が自分のLETSを実現することを目指しており
》、他
》> のことは眼中になかったということです。そのために、NAMを利用し、今後

》用 》> できるものはない、ということで、NAMと断絶し、Qの企業化を強行しよう

》し
》> た。それは、これまでNAMの人たちの協同によってなされてきたことを、す

》> て、西部氏の私有物(学問的業績?)と化すということです。

》西部さんがそのような「Qの企業化を強行」できるような客観的な条件が存在
》するというのであれば、その根拠のご提示をお願いします。

》あと、Q管理運営委員会の全体MLをご覧になればわかると思いますが、Q管理運
》営委員会において専従制を導入する案は、遠い将来を見越して構想された、一
》つの荒削りな素案にすぎません。この案においては、細部のデザインや運営方
》法の詰めが何らおこなわれていない以上、現実に具体化できないという意味に
》おいて、提案者には失礼な言い方になりますが、ほとんど妄想の類と変わらな
》いものです。したがってこのような「妄想」の危険性を危惧したところで、建
》設的な議論ができるとは思えません。

》失礼な表現があったかもしれませんがご寛恕願います。

》杉原正浩 "lutsch"
》lutsch@...



【0348】

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件  名 : Re: 柄谷提案ーnam的なものをめぐって 8
差出人 : krtn
送信日時 : 2002/09/12 02:07
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柄谷行人です。

これは、朽木さん、山住さんのメールを読む前に書いたものです。しかし、書き
直さずに、そのままで出します。私は、私がいったことが「妄想」といわれてい
るのですから、それを否定する権利があります。

私は、8月初旬に、西部氏から、8月中に、namのボランティアでは当てになら
ないから、宮路さんを専従とする体制へ移行すること、Qハイブは全面的に縮小
すること、がMLで決まった、それゆえNAMでQを支援するなどということをや
らないでほしい、という旨の私信をもらいました。ウェブサイト局で、まさにQ
を支援するような記事を作るために、西部氏にインタビューすることを申し出た
からです。その時点では、私は、そのような決定が実際にQの中でなされた、と
思っていました。

杉原さんも、西部氏がそういう構想をもっていたことを認めている。きみは反対
したといっている。しかし、西部氏は京都で、その構想を撤回していないし、強
行するつもりだった。(それどころか、京都南無庵では、各人はQに入るため
に、身分証明としてebankに加入しなければならないという案を出している。現
在のNAMでは、まずQに入らないと会員になれないが、そうなると、先ずebankに
入らないといけなくなる。そもそも、こんな発想はNAMと無縁である)

ただし、私は、上記の事柄に関して、Q管理内で合意があったと、西部氏から聞
いていた。私は、京都NAM庵での会合で、そうでないことをはじめて知ったので
す。そして、南無庵で働いている人たち3人が、そのような情勢に抗議したら、
解任動議を出されたという、そういう場にはじめて行って、私ははじめて知った
のです。

このような雰囲気がNAM的であるはずがない。私は、西部氏が反省することを期
待して、夜を徹して説得しました。だから、和気さんはそのような印象をもたれ
たのだと思いますが、私は、このとき、彼らの背後に西部氏がいることを知りな
がら、むしろ不在の宮路さんらを批判することで、直接には西部氏を責めずに、
説得しようとしたのです。その点では、私は実に、忍耐強かったと思います。

しかし、彼は私やNAMが専横的であると否定しました。このときの、西部氏の傲
慢な対応に対して、二度とこの男を相手にしないと決めました。私に対してこれ
ほどの態度をとれるなら、私に依存することは今後一切やめてもらう、と。(こ
のこと以外にも以前からいろんなことがあったのですが、それはこの際いわな
い。あほらしくなったということだ)。

この会合の結果として、宮路さん、穂積さんが急に態度を変えました。また、西
部氏を批判したため解任をいわれ、また辞めると決めていた人たちもQに残り、
NAMの人たちが再び、Qで発言力をもつようになった。だから、今は、問題がな
い。それは結構なことです。しかし、倉数君、それは私が干渉したからではない
か。南無庵の後藤君ら三人を、私以外に誰がはっきりと擁護したのか。彼らにき
いてみればわかることだ。(私は、このような人たちを苦しめ辞めさせてしまう
ような組織なら、今つぶしたほうがましだ、と思った。そう思わなかった人がい
るならば、私は驚くほかない。いったい、君らはNAMか。すでに幹部の気分でい
るのではないのか。)

