東京観光 〜ビジョン編〜


東京観光 〜ビジョン編〜








「もしも」同年代の外国人を、東京観光に引率するとしたら何をしよう。

他の国の人々にとって日本は魅力的なのだろうか。
日本を外国として見た場合、どう映るのだろう。観光には何をもとめるのだろう。

以前に成田空港で見つけた外国人に向けた東京観光のパンフレットには、
富士山・芸者遊び・料亭スキヤキ体験が載っていた。
外国人は、こういうのを「オリエンタルだわ〜」といって喜ぶのだろうか。
私は日本人であるが、そのパンフレットの内容は自分とはかけ離れた事柄のように感じた。
きっとどこか他の国に旅行に行っても、私が見ることになるものは現地の人が
「それをこの国だと思わないでね」
と首を傾げたくなるようなものなのかもしれない。

それを否定するつもりは毛頭ない。
そもそも観光旅行の目的は「今生きている現地人の生活の様子」にはないのだ。
私だってもし故宮に行ったら、「おおお、ここで歴史が動いて、、」と思いを馳せたい。
周りで太極拳をやってる地元の人なんて、ひとまずはどうでもいい。(時間があれば、参加してもいいが)

極端な話、旅行は娯楽のみで完結していたって、それが悪いとは思わない。
娯楽ならば「外国人が喜ぶ日本」を観光業界がFAKEで装っても、私は構わない。
「商売のためにFAKEします」という姿勢自体が現代の現実だ。
これはこれで拒絶せずに、乗っかって楽しんでもよいのだと思いたい。

ただ芸者・料亭は21世紀初頭の日本人学生の実生活とはずいぶん異なることも事実である。
私だったら知りたい。外国に住む自分と同じような普通の人はどう暮らしているのだろう。

地軸に近い地域にすむ人達は、白夜の日には明るい中で夕食を食べて、お酒を飲んで、眠る。
それって地元の人にとっても特別なことなのだろうか。
「なんか調子でないよね」とか、「来世はちゃんと日が暮れるところに生まれよう」とか思うのだろうか。
子供の時は「ここんところ白夜だってのに、すぐ家に帰ってきて!外で遊びなさい!!」と怒られたのだろうか。
それとも外が明るくても、普段と変わらず家でTV見たり、友達と遊んだりするのだろうか。
一日中、日が出ないときもあって、そんなところに暮らす人にとって時計はどういう存在なのだろう。

スペインの学生は時間割にもシエスタがあるのだろうか。バイトのシフトには?

熱帯などの一年中同じ季節の人々は、ファッションをどう楽しんでいるのだろう。
新しい流行はスムーズに受け入れられるものなのか。
中国の女の子がCancamを読んだり、イタリア人でもELLEを読んでいたりするように、外国の雑誌は入っているだろうか。
だとしたら「もう迷わない! 今年のコートは着やせで選ぶ! 特集」はどう消化されているのだろう。

中国のギャルは家族を大事に、と毎晩円卓で晩御飯なのだろうか。

「その国特有」といって旅行者に紹介される名所旧跡・伝統文化と一般の生活者はどのくらいかけ離れているものなのだろう。
それでも彼らはどのくらい自分の国の過去や気候にまとわりつかれて"国民性"ってやつをつくっているのだろう。
そしてどのくらいそのことを意識しているのだろう。

もしも私が東京観光を主催するなら、これらの疑問を少しでも埋める旅にしたい。


実際の私達を伝えたいというわけであるが、いかんせん時間は限られている。
しかし目的の的を絞れば、一ヶ月くらいのホームステイをして得られる生活習慣の理解もまったく歯が立たないものではないはずだ。
それを可能にするためには、普段どおりの生活を見てもらってありのままの姿から、とナチュラル志向にはやっていられない。
このコースの底辺に流れる勢いは、ナチュラルメイクという名の計算された厚化粧と志を同じくする。

以下、引率用モデルコースである。







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