10月⑤「代償」
部活に介入した代償。自分にとってそれはとてつもなく大きかった
でもその明確な線引きを理想として自分は望んでいた。理想通りOBの自分は部活に干渉しにくくなった
理想としてのOBと言う立場、私情としての4年と言う立場。どちらを優先させるかは明確だった



10月31日 金曜日 01:03:55「言葉より大切なもの・・・」

部活後に部室に行こうと思ったけど4年との壁に罪悪感を感じて逃げるように去った。
慎吾(字が不明)に坂戸の銭湯について聞かれていた。だから再確認も含めて直接行ってみた。
シブイ感じの銭湯は俺の理想どうりだった。おっちゃんに値段と時間を聞いたが定休日を聞き忘れた。
CDを聞きながらバイクを当ても無くとばした。5回目の文化祭でその存在価値などを考えた。同期や上からは純粋に楽しめよと言われていた。
ただ遊んでいる感がイヤだったけど、どうせ部活としての仕事等はやりたくても4年と幹部の目が光るのでヒマを持て余すだろう。
だから文連要請のロープ警備とかをやろうとした。佐藤に牽制された。
ムキになるのも大人気なかったし悔しいのでアッサリと引き下がったように見せたが自分としてはこのハッキリしない立場がイヤだった。
所詮、OBにも4年にもなりきれずに終わる運命よ。自分が一番嫌いな中途半端、グレーゾーンだ。
やはり例外の共存はムリだったのだ。やはり4月の時点で目に見える卒業をするべきだったか。終盤戦に入って今更嘆いてもだけどね。
バイクでどこまで行っても癒されなかった。泣きたいようなフヌケになっていた。

10月30日 木曜日 14:02:53「気まずさ」

昨日は予定通り部活の時間に部室で鍋をつくり帰ってきた現役にふるまった。
みんな喜んでくれたので良かった。久しぶりの顔にも会った。元気そうで良かった。
アレのそっけない行動に麻衣子が疑問を抱き、井野が答えていたけどそれが違うことはわかっていた。
確実に俺があの場に存在するから気まずいんだと、わかっていたけどどうにも出来なかった。
自然に振舞って周囲が察しないように勤めるのが自分としては出来る精一杯だった。
これが同期だったらなんらかの方法で話をしたり、間接的にコミュニケーションをとって
隙間を埋めるのにつとめるが、下なわけだし種を蒔いたのは自分だからなんとも出来ない。
第三者に悟られて話が一人歩きしないようにする努力しかできないってのが正直なとこだ。
大半が帰ってから部室でジャンヌを聞いていた。そしたら石田が来て森崎、服部、尾場瀬が来た。
そのメンバーで部室でジャンヌを聞いていた。そしてジャンヌトークを繰り広げていた。
1つのアーティストを皆で聞いて語るのは1年の頃を思い出させた。片平さんとかと部室で何かを聞いていた気がする。
あれから4年たってその時の気分が微妙にわかった。

10月29日 水曜日 03:23:20「気まずいからさ・・・」

今更だけど掲示板についてのコメント。アレでイイんだと思うよ。4年がしつこいくらいに盛り立てようとしている。
その姿に自分が1年の頃の掲示板事件を思い出した。
あの時も当時の4年生である片平さんと引退した3年生が代変わりして不安定な部員掲示板の空気を必死に変えようとしていた。
4年としての器で自ら歩み寄る姿勢ってのは時が変わってもあるものなんだなって思った。
まぁ内輪だけにならないように行ければね。1年もナチュラルに書いているのか、それとも何か意識的なものがあるのか
わからないけど、建前かもしれないけど掲示板繁盛に動いているってのが嬉しいよね。
こういうのは4年の空気を察して幹部が率先して盛り上げればイイと思うんだけど
下らん意地はって書かないとかどうかと思うよ。それならば管理するなよってね。まぁさらに関係ない俺が口出すことじゃないけど。