私は自慢でそんなことをいっているのではない。ばかばかしい。そんなことをし
なければならなかったことを情けなく思っているだけだ。

規約がきちんとしていたら、こんなことはありえない。だから、それを規約化す
ることを提案している。しかるに、杉原君は、私がいるかぎり大丈夫ですとか、
今は問題ないとか、というようなことしかいっていない。そんなことなど、何の
保証にもならない。君らがいつまでやっているという保証はないし、もちろん、
なくてもいい。

さらに、私は、Q形成の過程で、嫌気がさしてやめていった二人に、NAM復帰と
同時に、この規約委員会に復帰してもらうことを考えている。そのことに反対の
人はいますか。「NAM的なもの」という問題について、彼らが一番考えていたと
思う。ゆえに、その人たちがやめてしまうようなNAMは、必ずまちがっている。
では、何が問題なのか、考えて見よ。








》Behalf Of 杉原正浩 lutsch
》Sent: Wednesday, September 11, 2002 1:58 AM
》To: [email protected]
》Subject: [nam-rules:0343] 柄谷提案ーnam的なものをめぐって 7


》杉原です。

》規約委員会ということなので、引用の順序を変え、この場で一番プライオリテ
》ィ
》の高い質問から回答させていただきます。

》From: "krtn"
》Subject: [nam-rules:0336] Re: 柄谷提案ーnam的なものをめぐって 2
》> とはいえ、これは規約委員会です。私がこの提案で述べているのは、NAMか

》派
》> 生した組織に関する認識において、西部氏が勘違いしていること、また、そ
》れに
》> だまされるか、あるいは説得される人がいること、それゆえに、そのような
》誤解
》> が二度と生じないように、規約として明文化する必要があるということです
》。そ
》> れに反対なら、反対である根拠を述べてもらいたい。

》まず「NAMから派生した組織に関する認識において、西部氏が勘違いしている
》こと」という文についてコメントさせていただきます。

》前のメールで述べたとおり、Q管理運営委員会においては代表はさしたる権限
》を持ちません。その上西部さんは、8月上旬に代表からの辞意を表明していま
》した。その時点で次期代表には現在Q大使である宮地さんが立候補されました
》が、色々あって:-)、例の南無庵におけるオフ会ののちに西部さんが辞意を撤
》回して、代表に留任する意志を表明され現在に至るというところです。

》以上のような点を考慮すれば、「NAMから派生した組織」=Q管理運営委員会が
》そもそも「NAM的なもの」を放棄したかどうかは、永世代表でさえない西部さ
》ん一人の「勘違い」のいかんによっては確定できないと思います。少なくとも
》過半数のQ管理運営委員の「勘違い」が存在するか否かを問わなければならな
》いのではないでしょうか。

》「また、それにだまされるか、あるいは説得される人がいること」という文面
》については、具体的なQ管理運営委員の誰が、どのような西部さんの「勘違
い」
》によってだまされ、説得されているかを指摘していただかなくては返答のしよ
》うもありません。

》最後に「それゆえに、そのような誤解が二度と生じないように、規約として明
》文化する必要がある」については、具体的なプロジェクトの実践レベルへと移
》行した個人の意識の「変節」を回避することは、確かに、『原理』のような厳
》密な法との契約を要求することによってしか可能ではないように思います。し
》かし、このような窮屈な制限を課すことがNAM外に出るプロジェクトを非常に
》間口の狭いものにしないか、心配です。むしろ、通例の理解(私だけかもしれ
》ませんが…)のように、当該のプロジェクトに対する個別NAM会員の積極的な関
》与によってNAMの「遺伝子」を注入し続けることこそが、真の意味で実践的に
》有効なのではないでしょうか。

》したがって、「そのような誤解が二度と生じないように」というような個人の
》意識に対するアプローチによるのではなく、そのプロジェクトが常にNAM会員
》を運営主体として受け入れうるような開放的な組織形態を取っているかどうか
》が、当該プロジェクトが「NAM的」であるための真のメルクマールであるよう
》に思われます。Q管理運営委員会は、少なくとも現時点では、そのような開放
》的な形態をとっているものと思われます。

》あとはこの規約委員会の場においてはおまけのようなものなので、まあ気楽に
》読んでください。

》> 私は、朽木さん他、大勢の人がいる前で、10数時間にわたって説得し、西
》部氏
》> の企てを阻止しようとしました。
》> 現在、Q管理委員会で彼にそのようなことができなくなっているのは、その
》結果
》> であるにすぎません。私がいなかったら、どうなっていただろうか、と思う
》の
》> は、けっして妄想ではない。その席にいた、他の人はどう思いますか。

