8月②「最後の夏合宿」
これと言った邪念(?)が自分の中に無かったので純粋に楽しめた
でも邪念(部活を無視した感情)があった方がそれはそれで楽しい
でもここは公の場。気を抜かずに先輩を演じていなければ



08月10日 日曜日 18:09:41「愛知県」

土曜日の1230に坂戸を出発して越に向かった。1300に峯元を回収して愛知を目指す。
なんでなのかわからないけど去年も同様なぜか出かける時は台風を目指す。
嵐の中、16号を南下して129に入り1号に入る。途中から俺も運転したけど肩がこった。俺は箱根の下り始めまで運転した。
箱根の街並みを見ながら昔を懐かしんでいたのもつかの間すぐに霧の中に突入して視界ゼロになる。
山頂に行くにつれて悪化して行き本当に見えない中ペーパーの俺は完全集中で望んでいた。
途中でギブしてさらに初心者の峯元に任せた。そこから峯元は5〜6時間続けて運転になる。
静岡での海沿いの道で海の闇の中に月の明かりだけの絵を見て3人して感動した。
街の灯や船、灯台と言った明かりが全く無い中、本当に海には月しかなかった。
そんなこんなで12時間後にようやく伊藤宅に着くことが出来た。
伊藤は次の日に予定があるとかで忙しいと。俺はそれを全てわかっていたけど峯高には黙って結果オーライで行ってしまった。
案の定、最悪のタイミングに伊藤は困っていた。
時間も時間だったのでコソッと家にあげてもらい何をするわけでもなく4人で話をした。
写真を見たりイロイロやりつくして困惑していて
伊藤も朝8時から予定があるから寝なけりゃってんで俺達3人はとりあえず外の車内で寝る事にした。
日曜は3人だけで時間を潰して夜に伊藤が帰って来てから遊んで月曜になって帰ろうとなった。
3人で暴走族に怯えながら車内で眠りについた。暑かった、そして蚊が入っていやがった。3人は満足に寝ることも出来ず帰ることを決意した。
伊藤には悪いと思ったがまた今度、高速を使って
事前に連絡を入れてから来るということを高野にメールさせて早朝4時に愛知を出発した。
帰りはたいしてラッシュにも巻き込まれずガンガン飛ばして実質10時間くらいで帰れた。
茅ヶ崎で道を間違え、更に修正を間違えて結局坂戸に帰りついた時は12時間くらいだった。
でも芦ノ湖で休憩をしたり峯元宅に寄ったりを考えるとやはり速かった。
夏休みのウチにまた愛知に行きちゃんともてなされなければと思った。
俺は自分の運転の時は裸足で運転をした。

08月09日 土曜日 12:23:16「余裕」

合宿は特に問題が起きたワケでもなく終わった。気になった点などはそれほどはなかった。
会議とこれからのネックであった2年は俺はわからんし予想していたバミューダもなかったし。
だから純粋に落研として俺は合宿を楽しめたと思う。
それは上として下として横として、個人として男として一部員としてとかではなく純粋に最高学年として考え行動するにとどまった。
いつものようにこれと言って自虐的になることもなく
男として海や夏のシチュエーションに何かを期待することもなく、不安を覚えることもなく
余裕を見せつけたぐらいな感じが俺としてはあった。
話は戻して気になった点と言えば4年だろう。諸沢と佐藤だけどね。ヤッパリこの2人か。
双方ともそれぞれに間違ってはなかったしキレる場所も的確だったんだろうけど
俺としては4年ってのはもっとデ〜ンとかまえてキレるのではなくもっと大きな心でもって
感情的になり慌てふためかない方が良かったのではと。
少なくとも俺が1年の頃の4年生のキレる姿を俺は見たことはなかったし、それでいて2・3年は
キレていてそれを束ねるだけの力があった4年生を俺は凄いなと思っていたし。
裏表なく真っ直ぐな人間って面では俺は好きだけどさ。上がキレ過ぎていると下はあきれるだけだからさ。
悪くは無いんだけどあまり見せるべきではないね。アホ達とは違って力の誇示だとは思ってないけど。

