3 Times As Sweet

 細長いスティックタイプのクッキーにチョコレートをコーティングしたお菓子の箱は、ダウンジャケットのポケットから半分落ちかけたままで碁会所まで運ばれた。碁盤の横で中袋を引きちぎり、ぽりぽり食べていたら塔矢がやってきた。
「自分で買ったの?」
「ばあろ」
 直方体の紙の箱には、百円均一などで売っていそうなチープなシールが貼られていた。きらきら光る銀色のシールには、投げキスするブロンド美人のイラストと、大きく「義理チョコ」の文字、ハートマーク。改行されて少し小さめに「ホワイトデーには三倍返しね」。ハートマークのリフレイン。
「奈瀬に貰った。お前会わなかった? 皆に配ってたぞ」
「ふうん」
 塔矢は特に興味なさげに、お菓子の箱を手に取ってシールを眺めた。
「食う?」
「要らない」
「ポッキー嫌い?」
「こういう菓子類は、甘みがわざとらしいよ」
 どうせ、こいつの子どもの頃のおやつは羊羹や薄皮饅頭が定番なんだと勝手に決め付けた。あってせいぜい、麦チョコくらいだ。
「三倍返しって言ったってさ、百円そこらの三倍じゃ三百円ぽっちじゃん? それでいいのかよって言ったら」
 塔矢が正面の椅子に座ると、市河さんがコーヒーを運んできた。一緒に、小皿に輝く数粒のトリュフが机に置かれる。
「あ、ありがとう」
「え、塔矢にだけ? ひっでぇ贔屓」
「当たり前です」
 つんと取り澄まして、市河さんは受付に戻っていった。
「嫌いなんだろ? 俺にもくれよ」
「駄目だよ。失礼だろう」
「わざとらしすぎるくらい甘いって。そっちのが」
「市河さんは毎年ビターチョコだから。で? 言ったら?」
 ビターでも、やはり甘いものは甘いらしい。塔矢は取り澄ました表情で一粒口に入れたが、最低限味わうとすぐにコーヒーを飲んだ。
「ああ、そうそう。だから皆に配ってるんだってさ。お返しは十人くらいでまとめてもらっていいって言うんだよ。そしたら、三千円? 一粒千円のチョコが三つ買えるって。一粒千円って、どんなだよ。そんなん食いたい?」
 塔矢はちらりと入り口方向に視線を投げてから、さりげなく小皿に残るトリュフを手で示した。
「うわぁ」
「確かに、自分で買おうとはあまり思わない値段だね。でもだから、人に貰ったら嬉しいんじゃないのか?」
「嬉しい?」
「少なくとも、バレンタインデーに百円の義理チョコを頂くよりは光栄だ」
「ムカつくなてめえ」
 庶民的な、愛すべきチョコをぽきぽき歯で砕いては口の中へ送る。指先についた小さなかけらを軽く床へと払った。
「貰ったの、言っとくけどこれだけじゃねぇぞ。サンクスで買い物したら店員がくれた。男だったけど」
「幼馴染が毎年くれるんじゃ?」
「あかり? あいつ一昨年からくれない」
「そう」
 塔矢は意味ありげに微笑んだ。そう見えただけかもしれない。一局打ってから碁会所を出た。例年より早い春一番が吹きすさぶ街は、そこらに甘いハートマークが踊っていた。
「市河さんもさぁ……あれ実は本気で狙い撃ち? ずぎゅーん? かわいがってるだけかと思ってたけど、お前のこと」
「今日だけだよ。一年に一回。毎年ね」
 生ぬるい風が塔矢のコートの裾を煽った。今年は異常なくらいの暖冬で、今日も四月並の気温だという。それでも寒がりの塔矢は、ロングコートの前をしっかり閉めた。
「一年に一回くらい、他愛もない夢を見るのもいいんじゃないかな。罪はないだろう。女も男も」


 駅前から遠ざかるほどに甘い香りと甘い華やぎ、甘い光は薄れていった。最後の一言に少しばかり憤慨していたので、日が落ちたとはいえ十二分に健全なその時間、唇を掠めるキスをした。
「ビターチョコよりは甘いだろ」
「わざとらしい」
「三倍返しな。ホワイトデー」
 人差し指を、塔矢の唇にちょんと押し当てて笑った。