9月③「結局は部活」
身内と会話をすることで避けていた部活にちょっとずつ関与して行く
助言のはずが徐々に熱くなってきてしまい『もっと効率よく・・・』→『俺ならば・・・』
短気ゆえに愚痴ってるぐらいなら動いた方が早いと思ってしまう



09月23日 火曜日 21:14:12「?坂戸組?

月曜の部活終了後に残った人間でどこかに飯を食いに行こうとかなっていた。
結局、腹イッパイ食うと言うことで、うらら宅に食材を買って行くことになった。
峯長う森服山上の総勢8人だった。99均で買物をしたのだがなんか違かった。
俺峯の感覚としてはしょーもないような飯をとりあえず腹に入れるのが目的だった。だけどうは張りきって食材の注文が多かった。
学生や落研と言う感覚から大満腹祭のような質より量を目的だと思っていたのでなんか最初にやる気がそがれた。
まぁ下との交流が持てたし結果オーライでイイんだけどさ・・・。イロイロ難しいもんだなぁって思った。
と同時に自分の中で何か引っかかっていた。最近こんなのが多いのはヒューマンネットワークの形成としてイイことだと思う。
夏合宿の1年の学年別会議で感じたことが、そう言ったコミュニケーションから来ているのは
それを色々な理由をつけて放棄しながらも問題が起きたら一方的に指摘してダメ出すより全然イイんだと思うんだよね。
だけど昔のようにそれに政治的要素が加わり、いらん揉め事に発展するならイヤだな。
現在のモノには幹部にしろ他学年にしろ当時のような兆しは見えはしないが違う危惧ってのは地味にしてたりする。
自分達は微塵もそんな意思はナイにしても、それが周囲に違う風にとられでもしたら、そこから集団ってのは崩壊して行く。
俺はあの当時の公と私が混在していながら、それでいて『私』における矛盾な立場に
『結局はやってることは一緒ジャン』『ただイイように使われているだけ?』と感じた。だからもうあんな空気を作り出さない。

09月23日 火曜日 12:05:39「妙なイラダチ

部活ではなんかイライラしていた。1年の露骨過ぎるくらいの積極性もあって2年の態度にはカチンときていた。
確かに見方を変えれば1年の積極性は酷い言い方をすれば幼稚に見えて、そんな『やる気』ってのは馬鹿馬鹿しいかもしれない。
それに1コ違いの上下のやることってのは目に付くからそれに素直に従いたくないのもわかる。
だけど4年もが空気を楽しい雰囲気にしようと一緒になってアホみたいに手を上げている中、2年は限定されないと誰も手をあげなかった。
なんか1〜4のアホを冷めた目で見ているようだし、あと数ヶ月で幹部になるんだのような余裕を感じたので非常にイライラだった。
この時期になると例年2年ってのは気持ち悪いくらいのやる気が見えていて
そんな一時的なやる気も腹立たしいのだが、そっちはまだ俺は評価出来ると思う。
セオリーを無視してもやる気が見えるならイイよ。だけど普段の活動以外でどこにそれを出すのだ?彼等の言う『スマートな笑い』で出すのか?
それだと2年前の次期幹選出の時と同じだと思う。芸が出来ればイイのかって話になる。
俺は30以下はほとんど接点が無いので+も?も特に気にはならないと思っていた。
だから今回のイラだちは妙な気分だった。これがOBの気分なのかなって思った。
活動中に机を蹴り飛ばしたくなっていたけど何をするわけでもなく部活終了後に諸沢が始動していた。