08月07日 木曜日 23:40:12「続〜それぞれの責任感〜」

全体会議はだいたい発表大会で終わったのだが総評で4年が1人づつ話をして行く中で諸沢にスイッチが入り説教モードだった。
言いたい事はもっともだと思った。
だけど俺はそれはこの場ではまだイイと思ったしそれをやるのは下の役目だろうから
出しゃばらずに全て任せて最悪の状態になったら出ようと思った。それを諸沢は人任せにせずに自ら動く決断をした。
4年は4年として部活全体と幹部、各学年を見る時に1・2年は幹部に任せて平和に行くのもイイと思う。
任せるってのは見方を変えれば己の義務から逃げて嫌われないように生きるってことになるけど
諸沢はその義務を真っ当しようとしたんだと思う。まぁ単純に感情的になったのかもしれないけどね(笑)
4年としてそんなスパイスがあってもイイと思った。責任感を持ち過ぎるとアホ共と一緒になるけどね。
まぁ御陰様で諸沢の後に話をする人達は大変だった。俺も予定と他に付け加えなければならなくなった。
部内全体にキリッと緊張感がうまれた。
その後、海辺で花火をやりまくった。ちょっとギクシャクしてはいたが俺は解消につとめた。
下も諸沢の軽い説教に触発されてか上に接して来たり積極的に参加する姿勢が見えた。
打ち上げ花火に突っ込んで行くアホが多かった。1年の何人かが進んでそんな馬鹿をやる姿が嬉しかった。
飲み会はビールが少なかったのがネックだった。
井野は八雲井が黒川と日焼けの叩き合いをする度に表情が変わり俺はそれを馬鹿笑いしていた。
1・2年が今まで見ないくらい進んで酒を飲んでいた。新井が純ストレートを飲みまくりイロイロ暴露ってた。
潰れて行く人間が多く早い時間で人が減っていた。
めったにないことで珍しいなとか話をしていたらどうやら諸沢の説教を受けてどっちかはわからないけど
みんな積極的に行こうとしていたらしい。
ムカついてなのか純粋に受けとめてなのかは不明だ。だけど行動に表そうと言う姿勢がイイなと思った。
黒川とかは潰れて上に連行されてからも下に行かせろとゴネて寝つかなかったらしい。諸沢マジックは計り知れないと思った。
尾場瀬がアル中になり体温は下がり冷や汗状態だった。何人かでその看病をしていた。
その頃には日も変わっていて人も少なかった。井野は相変わらず酔っぱらってクダを巻いていた。
俺は尾場瀬がとりあえず横になれる状態になってから他の死人を見に行き
一緒に看病にあたっていた1年と飲み会場の片付けをして尾場瀬の回復を待った。
その時、飲んでいる人以外で看病にあたっていたのは疲労と眠気がうかがえたけど佐藤は何か違っていた。
目は一点を見続けているけど何かを腹に隠し持ち考え事をしているような不機嫌オーラが出ていた。
俺はあえてそれを無視して1年と軽い感じで話をしたり片付けをして場が重くならないようにつとめた。
そしたら酔ってベラベラ喋っていた井野に向かって佐藤が何かを怒鳴ったんだけどよく聞こえなかった。
一気に周囲が重くなったけど俺は平然を保ち続けた。だけど怒鳴り合いをするなら追い出そうと考えていた。
尾場瀬がなんとか峠を超えてようやく寝れると思いきや、今度は上で他のヤツラが吐いているとかで大変だった。
俺は立場上、死にそうな奴を残して寝れるわけがなく、ひたすら救命病棟24時状態だった。
主に小貝、山田、高橋、幹部、佐藤が救護班だった。尾場瀬を上に運び片付けをして上だけになった。
上は古星だけで佐うの2人でも大丈夫だったので俺は新黒尾の生死を確認しつつ廊下で待機した。
救護班の1年2人と高橋と調子の悪い長島が寝た。遅くまでよくやってくれたと思った。
八雲井が同様の理由で寝れないとかで廊下で話をした。俺的にはやる事ないなら寝てほしかった。
したら声がウルサイとかで寝ていた諸に怒られていた。気マズイので、部屋で寝なさいと促した。
古星が落ちついたとかで佐うが出て来て廊下に座った。うがこんな状況になったのは私の責任だと言った。
そしたら佐藤が4年の責任だとか言っていた。飲ませるだけ飲ませて終わりは無責任だとか言った。
『ほぅなるほど』と、『気が合うねぇ』とか思ったけど両方ともリアクションを取らなかった。
4時くらいで外は軽く明るかった。
最終確認して2人は寝たけど俺はまだ心配だった。スクランブルに対応しようと廊下で寝た。
寝たって言うか仮眠状態だった。とりあえず死人が出なくて良かったと思った。
すぐに朝になり朝食だとかで人が歩き周っていた。起きるタイミングを逃して寝ているフリを続けた。
疲れた・・・。