10月27日 月曜日 00:13:51「愛国烈士」

新HPに全ての日記を載せるべく作成していた。
今の日記の基礎である大学1年の9月〜12月の日記をHTMLにしようと地味な作業を続けていた。
そしたらその当時の日記がく土曜に来たメールのこととシンクロするものがあり作業しながら考えた。
4年前の日記にはことあるごとに部は最高だと書いてある。
当時の俺にはプライベートよりも同期よりも部活が全てであり他に何もなかった。部活にはただ純粋に先輩に対する憧れと尊敬があった。
その時は本当に何か深い意味なども無く同期とは接点がないし先輩には服従だったので人間関係でもめることもなくゆとりがあった。
まぁ俺の知らない裏ではイロイロあったみたいだけど。知らないでイイことは知らず12人いた先輩全てを偏ることなく尊敬していた。
ある程度の情報も聞いていたけど冷めた目で偏見をもつことはなかった。
徐々に裏を見るようになり組織は崩壊していくのよね。あの頃の落研愛は一番純粋だったんだろう。
もちろん1年の春合宿で上原と、宿を抜け出してまで 2人で部活の話をした頃までは俺も純粋だったと思う。

10月26日 日曜日 20:51:07「動物園にはプライベートで」

なんか嫌がらせなんじゃないかって思うけど
クタクタに疲れていて次の日も仕事なのに、そんなときに限って間違いなく眠れない。
不眠症になれちゃっていたのであきらめて起きていてHPを作っていた。そんなわけで寝不足での動物園だった。
やっぱり帰りの上野駅までの道には大道芸人が出ていたけどジャグラーはヘタだった。
何度も失敗していたので人の輪が小さくなっていた。だから大きい輪の方の風船芸を見た。
なんなんだろうか?大道芸人の間ではゴム手袋を膨らませて破裂させる芸が流行っているのだろうか?前回のジャグラーもやっていた。飽きた。
池袋で韓国語の本を探しに行った。
18時だったので客はやらたといたけど韓国語コーナーのは俺の他には真後ろの棚にオッサンがいるだけでその通路は2人だけだった。
それなのにしばらくすると韓国語の棚にウザいほどの人間が集まってきやがった。邪魔で邪魔で仕方がなかった。
坂戸に20時頃について飯を買いに行こうと思った。だけどプロレタリア階級らしく仕事がある日の日曜恒例ラーメン屋に行くことにした。
だいたい20〜22時の間に花月に行くだけなんだけどね。そのうち仕事明けに居酒屋にでも行こうかと思う。そしたら完全にオッサンだ!!

10月26日 日曜日 00:00:29「生陛下を見て感動」

さっきようやく総本部に帰り着いた。
金曜の23時に中央支社集合で観光バスで静岡まで拉致され静岡国体開会式にかり出された。
行きのバスはいつの間にか仲良くなった池袋支社の誰かと仲良く話をしていたけど
本音はさっさと眠りにつきたかったのだ。でも振動と窮屈と誰かのイビキで眠れなかった。隣の人もいつの間にか寝ていやがった。
俺は寝られずに0200をむかえていた。そんなヒマな状況にちょうど良くメールが来た。理想のために封印したことについてだった。
自分の今までの考えに筋を通しているのだからイイと思いきや立場が変わり考え方にも
微妙なズレが生まれているので過去を正当化すると今の自分(の意見)を否定することになる。
だからと言って過ぎてしまった過去を否定するのは、なんとも都合が良く汚く感じるのでそれもできない。
結局、最善の策は過去は主張した以上はそれを変えず今を否定も肯定もしないで矛盾を同居させたままで全て自分の中に閉じ込めてイジを通すこと。
でもこれやると心が疲れるのよ。早く寝なくちゃ明日も早い。

10月23日 木曜日 22:37:14「サイヤ人」

部活終了後に部室でダラダラと後輩と接した。特に目的もなくコミュニケーションだった。
帰ろうとしたんだけどなんか気分が悪かったので、あえて帰るタイミングを30分ズラした。
トリックを見ようと思ったんだけどあきらめた。それくらい俺はイヤだった。
人のフリ見て我がフリ直せだと実感している。とそうしようとしているだけに腹立たしい。
その30分を部室前で長島と話をした。
スッカリ忘れていて俺は考えることもなかったんだけど部活には古の時代から組織に巣くう神様がいました。
去年は十八番もあったしイロイロなやんでいた。前線にいない今はそんなんで悩まなくなった。
遠ざかってみると案外バカバカしいけど、その時はそんなバカなことに本気で熱くなっていた。今はそのことを考えないだけでも幸せなのね。
もめごとは頭も体も疲れるからイヤなんだけど俺は何処かでそれを欲しているんだなってわかる。
だからこそ今日も授業の前に本屋に行き『議論』に関する本を探してたりした。
最初は文連留学していて議論上手な上原に純粋に嫌味などなく勝とうと理論武装し
あくまで正攻法を学んできてそれがきっかけで徐々にそのターゲットがかわってきた。だから就活の集団討議なんて楽しかった。