09月21日 日曜日 22:11:34「やさしさライセンス」

1730頃に電話が入り急遽1930集合で夜勤だった。時間からしてギリギリだった。
現場は東武練馬の駅から少し歩いた所で254と環八が調度ぶつかる所だった。
俺の思い浮かべる警備の仕事ってのは大きな幹線沿いで雨の降る夜にライトセーバーを振ると言う過酷なイメージを持っていたがまさにその通りだった。
イメージ通りの警備をイメージ通りの気分でやった。雨に濡れて寒くてヤバかった。
詰め所(プレハブ)には暖房はなかった。休憩はガチガチに震えながらだった。
車両誘導は前5回の現場で慣れて来ていて楽しかった。
だけど言うこと聞かない車には騒音や相方が休憩中だと言うのをイイことに道路で普通に怒鳴り散らしていた。
イイ経験だと思った。俺は学生で余裕があってなんでも出来るうちに色々経験しておく必要がある。
社会に出て落研しか無くてそこを逃げ場に使わない為にもキツさを学ぶ必要がある。
2000〜0800だったが0300頃になると風が出てきた。雨だけならまだ耐えられたけど風はヤバかった。騙されて現場に来ていたので制服を1枚しか着てなかった。
残暑が厳しい季節に体のシンまで冷えきっていた。体が熱を作ることをあきらめはじめていた。
目の前にあった自衛隊の駐屯地が幾分励みだったが、それすらも打ち砕く生命の危機が迫っていた。
普通に半袖で1つの傘に入っているカップルに殺意を抱いた。
風雨にさらされている時間が長かったので9月に凍死するんじゃないかとマジで考えた。
もう規則とか言ってる状況じゃなかった。だから休憩の時にコソっとコンビニを探しに行った。
俺の今年度初のおでんはローソンだった。街のホッとステーションに救われた。
風雨&夜&おでんに救われるのシチュエーションは2年の頃の9月16日に台風の中やった自転車通学を彷彿させていた。
明け方に峯元からメールが来たおかげで俺は眠って凍死することを回避した。
8時に開放されて支社に下番報告をした時すごく感謝されたけど当たり前だと思った。
道場に帰ったら風呂が沸いていて味噌汁があるとか希望していたけどもちろんあるはずがなかった。
当然だが風邪をひいたぞ馬鹿野郎!!これで明日の晩飯は満州の餃子に決定した。
テレビを見ていて肉じゃがを食いたくなった。よっしゃ!また地味に大量に作るか!

09月20日 土曜日 16:19:57「ハプニングだらけ」

佐藤からのメールに感化されて布団に入っても、なんか部活と国政を関連付けた考えをしていて不眠症気味で全然眠ることは出来なかった。
でも目だけは休めようとひたすら目を閉じた。そのまま寝むらずで5時に目覚ましが鳴った。
寝ボケ頭の調整と風呂で体を叩き起こして0615に道場を出て所沢の現場に向け出発した。
0637の電車をホームで待っていたら電話が来た。雨のため今日の仕事は中止と言うことだ。
嬉しい反面、ムダな早起きで損した気分だった。上番後中止なので半日分の給料は出る。
この微妙な気分に誰かを巻き込みたかった。だから佐藤の家に行き叩き起こして出てきた所で烏龍茶をあげて同じ気分にしようと
思い小雨の中トボトボと歩いて向かった。チャイムを押したけど出て来なかった。
木、金と学校に来てナイ(?)のを考えて連休を楽しんでいるのかと思い気マズイ事態を想定して早々と諦めた。
帰りつく頃には雨にやられまくっていた。
昼頃に総裁選を見ていたら中規模の地震があった。9月11日に来た宮田からのメールを思い出した。
1日ズレていたけど奴は地震を予知してやがった。しかも南関東とか地味にあってるし。テレビに出たら俺が証人になろうと思った。
ずっと起きていて腹が減ったんだけど何も無い。買いに行こうにも雨が強くて出たくない。
で、マジで空腹でヤバイわけよ。出前とかまではしたくないしCD借りに行きたいし。保存食を買っておかなくちゃなとか思う。

