児童の権利に関する条約について

11月10日

今年も児童の権利に関する条約について、ゼミ論文は書こうと思います。
去年みたいにヘこい内容にならないよう、がんばります。
あ、あと僕は「子ども」と表記するのはきらいなので、あしからず

11月21日

「子ども」?「児童」?

「児童の権利に関する条約」関連の本を見るとたいてい
「子どもの権利条約(政府訳・児童の権利に関する条約)」
という表記がされている。

どうして「児童」じゃだめで「子ども」なの?


曰く「児童という言葉では小学生の年代のみを想起させる」、
曰く「児童という古い法律用語では『子どもの権利』という新しい価値観にそぐわない。」

本当にそれだけか?

それを言うなら「子ども」だって、その言葉から高校生を連想するのは難しいぞ。
「児童の権利に関する条約」は、国内法と同様日本国内で遵守されるべき法律。
だからこそ、正式な法律用語である「児童」を使うべき、そういう議論だって成り立つだろ?

俺はその「子ども」という言葉になにか特別な意味をもたせようとしてる気がしてならない。
そもそも「児童の権利に関する条約」において「児童」つまり「child]とは「18歳未満のすべての者をいう」(1条)
のであって、それ以上でもそれ以下でもない。
そういう意味においては「18歳未満」ということが表現できれば「児童」でも「子ども」でも構わないわけだ。
それなのにどうして世の人々は「子ども」にこだわるの?
それはやっぱり「児童」にはなくて「子ども」にはある(らしい)何らかの特別な意味があるからだよね。

それはいったいなんだ?

俺が思うに、やっぱりそれは「子ども」イコール「純粋で無垢な天使」みたいなイメージだろう。
「純粋で無垢」だからこそ傷つきやすいんだよね。だから大人は子どもの権利を大切にしなきゃいけないんだよね。
そういった「子ども幻想」があるんじゃないの?
でもさっきも書いたとおり、「児童の権利に関する条約」において「児童(子ども)」とは「18歳未満のすべての者」
という基準としての役割しか持っていない。
わかるよね。
「児童」もしくは「子ども」という言葉に特別な意味を持たせるということは、
本来の「Convention on the Rights of the Child」の趣旨にそぐわないということだ。

だから、俺は「子ども」という言葉にことさらこだわるのは好きじゃない。
政府が「児童の権利に関する条約」として批准したのなら、それに対して反対する理由は特にないと思う。

ただこれも、「児童」と「子ども」どっちが訳語としてふさわしいかという次元の話で、
本当は「児童」も訳語としては適当でないと思う。
正確に言うと、適当でなくなった、ということだ。
現在、「児童の権利に関する条約」についての解釈は、ちょうど「日の丸・君が代」のような
ある人が保守か革新かを見極めるための踏絵となってしまっている。
そしてその象徴として「児童」か「子ども」か、この二つの選択となってるんだ。

だからここで俺が「児童」のほうがいい、と言えば、いくら「そんなつもりはない」って言っても
否応無しに保守の立場に置かれてしまうわけだ。
そしてそれは「児童」という言葉にも特別な意味が存在していることを意味している。

それじゃ、どうしようか。「児童」も「子ども」もまずいんでしょ?

だから俺は、できるだけ特別な意味の入る余地のない言葉。この場合は「未成年者」というのが最も適当だと思う。

「未成年者の権利に関する条約」

まあ、確かに味も素気もない訳になってしまうけど、それがこの条約にはもっともふさわしいと思う。

なんか、まとまりのない文章になってしまったけど、
俺の考えはわかるよね。
こんな感じでこれからも「児童の権利に関する条約」について、思ったことを書いていきたい。

12月21日(火)

ゼミ論文の構想発表を、一応、した。
一応、下のがそのレジュメ。

 

1999年度ゼミ論文構想発表レジュメ

題目「児童の権利に関する条約」第12条の本来の意味について

 先日ゲルニカ事件の判決が出されたが、これは『児童の権利に関する条約』の
特に第12条『意見表明権』のあり方が非常に注目された事件だった。
 いったい意見表明権とはどんな権利なのか?
 この条文は「児童の権利に関する条約」の中では特に解釈が分かれるところでもある。
これについて、成立過程での議論もまじえ、自分なりの解釈を明らかにしたいと思う。

はじめに

第1章 「意見表明権」をめぐる議論の現状

第2章 「自己の意見を形成する能力のある」児童とは?

第3章 「年齢および成熟度にしたがって相応に考慮される」とは?

結論

参考文献

『子どもの権利条約の研究』 1992年 永井憲一 編 法政大学現代法研究所
『児童の権利条約−その内容・課題と対応−』 1995年 石川稔・森田明 編 一粒社
『逐条解説 児童の権利条約』 1995年 下村哲夫 編 教育出版

 

・・・ふう。見れば見るほど何も用意していないことがよくわかるレジュメだ。
参考文献なんて、たった3冊しかないぞ。誰のレジュメだ?俺のか。

これだけじゃ、俺の意図が何一つ読み手に伝わらないFxxkin’なレジュメなので、いくらか補足を。

俺が明らかにしたいことは、
右・左入り混じってイデオロギー対立の舞台になってる感のある「意見表明権」を
もっと俯瞰した視点で見て、そもそもどういう意図でもってこの条文が存在しているのか、
ということだ。
その中でも特にポイントを絞って2つ、条文中の

自己の意見を形成する能力のある児童」という部分と

年齢および成熟度にしたがって相応に考慮される」という部分。

この特に解釈に関する論争の激しい部分を、
児童の権利委員会の議論や、いろんな本を元に調べていきたい。
それじゃ、このくらいで・・・。