》「そのようなこと」が例の専従制の導入を指しているのであれば、私は柄谷さ
》んが疑念を表明されるはるか以前の8月10日に、専従制への移行が確定したか
》のように(勘違いして?)記述された西部さんのメールに対し、確かにQ管理運営
》委員会によってこの案件が承認されたのかについて、疑問を表明しています。
》この当時私は監査委員であり、本来はQ管理運営委員会の運営にかかわる発言
》をすべきではなかったのですが、あまりにずさんな討議とその取りまとめに対
》して異議を申し立てたのです。その後も私は、専従制は自己再生産的ではなく
》、
》安定した運営形態ではないとの観点から、断続的に専従制に疑義を表明してい
》ます。この一連の私の批判に対して西部さんは、無視したり断罪したりすると
》いうことを一切せず、誠実に対応してくれていたと記憶します。

》ちなみに、南無庵オフライン会議までの間、当該MLを読めるはずの柄谷さんと
》朽木さんからこの件について何らかのフォローをいただいた記憶はありません
》。

》> 君はいざとなれば戦うといっているだけで、客観的な情勢の認識がない。そ
》の
》> 「いざ」は、すでにあの夜に来て、過ぎ去っているのです。

》客観的な情勢の認識が私にはないということですが、柄谷さんにおかれまして
》も、少しはQ管理運営委員会のMLを読んで、客観的な事実確認をしていただき
》たいと思います。南無庵でのオフライン会議において、柄谷さんは、Qの決済
》システムであるWinds_qの開発者穂積さんが、開かれた開発体制をとらず
》Winds_qを私物化しているという主旨の批判をされていたと思いますが、Q管理
》運営委員会のMLを読む限りでは、そのような解釈の余地はありません。

》穂積さんは常々、いつまで待っても共同開発者が現れないと愚痴をこぼしてお
》られました(その結果、わけさんたちがいわれのない暴言を吐かれることに
なっ
》たのですが:-))。現在は、主にNAM会員ではないプログラマの方々の積極的な
》コミットメントにより、穂積さんの手を2か月間もの間わずらわすことなく(つ
》まり彼はサボっているわけです:-))、きちんとしたWinds_qの開発・メンテ体
》制が確立されています。このこと一つとっても、彼が閉鎖的な開発体制を取っ
》てきたのではないことが証明されると思います。

》杉原正浩 "lutsch"
》lutsch@...



【0362】

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件  名 : Re: 柄谷提案ー nam 的なものをめぐって(規約) 21
差出人 : krtn
送信日時 : 2002/09/15 12:55
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柄谷です

規約委員会の皆さんへ

西部忠に対する私の言動が唐突で感情的なのではないか、となどと思う人たちが
まだいるようですが、自己弁明のために、これまでいわないでいたことをいわせ
ていただきます。最後に、Q管理に向けて書いた文章も付け加えます。

そもそも、西部を批評空間に抜擢したのは、誰でしょうか。実は、浅田彰氏なの
です。ところが、浅田氏は西部に対して、非常に否定的で、ことあるごとに、鈍
い、認識が甘い、文章がへたくそ、ーーなどとけなしていました。(批評空間の
座談会でもそういう態度は少し出ています)。私はそのことに特に異議はなかっ
たが、彼がNAMに参加し、積極的に実践的であることを評価し、ずっと守り立て
てきました。だから、もしその面で疑わしくなると、私の評価は、全部だめにな
ります。そして、今度、それが致命的な域に達したということです。

今回の件に関して、浅田氏は次のように書いてきました。(私信なので、他の所
で引用しないでください。私がいうだけでは信じない人がいるようなので、あえ
て引用するのです)

【私信につき非公開━━攝津】

浅田氏が言う「変な権力志向」というのは、当然、西部をふくみます。西部は、
私が先日、批評空間を終刊したとき、猛烈に抗議して来たそうです。自分の連載
をどうしてくれる、と。われわれから見れば、むしろ、そんなものを載せてい
て、赤字を作ることを今後続けることはできないということで、終刊したので
す。

批評空間社代表の内藤が死んだためにこのような事態にいたったことを残念に思
い、それまで載せてもらったことを感謝するというのが当たり前です。しかる
に、終刊に抗議する、という身勝手さ。

ところが、一方で、西部は鎌田哲哉とともに、批評空間に連載しつつ、同時に、
NAMと柄谷を攻撃する同人誌(「重力」)を出しています。こういう甘ったれど
もを、今後、赤字(結局私が負担する)を出してまで、助ける必要はありませ
ん。ここで、西部は、NAMに対しては、遠慮がちですが、実は、鎌田とグルだっ
たと思います。鎌田は、NAMを否定し、Qでやるという考えなので、西部はそれ
に同調しているのですから。