09月20日 土曜日 00:05:26「次期時期磁気」

部活終了後に部室で昔28の一部と上何人かで撮影したと言うドラマ(?)を見た。
スゴイ楽しそうで俺と高野はジェラシっていた。負けずに撮りたいとマジで考え始めた。
幹部は相変わらず話し合いだった。まぁこの時期だからそれが当たり前でしょう。
昨日、長島と話をしたけど高麗祭までは部活の有無に関係無く毎晩のように終電でしょ。どこの代だってそうだったと思う。
帰って来て明日のバイトがまた5時起きなので、さっさと寝ようと思ったら佐藤からメールがあった。
次期幹の選出についてのフト思ったような希望のようなことが書いてあった。
確かにそれが理想だと思った。少なくとも俺が今までやってきた部活ではそのようにして部長ってのは決めていた。
まぁ対立候補はほとんどいなくてデキレースと言うか文句無しの決定が多かった。
まぁ落研でもウチの代はイロイロわからなかったけど他はそのほとんどが、アイツに間違い無いだろうがそのまま部長になったって感じだった。
立候補スタイルはやる気が明確になって本来の部長選びからすれば最も適しているだろうけど、部長のやる気がその時だけだった時や
世論の意思(投票)に不正があった場合、その責任の所在が有耶無耶になるし辞めればイイとかの問題ではナイので正直ムリなんでしょうな。
幹部を選出した4年がその一切の責任を持ち何かあればケツを拭くなり切り捨てるなりでイイ意味で見張るってのも兼ねていると思うので。
関係無いけど俺は、自分が部長だろうと余裕ぶっこいている奴ってのは気に入らなくて、すげぇ大どんでん返しを見せてやりたいのがある。
だから毎年の次期部長候補が全員一致ってのが不満でそれが本人もその気だったら何が何でも阻止してやりたいとか、そんな天邪鬼な自分もいたりする。

09月19日 金曜日 00:07:12「不覚」

昨晩は佐藤の内定祝いとかで部室で酒だった。一升瓶を昨晩中で終わらせるために少量をコップにわけて罰ゲームで飲む。
これがさくさくと進むものばかりだったので1時間くらいで終わらせることが出来た。もちろんダメージも大きく久しぶりにフラついた。
俺は前日に芋と徹夜で遊んでいたために他の人よりも早くに寝ついてしまった。朝起きたら長島と峯元しかいなかった。
昼休みに関根さんがゴミは無いかと言ってきた。それは普通のことだったのだがその後が不覚だった。
合宿で学生課からは寸志を頂いていた。それで他の団体は学生課に来て、お土産と共に御礼に来たのに落研だけ来てないと言われた。
俺は後期が始まったら挨拶に行けよとは言ったけど、直接関根さんに会ったワケでもなかったので、その実感が薄くスッカリ忘れていた。
立場的には俺が真っ先に行ってお礼をするべきだった。お土産とかは全くと言ってイイほど考えてなかった。
やっちまったと思った。礼節を重んじる部活としてその最高学年として他のサークルのような団体とは違うとある程度自負していたのにそれが出来てナイ。
昨年の夏合宿と同じようなダメージだった。完璧と調子に乗っていて結果はサッパリ。
俺が先に行って言わなければならなかった。それなのに関根さんに会っても忘れていた自分が凄い悔しかった。
自分の中の礼節を考え直さなければと思った。そんなんで授業に出て帰るにも足が無かった。だから長島を待って車で帰ることにした。
文連経由で出張口演の依頼があったとかで森崎が1人でいる部室に長島とよってから帰りに坂戸の十万石饅頭の店を見に行った。
明日に幹部に学生課に行かせるための、とりあえずのお土産の下見だった。
道場まで送ってもらったが鍵が無かった。考えられるのは昨晩の部室だった。
速攻で長島に電話して部室の森崎に連絡をとった。部室にあるとかでわざわざ長島車で戻った。
2人に御礼をしたかったので飯を奢る気まんまんだった。だけど森崎は先約があるとかで来れなかった。
あと1人誰かをさがしたけど誰もダメだった。長島と1930頃に407沿いのバイキングに行った。
そこで飯は30分くらいでイッパイだったので、その後はひたすら部活トーク三昧だった。主に高麗祭に向けての問題話だった。
俺は具体的な指針とかは出せなかったけど俺の考える最善の主義思想を話した。
具体的なやり方ではなく基本姿勢みたいなものだ。これは去年も1コ下に言っていたのとほぼ同じだ。多分それが最善だと思うよ。
それが23時くらいまで続いた。どうも部活コアトークは盛りあがるし時間を忘れてしまう。疲れた。