2005年10月 ちょこっと更新

0歳 えぐち家の長女として誕生
2歳 妹誕生
 この頃、すでに山口百恵さんの歌を歌いまくっていたらしい。
3歳 保育園に入園
 この頃の将来の夢は、「ピンクレディーのミーちゃん」。

 保育園に通っていた頃は、髪を肩くらいまで伸ばしていたが、
 あるときいじめっ子の男の子にガムをつけられやむをえず髪を切る。
 それ以来、えぐちの髪は短い。

6歳 卒園
 将来の夢は、父のあとを継いでスーパーの屋上に遊園地を作ること。

 近所のKくんと「大きくなったら、結婚しようね」と約束。
 しかし、中学生の頃から疎遠になり、いつの間にやら
 Kくんは他の女性と結婚して、現在三児のパパだそうです。・・・やるな。

小学校入学
 典型的ないじめられっ子。人と話すより一人、教室の片隅で本を読んでいる方が楽しかった
 (あ、信じてないな)。 入学と同時に書道とピアノの塾に通い始める。
7歳 弟誕生
 後継ぎの誕生により、将来の夢は「スーパーの経営者」から「お嫁さん」に変更。
9歳 自転車に乗るため猛特訓。何度も転びながらも、自転車に乗れるようになる。
 この小学校では、小学校が発行する免許証(蒲鉾板に焼印が入ったもの)を
 自転車につけていないと自転車に乗ってはいけないことになっていた。
 その免許取得のための試験を4年生のときに受けないといけないのである。
 えぐちもこの試験のために猛特訓をし、見事(?)試験に合格したが、
 その日の帰り道で自転車に乗ったことがばれて(まだ免許証が発行されて
 いなかったため、無免許運転)、いきなり免停をくらう。

担任の先生のすすめで、課外活動のバレーボール部に入部。
 運動が苦手なえぐちは、最初はしぶしぶだったが、はじめてサーブが入ったときの喜びは
 大きく、バレーにどっぷりはまる。これでも、えぐちのサーブだけで全得点をあげて
 1セット勝ったことがある(自慢)。
 将来の夢は、全日本のバレーチームにはいること!!
 バレーボールの練習のため、3年間習ったピアノの塾をやめる。
 今となっちゃあ、バイエルもできないだろうなぁ。

12歳 小学校卒業&町立中学校入学。
 相変わらず、いじめられっ子。本当につらかった(T^T)
。 

吹奏楽部に入部。トロンボーンと出会う。
 いや、ホントはバレーボール部に入部したかったのだが、あまりの入部希望者の多さに
 「こりゃ、レギュラーはムリ」と勝手に判断。オリンピック出場の夢は断たれた。
 そして、第二希望の吹奏楽部でも、ホントはトランペットがやりたかったのに、
 肺活量測定の結果、トロンボーンという聞いたことすらない楽器を吹くことになる。
 今思うと、肺活量って関係あったのか?

 将来の夢は、学校の先生。だが、親に「あんたは気が弱いから、校内暴力で痛い目にあう」と
 助言?され、途方にくれる。

15歳 高校受験。
 最初は、吹奏楽部が全国でも有名な商業高校を受けようかとも思ったが、
 自宅から遠くて大変そうだたので、母の母校でもある県立高校を受験。
 吹奏楽部の有無で進路を選んでいた(先生、ごめんなさい)。
 実際、高校受験の面接のときに、志望動機を聞かれ他の受験生は
 「大学に進学したいから」と答えているのに、私は「吹奏楽部があるから」と
 答えてしまった。この高校が進学校だなんて知ったのは、入学してからのことだった…。
中学校卒業。県立高校入学。
 同じ中学校出身者がいなかったためか、えぐちは「ネクラ」から「騒がしいヤツ」になる。 

吹奏楽部に入部。
 総勢30名にも満たない小さな部で、練習場も柔道部や剣道部の部室のとなりの
 体育倉庫だったけど、楽しかった。

16歳 初カレシができる。
 お相手は部活の先輩。でも、東京の大学に入学しちゃったので、いきなり遠距離恋愛。
 それでもバラ色な時期でした。ああ、青春…。
17歳 最後の体育祭の仮装行列で、都はるみを演じ、「むちゃくちゃハマってる」と
賞賛?を受ける。
18歳 高校卒業。大学受験。
 模擬試験では第一志望の国立大学への合格確率が20%をきっていたため、
 担任の先生からは条件つき(センター試験の結果次第)で第一志望校への
 受験を許される。
 私自身もほとんど諦めていて、合格発表のときも、「福岡に来るのはこれが最後か」と
 覚悟を決めていたが、なんと、合格!!
 あまりの驚きで帰り道では3回車にはねられそうになり、ホントに「最後」になるところだった。
大学経済学部に入学。福岡での生活が始まる。
 入学手続きの日に吹奏楽団に入団。
 従兄弟とアパート探しをしている途中、見知らぬおばさんに会い、
 「アパート、探してるの?じゃあ、いらっしゃい」とタクシーに乗せられ、
 下宿を紹介してもらう。なんて、無防備・・・。
 下宿は居住スペース約2畳のせまい部屋で不便ではあったが、食事もおいしかったし、
 同じ下宿のともだちと楽しく過ごすことできた。