大体、こういう経緯があって、私はまず鎌田を批判し、今後一切の保護をしない
ことを声明しました。(批評空間サイト「子犬たちへの応答」)。実際は、西部
も「子犬」の一人です。明らかに敵対することをしなかったために、ほうっておい
たのですが、今回は違う。NAMでやっているから守り立てていただけなのですか
ら、彼がNAMや私を批判するのであれば、当然、これまでのような庇護を期待で
きないと考えるべきです。この程度の能力で、物書きの世界でやっていけるな
ら、やればいいだろう、ただし、私の庇護は今後いっさいなしでやってもらう。

物書き、理論家としての西部なんて、どうしようもない、と私は思っていまし
た。しかし、私は、実践家としてよければいいのだ、と思っていたのです。とこ
ろが、この実践的情熱には強い「権力志向」がひそんでいた。これは、鷹揚そう
に見える外見からは、なかなか気づけないものです。しかし、これまでにも、あ
れ!と思うことが幾つもありました。

「NAM原理」が出たとき、太田出版では、それを「原理 柄谷行人著」として出
しました。NAMという字もよく読めないデザインでしたから、私は見本刷りを見
た瞬間、、これは困ると思って、落合さんにいい、また、西部にも伝えました。
すると、西部はえらく憤慨してきました。私は謝罪しました(私のせいではない
のに)が、彼はさらに太田出版を攻撃しつづけたらしい。高瀬さんはそのことを
よく覚えているはずです。違いますか?

落合さんたちからみれば、「NAM原理」を柄谷行人著として出すのは、そのほう
が売れるからにすぎません。しかも、売れた利益も、NAMに寄付しているのです
から、別に販売至上主義だからではない。とはいえ、私自身が真っ先に、今後
「柄谷行人編著」としてくれ、といったのだから、それで片付いたはずなのに、
その後の西部が実にしつこく攻撃的に大田出版に迫ったことを、落合さんから聞
きました。

さらに、印税の寄付というでは、他の共著者、朽木さんも、高瀬さんも、これを
自分の著書だなどと思わず、印税の寄付も当たり前だと考えていたのに、西部だ
けは違っていた。その証拠に、一度NAMに寄付した金を、引き出してQに移して
います。NAMセンター評議会はこれを承認しました。しかし、これはすでにNAMの
金なのです。

NAMがQに贈与したということ。この認識が西部に欠けています。NAMの財政的援
助を受けない、などというのは、滑稽です。まあ、法律的に争えば、西部が勝つ
かもしれませんが(朽木さん、どうですか?)、このケチと身勝手では、人がつ
いて来ないでしょう。

そもそも、「柄谷行人編著のNAMの本」でなければ、西部ごときが、こんな小論
文一つで、50万円?もの印税を得られるはずがないのです。私は、このような
場合、自分の名を使うことを権利ではなく義務だと思っています。私の名がなけ
れば、本屋が本をおいてくれないということは確かですから。しかし、西部は、
自分の権利だけは主張するが、それが、いかに他人に依存しているかを少しも考
えない。

(以下に転載する文でも述べましたが、近畿大学の件で、あれほど関井さんに世
話になりながら、彼はお礼の一言もいっていない。自分が偉いから、関井さんが
奔走しただけだと思っているんでしょう。)

もっとさかのぼると、朽木さんが東大駒場の丸山という教授(すべての面で西部
の先輩に当たる)にLETSのことでNAMに誘ったら、西部が激昂したという出来事
がありました。そうですね、朽木さん?ふだんの西部とあまりに違うので、
ショックだった、と朽木さんがいっていました。

以来、西部以外に、専門家がNAMに入れない状態になってしまったのです。西部
と同期の、龍谷大学の(経済学)教授も、私やNAMに深く共鳴しながら、西部を
嫌ってNAMに入らなかった。これは実は困ることです。経済学関係者が入ってこ
ないというのは。しかし、私は、それでも、西部がNAMでやっているのだから、
という理由で、我慢していました。だから、西部がやめたら困るという考えは少
しもありませんでした。彼のいう理論は1時間ぐらいでわかってしまい、それ以
上、何もないのですから。

彼がNAMとしてやる気がなかったことは、北海道、特に、北大でNAM会員がいない
ことから明らかです。実は一人いますが、近畿大学から進学した人です。この人
から、以前、西部が学内でNAMのことで何もいわないのはなぜか?という疑問を
聞いていました。自分が損をするようなことをしないということでは、西部は一
貫しています。

彼は、自分の手柄、自分の権利に関しては恐ろしく敏感で、他の人にいかに依存
しているかについてはまったく鈍感である。このことは、京都南無庵での、後
藤・茨木さんらに対する態度においても露骨に示されています。あのとき、茨木
さんが、あの人は、普通の人間の心の機微がわからないんでしょうか、一言謝っ
てくれたら、それで私は気が済んだのに、とつぶやいたのを、思い出します。し
かし、たんに一言謝るにしても、その言い方が大切で、それには本当に、他人に
対する想像力がいるのです。

