背比べ

 ごつごつした梅の枝を彩る花が散り、ふと気付くと、祈る手の形をした赤紫の花がバスの窓越しに満開だった。さらにはのどかな心を乱す桜についで、いい加減花花の色彩にも目が慣れた季節になる。
 今年で三度目の塔矢邸での合宿には、記者が取材に訪れていた。合宿恒例の十秒碁を感心した様子で撮し、「凄いね、気合い入ってるね」などと間のぬけた口を挟んでは塔矢に剣呑なまなざしを投げ掛けられていた。
 やっと一段落つき、記者の奢りの出前寿司を頂戴しながら、インタビューを受けた。
「社くんは二年ぶりの北斗杯になるね。今の気持ちはどう?」
「…はあ、や、出るんやから頑張るまでですわ。予選で戦った皆の代表になるわけやし…」
  社はカッパ巻きに箸を伸ばした形のままでぼそぼそ答えた。今回も予選をぎりぎりで通過した社らしいコメントだった。
「進藤くんは…今年こそ勝ちたいよね」
「え。そりゃ…」
 どう返せばいいのか、口ごもっているうちに狙っていた甘海老を社に奪われた。
「なんといっても、高永夏の北斗杯出場は今年で最後だし、うん、今年こそ!」
 記者の力み具合に恥ずかしくなりうつむいた。そりゃあ、どうせ、去年も、負けました、けど。
 塔矢が自分で入れた茶をすすり、じっとこちらを見ていた。
 記者が塔矢に狙いを変えたので、社と二人、お湯を入れる口実で座を立った。
「…なれんわ…。塔矢の奴はよおやるで…」
「……言ってくれるよなあ…」
 ついつい二人してぼやいてしまう。
「…お前なんか、高永夏とは北斗杯じゃなきゃ戦えないって言われたみたいじゃん…」
「みたいやなくて、まんまやん」
 大きなポットに水を汲む。少し不機嫌な沈黙が生まれ、いけない、これではまるで傷付いているようだと焦った。社にそう思われるくらいなら別に構わないけれど。
「二人とも。いつまでさぼってる」
 塔矢が険しい顔を覗かせた。二人で溜め息を飲み込んだ。
 しかしさすがに多少大人になったのか、雰囲気こそひび割れそうな音を立てるものの、今回は急須が飛ぶことはなさそうだ。
「…大将、えらいおとなしなったやん」
「そんなことはどうでもいい」
 撥ねつけるような声が石を打つ。やっと記者が塔矢に追い返されたので、あぐらをかいて柱にもたれた。
「進藤、態度が悪い」
途端に叱られた。
「…あれ、塔矢これ何?」
 気にせず一方的に質問した。「怒ってばっか」な塔矢アキラにももう慣れた。
「なんやなんや?」
 社がにじりよる。目線が低くなったから気付いたのだが、柱には幾筋もの傷があった。
「……背を測ったんだよ。小さい頃。そこで」
 塔矢が溜め息混じりに答えた。よく見ると、木目と一体化しそうな鉛筆の文字が、几帳面に一年毎の日付を記していた。
「へーえ、大将ちっちゃかってんなあ。てか結構最近まであんねんな」
 一番新しいものはさすがに立たなくては見えなかった。1999.5.5。あの頃の塔矢はこんなに小さかったのか。かなり大きく思えていたけれど。
「社、俺も測って」
 弾けるように立ち上がり、柱に沿って背筋を伸ばした。
「…子どもやなあ」
「ジュニアじゃん」
 人様のお宅だからと、社はうっすら鉛筆で線を書き込んだ。その横に日付と名前を書き、下の方にある、昔の塔矢の身長と比べた。
「うわあ、塔矢、ちっちゃい」
「その頃の君はもっと小さかったろう」
「うん。もっともっと小さかった」
 少し笑った。塔矢は静かだけれど強い声で、「座れ」と言った。「座って、打て」
「うん」

 大きくなるということは、傷を刻むということだ。社が、多分わざと、あほくさい音階で「柱の傷は一昨年の」と歌った。
「五月五日のせいくらべ」 続けて口ずさみ、塔矢を見てにっと笑った。