10月④「挑戦」
前橋歩きに再リベンジ(リベンジを再び)した。
自分にとってこれは精神修行のようなものだと思っている
何かのためにやるのではなく自分の弱さと向き合って克服するという考えが大きい



10月22日 水曜日 23:31:24「月光」

どんなに強く抱きしめても すり抜けてく君の心が かなわぬ約束が 星になった青い夏

神無月が照らしている 折れてしまった僕の心 『好き』だけじゃ越せない 恋と愛の狭間
いまでも言えないサヨナラ 消せなかった君の涙が 月夜の戻り道 思い出には出来なくて

10月22日 水曜日 02:26:34「HP改造計画」

火曜の早朝に寝ていたら人がドアを開けて入ってきた。
0530くらいだった気がする。カギは開けっぱになっていた。眠いけど寝れなくて結局明け方に寝た。
学校に行くにも眠気と寝てる人を考えると行きにくくて2・3限は自主休講にした。コソッと4限に行き猛ダッシュで帰った。

10月20日 月曜日 11:15:22「暴れん坊将軍」

昨晩テレビで東大応援部の特集をやっていた。
半端じゃない特訓やリーダー長(団長)の檄をとばして決して甘やかさない性格にかなり共鳴するモノがあった。
野球の応援で声を出すがそれ自体何の意味もない。声を出したら野球が勝つわけでもないし応援そのものに試合があるわけでもない。
それでも気を抜くことなく最大の力を出す。そんなことをテレビで言っていた。
前橋歩きの直後ってのもあってか何か熱く燃えるものがあった。熱しやすく冷めやすい心には簡単に火がついた。
最近は体調が悪いのか変な夢をよく見る。
後期が始まった9月中盤からよく見るんだけど多分コンタクトにしようと動き出していることにどこかしら恐怖を感じているんでしょう。
夢の中でコンタクトをしてない状態で目から何かを取り出すんだけど取り出した後に
鏡を見ると目の黒(&茶)の部分が無くなっていて右目が死んだようなのよ。
何かを暗示しているみたいで怖いわ。コンタクトにすんなって話なのかしら?
それを前橋から帰った部室でも見たんだよね。迷信とか信じないけど気分悪いわな。

10月19日 日曜日 15:56:05「その後・・・

帰り着いた部室には井野がいた。現役は作業を倉庫前でやっていたらしい。大勢さん帰ってきて日本シリーズを見た。
小貝に歩きについてイロイロ聞いた。歩く前にレンジャー小貝にレクチャーを受けるべきだった。
20時をまわる頃に続々と帰りだした。日本シリーズを見てから帰るとか言うアホには、俺は寝たいから(気まずいから)
皆と一緒に帰れと地味に数人残すことなく一気に追い出した。
土曜部室に泊まるのはかなり久しぶりだった。守衛が来るのを警戒して途中から電気を消した。
ドアや窓に黒く塗った紙を貼ろうと工作の準備をしたけど材料が揃わなかったので諦めた。
暗闇の中ラグビーのワールドカップを見ていた。峯元に軽くルールを聞いていたので見れた。
夜の部室は寒く寂しかった。体は動かなかった。電気カーペットの熱に何かを感じた。これで卒業できる・・・。

10月19日 日曜日 15:37:28「心境」

金曜の4限前に川手に会っていた。満腹祭で川手の名刺話があったので多分近いうちに会うだろうなとは思っていた。
選挙の手伝いなど政治家コースを進んでいる。凄ぇ羨ましく生き方がカッコイイなと思った。
正直、俺を先輩扱いしてもらいたくなかった。レベルで言ったら明らかに俺は格下だった。そんな中で先輩面している自分がミジメだった。
前橋歩きは決してギブれないと思った。
誰のためでもなく自分との戦い。後輩に精神論を語っていた自分としては、その証明をしたいってのもあった。
『誰がムリって決めたの?』とフザケ半分で代々言われ続けてきたことに納得しつつもいくらかの疑問を感じていた。
つまりは気分しだいで出来ないことも出来ると。
同じようにそれを唱えてた精神論者としては、その精神論の無限大を身をもって証明する必要があった。
体力的にムリだってことは分かりきっていた。あとはその痛んだ体を『逃げ』の言い訳にするかどうかだ。
痛みはバンテリン・クエン酸・テーピングで対処し雨はカッパ、人恋しさはコソっと実行で対処した。そうやって数々の『逃げ要因』を潰しておいた。
だからあとは俺の精神の弱さだけだった。己の弱さを克服出来るかどうかだ。
関根家を過ぎたKFC付近でメールが立て続いた。それを見て俺は一人じゃ何もできねんだって感じた。まぁ芋は知らなくてメールしてきたんだけどね。
一人でキツイ時でも必ず誰かに励まされている。メールがあまりにも集中した時には「こいつらとんでもねぇな」って思った。
俺にとって初の歩き制覇であった。今まで山歩き以外の本編では成功したときが無かった。その為にも成功したい気分は大きかった。
中野さんのように企画として立ち上げるにも俺には何の実績も無かったので言うだけムダ、企画倒れか挫折で終わると思われる。
まぁもうやらないけどね疲れたモン。成功したいってのと自分としてのケジメ、部活としての未達成を成仏させたいってのがあった。
芋に制覇報告をしたら自慰行為だと言われた。確かにそうだ。誰かと同じ時間を過ごすわけでも企画でもなく勝手に自己満足でやっているにすぎない。
でもそんな馬鹿をやれるのは学生のうちだけだ。何にしてもゴールできて良かった。