 ちなみに、ダンナと知り合ったのはこのころ。

19歳 一人暮しをはじめる。
 不動産屋さんのミスで、ダブル・ブッキングになっていたことが判明!!
 しかし、大屋さんのご好意により、家賃を1,000円もまけてもらった。
 このアパートには10年近く住みましたが、その間一度も値上げなし。
 大家さんがいい人でよかった。

初カレシにふられる。
 ココからしばらく「えぐち、ココロの暗黒時代」に突入。

S女子高等学校吹奏楽部にコーチとして出入りするようになる。
 コーチというとかっこいいが、事務的なお仕事や生徒の相談役。
 この吹奏楽部は国内はもとより、海外においてもそのレベルが高く、
 コンクールの全国大会などへの引率でいろんなところに連れて行ってもらい、
 さまざまな出会い・体験をする。
 また、顧問の先生のパワーとそれに必死でついていく部員たちのエネルギーに
 ひたすら感動の毎日。 

20歳 九州大学吹奏楽連盟第10回記念合同演奏会に参加。
 ステージドリルに初挑戦。九州デビューを果たす。
 一週間の合宿ではついていくのがやっとだった。
 でも、大変だったぶん、やり終えたあとは感動の涙。
21歳 全日本学生吹奏楽連盟第28回バンドフェアに参加。
 やはり、ドリルステージで参加。全国デビューを果たす。
 しかも、ステージドリル2回目なのに、図々しくも「TABOO」のソロを吹いちゃった。

九州大学吹奏楽連盟第11回合同演奏会(ステージドリル)に参加。
 本番中、ふと客席に目をやると大きくこちらに手を振っている家族と親戚一同の姿が?!
 その瞬間、えぐちの表情がひきつったのは言うまでもありません・・・。

第一種普通自動車運転免許取得
 い〜っぱい補習がつきました。補習の授業料のために1日をコンビニの
 おにぎり1コで過ごしたことも。
 そんなに苦労して取った運転免許証、今では立派な身分証明書として活躍中。

22歳 就職活動。
 放送局のアナウンサーになりたくて、アナウンスの学校に通ったり、
 大阪まで就職活動を繰り広げるも、玉砕。
 結局、某生命保険会社の営業室に内定をもらう。

九州大学吹奏楽連盟第11回合同演奏会(ステージドリル)に参加。
 実は、合宿中にFM局の最終面接があり、大変だった。

卒業。
 卒論のテーマは「中国経済の近代化」について。
 久々に徹夜して、体調ボロボロになり、卒業旅行どころではなかった。
 卒業式で、吹奏楽団のともだちに卒業記念で「おひめさまセット」をもらう。
 まだ、うちにあるよ〜。

就職。

マーチングバンド、クワトレ・ガッツに参加。
 学生のときに比べたら身体の疲労は激しかった。でも、やっぱりやめられない。

1996年 一身上の都合により退社。
 要するに、えぐちは営業には向いていなかったのさ(←なげやり)。

2ヶ月後、再就職。
 それが、今の会社。

九州電力吹奏楽部に入部?
 最初はただのお手伝いだったのだが、いつの間にか入部していた。入部届、書いたっけ?

ダンナとのお付き合いスタート。
 しばらく会っていませんでしたが、マーチングバンドで再会。
 同期の友だちとの飲み会(のちのつばめの会)で親しくなり、
 12月に付き合いだしました。きゃっ。

1999年 妹が結婚。
 相手は、10歳年上のバスの運転手。てなわけで、8歳年上の「義弟」ができた。
2001年 生まれて初めての海外旅行。
 結婚相手の弟さんの結婚式出席のため、グアムへ。
 一生懸命、英会話を頭に叩き込むも、周囲は日本語だらけでちょっと拍子抜け。
 まわりも日本人だらけやし。
 「ここは、沖縄か?宮崎か?」と何度つぶやいたことか。
 それにしても、花嫁さん(現・義妹)のウエディングドレス姿と
 グアムの青い海の美しさは本当に感動しました。

甥 誕生。伯母になる。
 挙式一週間前にダンナの妹さん夫婦に長男誕生。「おばさん」とは呼ばせない・・・。

夏、結婚(入籍&挙式)。
 約5年の交際期間を経て、ついにゴール・イン!
 いや、新たなスタートというべきでしょうか。
 練習に参加できなくなるので、九州電力吹奏楽部を退部。
 楽器が吹けなくなり、ちょっとさびしい今日この頃。

2002年 姪 誕生。
 ダンナの弟さん夫婦に長女誕生。「おばさん」なんて呼ばないでネ。
2003年 姪 誕生。
 妹夫婦に待望の長女誕生。両親もついに「おじいちゃん」「おばあちゃん」。
 なんだか不思議なカンジ。
2005年 妊娠
 結婚5年目にして、やっとというか、ついに妊娠しちゃいました。
 予定日は11月9日。嗚呼、ドキドキ・・・。

11月11日 長女を出産
 大きい胎児だったので、予定日より早く産まれるのではないかと思われていたのですが、
 なかなか産まれず、予定日より2日遅れで誕生しました。
 予想より小さかったものの、チョー痛かったです。