08月07日 木曜日 22:31:58「三日目〜それぞれの責任感〜」

朝飯で1年は昨夜の話し合いを行動に移していた。単純な俺はそれだけで、なんか嬉しかった。
雨が降るとかのはずだったけど海に入れた。4年生は全員寝ていて見事に置いて行かれた。
佐野高と共に海に行くと新井が埋められていた。そして新井の砂山の前には海草が積まれていた。
気温は高かったけど水温は低すぎた。去年はずっと海に入れたけど今回はちょっとだった。
佐高と岩場に行った時にやり過ぎて高波に動揺しサンダルが片方流されてしまった。
オイシかったけどほとんどの人は気付かなかった。小貝の協力によりなんとか救出する事が出来た。
海水浴場が狭かったのと会議の成果(?)で今回の海水浴は全体的に落研で活動していた。
スイカ割りをしたり纏りがあってなんとなく良かった。
13時頃になると風が出て来てみんな引き上げて行った。俺は防波堤に座って壮大な海を見ていた。
何人かでしばらくポケ〜っとしていると佐野高黒がカップヤキソバを持って現れた。
だから我々も近くのローカルコンビニで昼飯を買った。迷ったけど俺もカップヤキソバを買った。
峯元が黒生を買い、高橋と2人で飲んでいた。防波堤に戻り前にいた4人の横に並び飯を食った。
焼けた肌に海を見ながらのヤキソバも乙なモノだった。
海を見ている男達8人ってのが違う意味の青春だった。井野と黒川は先に帰ってしまった。
俺は峯長と部活の神様について話をしていた。16時くらいに宿に戻って行った。
例年通り皆して寝ていると思っていたのだけど宿に着くと部屋には面白いくらい誰もいなかった。
土産を買いに行ったとからしかった。俺も行きたかったけど昨日の歩き過ぎで足が痛かった。
だから近場のスーパーで済ませようと思って高野と行くと八雲井筆頭で1・2年の男がわんさかいた。
落研の姉御が増えたなと思った。

08月07日 木曜日 21:59:41「二日目〜疲労〜」

班別行動で我々は隣の市の遊園地に行こうとした。
班長が1年の宮部でそいつが幾つかのルートを考えるほどマジメ(?)な奴で
それ曰くそこまで1時間ちょいだと言うので歩いて行くことにした。
照りつける日差しの中、高野と黒川と3人で上半身裸で海沿いの道?街中をひたすら歩いた。
休憩や歩く速度から幾分の誤差はあると思っていたが1.5時間くらい歩いても目的地は見えてこなかった。
コンビニで地図を見て確認しようにもコンビニがない。
コンビニもどきの人に道を聞いたら果てしなく先だと。大袈裟だろうとさらに進み
どうもおかしいと土産屋で具体的に聞くとその場所から1.5時間かかると・・・。
ってことは宿から実際は3.5時間じゃーん!!!班長が見ていた地図は観光用の簡易地図だった。
道路標識を頼りに最寄駅を目指しコンビニを探した。
1.4km先にセブンがあると言う看板を信じて進み明らかにそれ以上歩いてセブンにて休憩だった。
この時代にコンビニの有り難さを再確認した。9時に宿を出て午前中は歩くことしかしてなかった。
今更何処かに行けるとは思えなくてとりあえず電車で水戸を目指した。ローカル無人駅で電車を待つ間、5人とも寝ていた。
水戸に着いても目的地があるわけでもなく商店街を練り歩きミスドで昼飯を食った。
その後、ゲーセンでプリクラをとりせっかくだから駅前の黄門様の像の前で写真を撮った。
それから大洗まで戻り入場無料の科学館に行った。宿を出てから6時間、ようやく観光らしきことをした。
そこ後マリンタワーを見上げてトボトボ帰路についた。
途中で八雲井班に出くわしたのだがその楽しそうで満ち足りた空気にショックを受けた。
自衛隊の行軍のような感じでオイシいけどさ・・。クッタクタで何をしたわけでもなく班別行動は終了。
夜には学年別会議が行われた。
俺は最初は幹部学年の所で昨日の結果を言い軽〜く俺なりの意見をのべて10分くらいで出て来た。
それは班別でウチの班は幹部がいなかったからだ。
最低でも24時くらいまで会議は行われるとかで俺は廊下で全てが終わるのを待とうかと思っていたが
煙草1本で辛くなって4年の人数が少ない1年の方に行き諸高とともに会議の様子を見守った。
落研の1年としてそれなりの基本姿勢は保たれていて内容としては俺的にはかなり充実していたと思う。
それぞれに自己反省をしてダメ出し合う感が良かった。
会議としても言わない奴は最後まで言わなかったけど全体的に意見を言わなくちゃと言う雰囲気があった。
また、ことなかれで1つの意見に簡単に纏ることなくちゃんと反対意見もあり
それでいてギクシャクはせずジョークも出るけど脱線を修正しようとする。俺のポイントは結構高かったと思います。
礼儀・規律問題にしてもそれぞれに注意し合い出来てなかったら同期の間で罰を与えるとなりかけた。
さすがにそれはやり過ぎだと思ったので諸沢がチェックを入れてなんとかことなきをえた。
その議論の時に白熱して軽く怒鳴り合う場面もあった。
罰とかはやり過ぎだと思ったけどでもその熱さ、その気持ちってのはいつまでも持っていてもらいたい。
1年にしては内容も会議的にもなかなかだと思った。
総評で諸沢がキツ目にしたのが気になったけど最初からシメてかかってもまぁ大丈夫っしょ。
見た感じ1年は去年のように上をナメているとかは特には見えないのでこのまま行ければ良くなると思う。
それだけに組織の歯車にならないかが心配だけど。久しぶりに下の会議で後味良く終われた気がした。
就寝間際、峯高橋と軽いゲームをやった。昔は前夜祭は無く今回のように合宿でやっていた。辛さが体力的なモノが多く普通に疲れた。