10月19日 日曜日 14:50:03「概要」

高崎駅で両毛線を待っている時に軽い頭痛を感じて『風邪』だなって思った。
でもこれも精神的に来る『逃げ』だとわかった。子供がプールの日に腹痛になるアレだ。1915に前橋を出発して50号を歩いた。
今回は1時間おきに必ず休憩を取ることを義務付け、その際にマッサージとバンテリンをかかさず
持参した梅干や調達したC1000タケダでクエン酸を摂取し乳酸を退治していた。だから埼玉入りする時点で前回よりも1時間以上送れた。
小まめな休憩は早々とダメージをもたらしたけど致命傷には至らず回復も早かった。
本庄〜寄居間を俺は死の行進と呼んでいた。八高線を超えたセーブオン付近で必ずと言っていいほど大きなダメージを受け
そしてセーブオンから出ると歩けなくなる。歩けたとしても杖をつかなけりゃな状態だ。
もちろん今回もセオリー通りになった。だけどその対策も事前に立てていた。
クエン酸、バンテリンはもちろんマメの出来た足にテーピングをして足を固めた。
だけどテーピングの仕方と意味がわからなくて、とりあえずの気分でやってしまった。
歩けたしマメも痛くなかったけど足の圧迫っぷりが甚だしく辛かった。筋肉痛とかの痛みに比べればたいしたことはなかったけど。
寄居の大きな道路の時点で日は昇っていた。出発から12時間で前回のギブポイントを攻略。
玉淀橋のセブンでの休憩で朝飯を食った。と同時にホッとしたのもあってか30分くらいコンビに前にあぐらをかいて寝てしまった。
0800くらいに出発。軽くだけど寝たら足の痛みが軽く和らいだ。
線路を越えてニュータウン方面にショートカットを試みるも行き過ぎたら行き止まりになってしまい、よけいなことはあきらめて254に戻った。
中野さんや峯元情報から寄居歩きでは金勝山トンネル前でまがるとか聞いていたので
予定変更で俺もまがって行くことにした。その先のアップダウンは確かにキツイよ。
八高線の下をくぐりのどかな風景が続いた。足に痛みはあったけど気温とかで平気だった。だけど4時間くらいコンビニ休憩が無かった。
これは何を意味するかと言うと買い物をするとかは全然関係なくて一番のネックはバンテリンを塗れないってことだ。
膝から下はどこでもできるのだけど歩くのに一番支障をきたすのは股関節と腰だ。
だからコンビニの便所など個室が無きゃダメだ。その4時間のツケは思いのほか大きかった。
小川町前にコンビニがあったけど時間が半端だし県道30に入ってすぐにローソンがあると地図に書いてあったので我慢して歩き続けた。
馬鹿野郎が・・・行っときゃよかった。潰れてやがったローソンは精神的にもきた。
そこからが今回最大の苦痛だった。痛さがMAXで歩幅も足の大きさ分も無かった。
ほとんど足を引きずっているような感じだった。一番、挫折を感じた場所だった。
やっとの思いで着いた五明の交差点に地図に無いファミマがあった時は神に感謝した。
バンテろうと便所に入った時に便座に蓋をしてとりあえず腰掛けたら少しの間だけどそのまま寝てしまっていた。
ガチガチのカラダにバンテって外で飯を食った。やっぱり30分くらい外で寝た。
その後は一本道だし気が楽だった。次の休憩では越生町まで来ていた。見覚えのある場所だったのでスパートをかけたが明らかにそれは早すぎていた。
カインズまで2.3kの看板を見て安心した。越生端のセーブオンでリポDを買った。
それまで栄養ドリンクには手を出してなかった。切れた後のリバウンド倦怠感が凄いからである。だけどスパートを決意してリポった。
就活や不眠バイトからリポDの効果は、俺の体は1時間しか持たないと知っていた。
だから毛呂山の町境を目の前にして、あと1時間で着くだろうと計算してスパートをかけた。
少なくともショートカット団地入口の霊園横の坂道は登りきらなきゃだった。だから今回最大の速度で小走りだった。
危惧はしていたけど見事に団地で迷った。そこは過去2回とも夜に徒歩で迷子ってる。地元の住民に道を聞いてなんとか事なきを得る。
そして18時チョイ過ぎ、ついにゴールした。