とにあれ、西部について、まさか、そんなことはーー、もう少し話し合って
は、ーーなどといっていると、間に合わなくなると注意しておきます。Qに関し
ては、今後、すこしでも妥協してはいけない。その結果、西部がいやになって自
分からやめたって、少しも構わないのだから。

NAMに関しては、西部がやめたのはよかったと思います。案外、西部のおかげ
で、優秀な人たちがNAMに嫌気がさしていたからです。浅田氏はいうまでもな
い。私がこの前からいっているのは、実は、こういう連中が気楽にやれるような
NAMにしなければならない、ということです。したがって、この出来事をきっか
けにして、NAMの雰囲気がよくなることを期待しています。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q管理に投稿した文章

 柄谷行人です。

 私の穂積さんに関する発言がテープから起こされて配布されているようです
が、私は別に発言の事実を否定しません。ただ、その文脈を説明させてくださ
い。

そういうことをいったのは、穂積さんが遅く来て一時間ほどで南無庵を去られた
あとではないか、と思います。私は、その時点で、穂積さん・宮路さんを批判し
彼らの構想に反対するならば、Winds-Qを断念しなければならないだろうと、
思っていました。少なくとも、そのような脅しが含まれていると思っていまし
た。だから、そのとき、それを覚悟したのです。

以前、NAMのおけるプロジェクトの時期に、穂積さんの強い発言のために、ひと
りの人がNAMを辞めてしまったことがありました。私はその人を尊敬していたの
でとても残念でしたが、あえて穂積さんに謝罪を求めることはしませんでした。
それ以後も、穂積さんの言葉が他人を傷つけることが多かったのですが、私は抗
議しなかった。結局、他に、ソフトを開発する人がいなかったからです。しか
し、当然、穂積氏に腹を立てる人がいますし、その結果として、穂積氏のほうか
ら、NAMの退会を宣言されました。私は慰留しましたが、Qはやるということ
だったので、それ以上はいいませんでした。しかし、いつ辞めてしまうか、とい
う不安をもっていました。そして、そのような技術のために倫理的な問題を抑え
ているあり方は、まちがっていると、思っていました。しかし、それをあえて口
にすることはしなかった。

近頃は、Qの中で、穂積さんに激しく言われて、黙るほかなかったという人がい
ると聞きました。そして、南無庵のでの倣岸なる態度を、私自身も目撃しまし
た。そこで、私はついに覚悟を決めたのです。穂積さんしかできないことをやっ
ているとしても、それほどに、人を罵る権利はない。これは金にすれば、すごい
仕事だといわれても、そのような振る舞いが伴うのであれば、むしろ金を出した
ほうがましだ、私は密かに個人的に金を出してもいい、という覚悟を決めまし
た。二度と、妥協はしない、いやなら、やめやがれ、と。たぶん、そういうとき
に出てきた暴言です。みんな穂積さんがやめたら困る、と思っている。だから、
そんなことはないよ、と私はいわなければならなかったのです。

別に、私は、穂積さんの仕事を見下しているわけではない。貴重だと思っていま
す。しかし、あまりそのことで傍若無人な態度をとられると、いったいそれが何
だ、といいたくなるのです。そういう気持があって口走ったものでしょう。NAM
では、人は、仕事がちがっていても、能力が違っていても、根本的に、対等な関
係でなければなりません。NAMから派生したQでは、そういう態度が許されるの
か。実際、南無庵の人たちは、Qでは自由な発言が難しいと感じている人たちで
した。

もちろん、穂積さんがそのようなつもりでなく、また、そういう態度をそれ以後
とっていられないのであれば、私は深くお詫びします。なお、私の監査委員資格
が問われているようですが、私は一度任期が切れて後、もともと、メールを読ん
でおりません。自分が監査委員だというのは京都で初めて知ったことです。だか
ら、監査委員を辞退します。(しかし、監査委員であろうとなかろうと、私がQ
に関して意見を述べる権利はあります。)

 ところで、私は、8月初旬に、西部氏から、8月中に、namのボランティアで
は当てにならないから、宮路さんを専従とする体制へ移行すること、Qハイブは
全面的に縮小することがMLで決まった、それゆえNAMでQを支援するなどとい
うことをやらないでほしい、という旨の私信をもらいました。NAMのウェブサイ
ト局で、まさにQを支援するような記事を作るために、西部氏にインタビューす
ることを申し出たからです。その時点では、私は、そのような決定が実際にQの
中でなされた、と思っていました。