08月07日 木曜日 20:57:21「初日〜憂鬱〜」

前日の22時頃に高野と諸沢宅に行き合宿突入となった。軽く酒を飲んでゲームをしたりそうめんを食ったりだった。
坂戸部員のいくつかにも部員が集まっていたらしい。
朝9時に坂戸駅南口に着いたけど夏の暑さと寝不足、二日酔いで日差しの中で待つのは苦痛だった。
だからロッテリアで朝飯を食いつつ時間を潰した。10時頃に100均に行く途中で井野と高橋に会う。5人でヨーカドーの屋上に行き暇を潰した。
12時の集合で俺はダメージを受けた。佐藤の地方ヤン憎スタイルに全部持って行かれていた。
俺は誰も何もして来ないだろうと思っていたので、地味に出オチ用として24時間テレビのTシャツを着ていた。
峯元も小ネタを用意していたり星野が海苔を食ってたり。
俺はゼロを想定したモノだったので全てしてやられた。普通に悔しく次回への闘志が燃えた。
バスの中は4年が後部座席を占領し宴会モードに座席を変形させサイコロトークをやっていた。
4年以上全部と星石黒森の10人でやったが楽しかった。
宿に着いて晩飯までの時間で海に行こうとした。だけど学生課が来るらしくその為の写真を撮った。その後に佐と何人かで海に行き泳いだ。
晩飯間際に気付いたのだが4年がやりたい放題だった。
松と竹の部屋がブチ抜き大部屋で14人だったのだが、松竹間の仕切りをして部屋を峯諸野高の4人部屋にしてた。
俺は違う部屋だったのだけど煙草部屋が松だったので主に松で一緒になって活動することにした。
班別会議は峯元、高橋、上村、尾場瀬だった。
高橋、尾場瀬は自分達は棚に上げて権利を主張するばかりで結局はこうなのかとガッカリ気味だったけど
結びで、微量だけど自分の積極性の無さなどを言ったのでメンツもメンツだったし別にイイやと思った。
上村は真偽のほどはともかくとして愛国心があった。昔の伊藤を軽くしたような意見だった。
尾場瀬の意見で松竹間の仕切りをハズしてくれとあった。
確かに後輩は上と接しなければならないと言うし、それに我々も積極的に話をしろよとは言うのだけど
下が純粋に努力をしていた場合それをダメにしているのは排他的な上(自分達)なんだなって思った。
俺も上としての立場に甘んじていたと思った。
佐藤は部屋で後輩と遊んだりしていたけど俺は上が下に気を使ってちゃダメだと調子にのっていた。
班別会議が終ってから松竹間の壁を取り払った。
それでも松の方に入ってくる人は少なかったけど、それまでよりは幾分和んだ気がした。