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深海


2000年7月19日 兆候

2,3日前の朝、起きると顔が何発も殴られたようなボクサーの顔、目の周りがパンパンである。自分の顔を見ても、一体何が起こったのかさっぱり分からない。きっと疲れが出たのだろう、そんなものとしか僕は考えていなかった。

翌日、朝起きるとやっぱりボクサー顔。これは、やっぱりおかしい。そういえば昨日から尿の出も悪い。もしかしたら、膀胱炎になったのかもしれない。尿が出ないから、きっと顔が浮腫んでいるんだ。そうに違いない。そう思った僕は、膀胱炎になったときには水分を多く取ったほうがいい、と言うこと聞いたことがあったので、やかんにお湯を沸かして一気にがぶ飲みした。後になって分かったことだが、これが逆効果だったのだ。

待てども待てども、おしっこが出ない。あれ?水分を取る量が足りないのかなあ。と、またやかん一杯分の白湯を飲み干す。数時間後、ついにしぼり出そうと思っても、おしっこが全く出なくなった。まだ、この時は病気の自覚は無い。それはそうだ。本人はただの膀胱炎だと思っているのだから。

さらに翌日、連日のボクサー顔。これはいよいよおかしい、ということになってきた。昨日から全然尿が出ていないし、体のむくみにも自覚が出てきた。このまま民間療法を続けていても埒が明かないということで、近所の開業医に見せることにした。

医者はさすがに手馴れたもので、自分の症状を説明すると、予想される病気を調べるための検査をするように言い渡された。まず、体温を測り、尿検査をする。といっても、この時すでに尿は全く出ない。無理やりにしぼり出した尿を提出する。

15分ほど待っただろうか。いつの時も待つというのは嫌なものだが、検査を待つ時間というのは本当に嫌なものである。どんなに楽観的な人でもやはり病院に来ると、悪い方、悪い方に考えてしまうものだ。そして、その瞬間というのは長い時間待ったにもかかわらず、あっさりと訪れた。

「生き方を変えないといけないかもね。」

年老いた医者がポツリと呟いた。え?膀胱炎じゃないんですか?話は冷静に聞くことができたが、まるで自分のことではないように思えた。要するに、僕はネフローゼ症候群という病気になってしまい、健常者のように生活することはできなくなるかもしれない、ということだった。そ、そんなあー。22年間生きてきて、内科ですらほとんどかかった事の無いこの僕が、突然病気になってしまい、おまけに「生き方を変えなくてはならない」と言われても、一体どう理解しろというのだ。

実はこの時、就職先が既に内定しており、よく意味も分からぬまま「生き方を変えろ」と言われて正直かなりショックであった。しかしながら、ショックを受けていてもこの症状が収まるもはずも無く、その少し年老いた先生は大きい病院に移った方がいい、と近くの公立病院に紹介状を書いてくれた。一体、この先どうなってしまうのか。さっぱり見当も付かなかった。


2000年7月21日 入院

近所の開業医から公立病院紹介状を書いてもらったわけだが、運が悪いことに20日が海の日で休みだったために、この日、21日にしか診察が受けられなかったのだ。このころになると、顔だけでなく体の方にも浮腫みが出てきていて、すねの辺りの浮腫みなどは酷いものであった。普通、靴下を脱ぐと誰でもすねの所に跡が残ると思うのだが、浮腫みが酷いとその跡が戻らず、くぼんだまま戻らないのである。見た目にも気持ちが悪いし、こんなことを経験したことの無かった僕は、何か本当に自分は重大な病気にかかってしまったのではないか、と余計に不安になった。

あらかじめ開業医のところで診断を受けていたのだが、やはり病院を移ってもまったく同じ検査をやらされた。相変わらずおしっこは出ない。膀胱炎だと思ってがぶ飲みした白湯が今となってあだになり、内蔵いっっぱいに水が溜まってしまっている状態になっていたのだ。

ネフローゼの症状は、分かりやすくいうと体内のタンパクが尿と一緒に出てしまう症状のことだ。ただ、タンパクが出てしまうだけならいいのだが、そうすると、今度は体が体内のバランスを取ろうとして、水分を体内に取り込もうとするのだ。そうすると体のありとあらゆる所が浮腫んできて、自覚症状としてようやく表れてくるわけである。

ということは、僕はまさに体が水分を取り込もうとしているときに、僕は水分を思いっきり取ってしまったわけで、内臓にまで水が溜まってしまって膀胱を圧迫し、尿が全く出なくなってしまったのだ。やっぱり素人が勝手に治療をするものではないのだ。(笑)

そういうわけで、もう先生に見せた瞬間「じゃあ、入院しよっか。」と言われることとなった。まあ、自分でもこの状態では仕方ないな、と納得していたので先生の言うとおり入院することを承諾した。前々日に、「生き方を変えろ」といわれてショックを受けていた僕であったが、この時にはもう「早く病気を治して予定通り就職するぞ!」という気持ちに変わっていたので、もう治るなら何でもいいから、という気持ちからも入院も前向きに考えられたのかもしれない。

しかし、また医者の先生の言葉に驚かされた。

「退院は、早くて2ヵ月後ですね。」

え?そんな重病なんですか?と、思わず問い直したくなるような言葉であったが、それは現実であった。ネフローゼという病気は忍耐の必要な病気なのである。さらに、薬の投与も1年以上だとここで宣告される。何がなんだかさっぱり分からない。入院もまだしていない状態から、そんな先のことを話されても想像がつくはずがないではないか。

先のことを考え、暗い気持ちになりながら入院の準備をするために一度家に帰る。はあー、何でこんなことになっちゃったのかなあ。でも、考えても仕方が無い、と気持ちを切り替え身支度を手早く済ませる。

よく考えれば、僕は入院するのが始めてであった。