しかし、私は、京都南無庵での会合で、そうでないことをはじめて知ったので
す。そして、南無庵で働いている人たち3人が、そのような情勢に抗議したら、
西部氏から解任動議を出されたということを、その場で、はじめて知ったので
す。その瞬間から、私は反対し始めたのです。だから、多くの点で、私には情報
が不足しており、勘違いも多かったと思います。しかし、私は、南無庵で登記の
仕事をやっていた人たちのいうことに、真実があると判断しました。

私は、西部氏が反省することを期待して、夜を徹して説得しました。だから、私
は、このとき、彼らの背後に西部氏の意志があることを知りながら、むしろ不在
の宮路氏らを批判することで、直接には西部氏を責めずに、説得しようとしたの
です。そのために、この現場では、遅く来て早々と帰ってしまった宮路・穂積氏
らを批判するかたちになりました。しかし、本当は西部氏を批判していたので
す。もちろん、西部氏にはそれは少しも通じなかった。傲慢な対応をとりつづけ
ました。私は、二度とこの人を相手にしないと決めました。私に対してこれほど
の態度をとれるなら、私に依存することは今後一切やめてもらう、と。以下のこ
とは個人的問題ですが、西部氏が公開した以上、私も少し説明します。

一つだけ例をいうと、彼は、7月ごろ、この秋外国留学するために、資格がいる
ので、近畿大学の研究所の客員教授にしてほしいといってきたのです。この研究
所のプロジェクトは、一年後に実現する予定であって、まだまだ先の話でした。
西部氏の依頼を受けて、急遽、研究計画をいわば、でっち上げたのです。無理を
承知で、NAM会員の関井光男さんにやってもらったのですが、彼は大変苦労しま
した。途中で、西部さんのしつこい要請に対して、キレそうになったことがある
そうです。だから、関井さんは、私の話を聞いて激怒し、全部キャンセルしたい
と言い出しました。NAMを否定するような地域通貨など、研究に値しませんし。
したがって、私が西部氏に頼んだことを勝手に撤回したというのは、虚偽です。

Qの皆さん、Qがこういう状態になってしまったのは、実行を優先させて、理念
を軽視したからです。

私は、Qにとって、「NAM的な」原理や組織原則が不可欠であり、それがなけれ
ばたんなるLETSや地域通貨になってしまうと考えています。人間がおり思想があ
るならば、技術的な事柄は、いつでもやり直せる。しかし、人間と思想がだめに
なっていれば、それは成功したとしても失敗でしかありえない。しかも、成功す
ることさえもない、と。



【0404】

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件  名 : Re: 議案再整理--プロジェクトに関する規約 22
差出人 : krtn
送信日時 : 2002/09/29 16:34
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柄谷です

山住さんへ
私の提案が、誤解を生み出してしまったようで、申し訳ない。
ニュースクールは、NAMに入る必要はないし、また、そうすることもできないと
思います。

たとえば、従業員に対してひどい扱いをする企業があるとしたら、私はそれに対
して闘う労働者を支持します。(そのようなあり方、あるいは賃労働そのものを
揚棄することをNAMは目指しています。)しかし、そのような企業がNAMから出て
きたものだとしたらどうでしょうか。経営者がNAMだからといって、経営者に味
方するということはありえません。Qの場合がそうでした。

Qほど民主的な組織はない、と西部はいっていました。しかし、マルクスがいっ
たように、われわれは、その人がどういっているか、考えているかでなく、実際
にその人がどうしているかで判断すべきです。NAM的かどうかは、それを言葉と
して掲げているかどうかと関係がない、と思います。そして、そのように人や物
事を見るのが「NAM的な」態度ではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーー
NAMのプロジェクトのことで、私自身考えていることがあるので、一言いってお
きます。

私は、当初、NAMから派生したQという組織がこんなことになるのは、人間(個
人)の問題だと思っていました。しかし、それ以後まもなく、私はそれがQの理
論そのものに原因があるということに気づきました。Qを成り立たせている幾つ
かのコンセプト(西部の提案した)に致命的な欠陥があったのです。winds-Qの設
計がダメなのも、登記が煩雑になるのも、すべてここに原因がある。

近いうちにそれをはっきり示しますが、わかったのは、Qを「改善」することは
できないということです。Qは、たんに、放棄(放置)するほかないのです。

何をどうしても、Qは機能しません。Qは、今、実際は、死んでいます。取引は
事実上存在していない。これは取引内容と関係を分析すれば、わかることです。
Qはうまく行かない。だから、Qを、NAMから切り離して専従制にし、この停滞を
解決しようーーというのが西部の考えです。そこで、強引なやり方をした。しか
し、西部ら個人の性格の問題というよりも、そもそもQが理論的にだめだから、
こんなことになるのです。また、実際に西部らのいうようにしたところで、何の
解決にもなりません。(その意味では、彼らに勝手にやらせてもいい)。

