10

「まったくお前はうるさい奴だ。
そんなに安らぎが欲しいか。
そんなに造形か恋しいか。
そんなもの糞食らえだ!
消えてしまえ!消えてしまえ!
最初からお前などいなかった!
最初から俺などいなかった!
ああ、そして世界は消えていくのだ!
お前の欲しがっていた安寧はここにあるじゃないか!」

こ れ で 全 て 満 足 か ?

2004.03.02


09

お前たちは白い布にくるまれて死ぬがいい。
俺は糞尿にまみれて死ぬだろう。

2004.03.01


08

これほどまでに私が憎悪を抱く対象によって、私がまた生かされている事実。
それがどうしようもなく私の感情を煽り立てる。
私は臆することもなくこう言える。
世界はそれ自身が「死」であるべきだと。
そして「死」のただ中で、私はついに私自身の存在を消滅させ、長い旅路に終止符を打つことが出来る。
今はただ、焼け付くような憎しみの言葉をむなしく吐き続けるだけのこの私の生を終わらせることができるのだ。

2003.12.27


07

もし仮に、哲学的思考をある種の高尚さととらえる連中が好んで使いたがる役立たずの定義遊びを全て捨て去った上で、誰かが私に「お前の幸福とはなんだ?」と訪ねたら、私は即座にこう答えるだろう。
今の私にとって、望める限りの幸せとは、私の意志の埒外の何らかの要因によって不意に私の生命が奪われることだ、と。

2003.12.03


06

私の存在は矛盾の内にある。
私の存在そのものがそもそも「偽り」であり「戯れ」に過ぎない。

2003.11.22


05

私は言うなれば精神的な過食症だ。
こちらの意思とは無関係に私の精神はありとあらゆる外界の事象を手当たり次第に食い尽くす。そしてその全てを私という理性の下にさらけ出して見せる。
しかし私の精神はそれほど理性によって統括されている訳ではない。
やがて私は私の精神が食らった全ての事象を倒錯的な自嘲と共に嘔吐する。嘔吐し続ける。
吐き終えたその瞬間(実際には瞬間とも言えぬほどの当惑の中で)、私の精神は徹底的に空虚だ。

2003.11.21


04

これを書きつづっている私の心情がどのようなものであるか、ということは実はこの書き殴りの断片達にとって少なからず重要であることは間違いではないのだが、それを知っていてなお、私は自身の心情そのものについての記述を拒む。
それはたやすく詳述できる類のものである。それは確かだ。しかしそれが私という理性を通して語られてしまうと、途端にその情景は私にとって金属質の肉塊のように思えてくる。
私はもはやそれを愛することは出来ない。
だが、これを書いている現在の私と、前回の雑記内において肉体に固執する「我」を語る私とでは精神的に絶対的な差異があることだけを述べておこう。
その差異の産出という現象は、この場がもたれたことと同様に、やはりある一つの経験を経たということに還元されるのだが、この経験は見事なまでに私に選択を迫った。
理性に誓いを立てるか、夜に身を投げるか。 私は「どちら」を選んだか。その答えは早急には出されない。なぜなら私はその段階ではどちらをも選ばなかったからだ。そして(取り敢えず、と言っておこう)私はまだここにいる。

私の両親は深く私を愛した。それ故に、その愛故に、私もまた彼らを愛するだろう。だがしかし、私の愛が両親への殉教という呪縛から逃れるには、(あろうことか)20年以上もかかったのだ。
これ以降、彼らの内のなにものも、もはや私を強く突き動かすことはできないだろう。
それどころか私は、彼らの行い全てに対し「否」と言うことさえ出来る(そしてそれは取りも直さず彼らの全てに対しての「諾」であるわけだが)。
私の愛はいま、ようやく動き出した。

2003.11.18


03

精神の変化が欲しい。暗闇への扉は開いた。だが私は、まだこの猥雑な世界でいま一歩踏み出さねばならない。
意識がそれを求めている。もはやそれは否定できない。
死を見つめ、死を語りながらも、あろうことか私は切り取られた自分の左足首を後生大事に抱え続けたのだ!
何という馬鹿馬鹿しさ!
これほどの喜劇を私は未だ嘗て見たこともなければ体験したこともない。
私の全ては無意味だ。

狂い死にするほどの倒錯の中で、私は吐血する。
しかし、堕胎された血はその視覚的な美しさとは裏腹に何も産み出しはしないのだ。
それは、おぞましい金属的な色をしている。

2003.11.06


02

自我という物は我々が思っているほど重いものではないのだ。
自分の存在におびえる者も、自分の存在に傲慢になる者も、どちらも自我というものを過大評価しているような気がしてならない。
どれほど至高性を持たせても、結局自我というやつはただひとつの「からくり」すら越えることはできないのだ。
我々はつまるところ籠の中の鳥にすぎない。

2003.10.11


01

このサイトが出来てしまったのは全くの偶然であると言わざるを得ない。
本来ならば、存在しなかったはずのもの、存在せぬ予定だったものが、不意に私に訪れたある経験を機に産まれ出でてしまった。
これは、私にとっては全く悲劇としか言いようがないだろう。なぜなら、これから先、私はあの一瞬にかいま見た「死」と常に向かい合わねばならないであろうから。そしてそれは、ともすれば言説の中で展開する生に徹底的な破壊をもたらすでろうから。
このサイトは某所で紹介されているような啓示的な要素は何一つ含んではいない。
ここにあるのは純粋に「佐々木裕司」という一個体の精神の記述である。
それが他者にとって興味引かれるものであるとはとても思えないのであるから、本来ならばこれはひっそりと自身の心の中で展開させれば良いのだ。にも関わらずネットワーク上に展開させる以上、私の中に何かしら開示に対する欲望があるのやもしれない。

2003.10.05


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