Qの停滞は、NAM会員のせいではない。その反対に、Qがそこそこ動いているの
は、何人かのNAMの会員が努力しているからです。今度、NAMが会員にQを義務付
けたことも、実は、Qを活性化するためにすぎません。(しかも、それはNAMの
外につながらないから、効果がないでしょう。)

山城さんがいうのとちがって、NAMは、すこしも、Qに依存していないのです。
その逆が真実です。多くの会員がQのために無駄な力を使いすぎている。それは
NAMにとって大きな障害になっています。

Qは、NAMあるいはそのあたりの知的・倫理的共同体の外に一歩も出ていない。
また、実際の生活(経済)からみて、これほど不活発な地域通貨は少ないでしょ
う。そして、それはNAMが邪魔しているからではなく、Qのシステムに根本的な
欠陥があるからです。

なぜQの致命的欠陥に気づかなかったのか。そのことで、私が反省しているの
は、NAMの会員がやっているということで、評価が甘くなってしまったというこ
とです。たとえば、リントンは2年前に私の家に来たとき、NAMには心から共鳴
するが、NAMで構想されたLETSの拡張、すなわち、西部や鈴木健のグローカル通
貨(つまりインターネットでやる)というコンセプトには反対だといっていまし
た。(それは、彼が東京の事務所で、Qを実際に見たときにも、同じだったはず
です。)

私は、LETSの創設者であるだけでなく、優秀な技術者であるリントンが考えたこ
とを、もっとまじめに受け取るべきだったと思います。

私はあらためて、NAMのプロジェクトとして、必ず普及するような新たな市民通
貨を創りだすことを構想しています。これはほぼできあがっているので、近いう
ちに発表します。



【0406】

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件  名 : Re: 議案再整理 -- プロジェクトに関する規約 24
差出人 : Kuchiki
送信日時 : 2002/09/29 23:41
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柄谷さんへ

こんばんわ、朽木です。

もともと今回の議題は柄谷さんの提起で始まったものですが、ここしばらく沈
黙が続いていたので、発言をお願いしていたくらいでしたので、久々の発言を
嬉しく思いました。

が、同時に、その内容には、杉原さんと同じく(きっとほかの皆さんも同様だ
と思いますが)、ちょっと声が出ないという感じでもあります。

>ーーーーーーーーーーーーー
>NAMのプロジェクトのことで、私自身考えていることがあるので、一言いってお
>きます。
>
>私は、当初、NAMから派生したQという組織がこんなことになるのは、人間(個
>人)の問題だと思っていました。しかし、それ以後まもなく、私はそれがQの理
>論そのものに原因があるということに気づきました。Qを成り立たせている幾つ
>かのコンセプト(西部の提案した)に致命的な欠陥があったのです。winds-Qの設
>計がダメなのも、登記が煩雑になるのも、すべてここに原因がある。
>
>近いうちにそれをはっきり示しますが、わかったのは、Qを「改善」することは
>できないということです。Qは、たんに、放棄(放置)するほかないのです。

せかす積りはありませんが、近いうちに、その中身を具体的に指摘していただ
ければと思います。

今、多くのメンバーがQの再生に必死に取り組んでいますが、(私自身これまで
30年ほど失敗ばかりくり返してきましたから)Qが最終的にどうなろうとそんな
ことでうろたえることはありませんが、ただ、QはQはNAMの原理を通過してきた
貴重な実践であったので、今までの失敗のようであってはならないと考えてい
ます。

よろしくお願いします。



【0425】

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件  名 : Re: 議案再整理 -- プロジェクトに関する規約3
差出人 : krtn
送信日時 : 2002/10/08 11:02
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柄谷行人です

山城さんへ

 LETSでやることは、NAM原理の5カ条の一つです。NAMはこれを実現しなければ
ならない。表現はともかく、LETSがなければ、NAMはない、というのは、原理原
則上の問題です。
 ただし、LETSをどう実現するかは、決まっていません。Qがだめだとわかれ
ば、次の何かへと、ためらいなく移行すればよい。
 こうした市民通貨との「契約」は、別組織との提携とは違っています。いわ
ば、サーバーとの契約、事務所の大家との契約と似たものです。より安く、より
よいものに移ればよいのです。NAMの人たちがやっているから、といって、高い
家賃で使いにくい部屋を借りるべきではない。
 なお、NAM会員はQに加入することが義務づけられていますが、Qが欠陥物であ
ることがわかった以上、ただちに廃棄すべきです。(たとえば、人がNAM会員か
どうか、Qで簡単に調べられる)。

王寺さんへ

リントンはLETSの原理をつくった。しかし、それをどのように普及させるかにつ
いて考えていなかったと思います。LETSを、不況に対する対抗策として考案した
リントンにとって、その必要はあまりなかった。彼にとって、LETSは少人数の共
同体でやればよいものでした。

しかし、私は、LETSを資本制=ネーション=ステートに対抗する通貨として普及
させるためには、インターネットが鍵になると思いました。ただ、私の誤りは、
その困難が、技術的な問題にある、と思ったことでした。ひとが、LETSで実際に
取引するようにするには、どうすればいいかを、まともに考えていなかったので
す。

私は、宣伝すれば、啓蒙すれば、と、思っていました。それに関して、批評空
間、その他で、私は誰よりもやってきました。だから、それではだめだというこ
とを、私自身が認めるのです。

「リントンは優秀な技術者だ」と私がいいましたが、それが本当かどうか私も知
りません。ただ、いいたかったのは、彼がインターネットでLETSをやるソフトを
開発できなかったのではなく、とうの昔にできたにもかかわらず、やらなかっ
た、ということです。

はっきりいって、これは技術の問題ではないのです。現実に、通貨が流通するか
どうか、の問題です。

私が考えている市民通貨も、インターネットでもやることができるし、いずれそ
うするつもりです。しかし、それは「インターネットでも」という程度です。市
民通貨で買うものがふんだんにある状態が実現された後に、はじめて、インター
ネットでの取引も意味をもつようになるからです。

インターネットでやる場合、もっと簡単な決済ソフトで十分です。Qの考え方が
だめだから、煩雑なものになってしまう。ただし、Qは扱いが煩雑だから普及し
ない、のではない。

たとえば、湯本さん(穂積さんに罵倒されてNAMをやめた)は、決済プログラム
を自分で作った。六〇歳近く、コンピュータを始めて半年で、です。もちろん、
もっと複雑なシステムにするとしても、そんなにものすごいことではないので
す。

本当にむずかしいのは、ガメツイ商売人でも、この市民通貨に参加してくるとい
う、その方法を考えることです。
それに関しては、しばらくお待ちください。



【0426】

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件  名 : 議案再整理 -- プロジェクトに関する規約31
差出人 : Mutsumi Yamashiro
送信日時 : 2002/10/09 00:13
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山城です。

柄谷さんへ

>  LETSでやることは、NAM原理の5カ条の一つです。NAMはこれを実現しなければ
> ならない。表現はともかく、LETSがなければ、NAMはない、というのは、原理原
> 則上の問題です。

NAM原理の5カ条からは、ボイコットがなければNAMはないというのが原理原則上
の問題であり、生産・消費協同組合がなければNAMはないというのが原理原則上の
問題であるというのと同じ意味で、LETSがなければNAMはないというのが原理原則
上の問題である、ということが言えるだけです。LETSがなければNAMはないという
ことだけが原理原則上の問題であるわけではないはずです。

はっきり言って、LETSがゼロサム原理だから資本に転化しないというのは僕には
小理屈にしか見えません。生産諸関係の変わらないところに、LETSが流通すると
は思えません(じっさい、LETSが普及しているのは資本主義的な生産諸関係の
マージナルな領域でしかないのでは?)。また、生産諸関係が現状のまま、LETS
が一般貨幣の代わりに(1割であれ)普及するとしたら、ゼロサム原理があろうとな
かろうと、それはやはり資本に転化するのだろうと思います。

問題は、通貨の特性ではない。その特性をどう技術化するかという問題でもない。現
実にLETSをどう流通させるかという問題は、現状の生産諸関係をどう変えるかと
いう問題抜きには考えられません。言いかえれば、現状の生産諸関係を変えることが
できた分だけ、LETSは現実に流通するのだろうと思います。そのこと抜きに、L
ETSの特性や性能に工夫を加えても、そのことでLETSが現実に流通することに
はならない、もし生産諸関係を変えなくても流通するとしたら、そのLETSはゼロ
サム原理であろうとなかろうと資本に転化するだろう、と。

NAMの課題は、現状の生産諸関係(もちろん、流通過程も含む)をどう変えるかと
いうことにあると僕は理解しています。言いかえれば、NAMがなければLETSな
どに意味はないといえるようなNAMでなくてはならない(今はそうではない)、
と。だから、表現が何であれ、LETSがなければNAMはないというような逆の考え方を
僕は受け容れられません。

以上


攝津正