Love Pain

「あた、あたたたたた」
 放課後いつもの碁会所で落ち合って、そのまま対局へと流れ込んで数分後。進藤ヒカルはいきなり碁盤に口付けんばかりに上体を折った。
「…どうした?」
 あっけに取られて、とりあえずそう尋ねた。これがたとえば友だちである、同門の芦原某であったなら、100倍は心配そうな顔で、実際驚くことも出来たと思うのだが。
 いかんせん相手は長らくのいざこざを経た進藤ヒカルである。盤面が崩れることを気にしなかっただけでもいい出来だ、と自己評価する。
「何か悪いものでも食べたんじゃないのか? 虫歯をほったらかしにしているんじゃないだろうな? 集中力が落ちるから、定期検診はプロの義務だぞ?」
 いつまでも目の前でうーうー唸っているものだから、さすがに不安になってそれなりに気を使う。
「……お前俺のことなんだと思ってんだ…」
 しかしその使用法は、あまり彼のお気に召さなかったらしい。
「……じゃあ、どうした?」
 分からないことは率直に聞くが一番である。すると進藤は、行儀悪く片足を椅子の上に引き上げ、膝を抱えた。
「靴! 汚れる!」
 誰か他の大人に注意される前にと、これまた親切心のつもりだったのだが。
「…るさいな、お前一々うるさ……いってぇ……」
 どうにも自分たちの意思疎通はあまり芳しくない。
「……だから、どうしたって?」
「膝いてぇの! 骨伸びてっから、今!」
「ああ……」
 成長痛、という言葉を思い出して納得した。
「じゃあ病気じゃないね」
「……だから続き打とうとか言うんじゃないだろうな?」
「成長期なんだ、進藤」
「俺は足もでかいからでかくなる」
「今何センチ?」
「………」
「進藤?」
「痛いっ、ああ痛いってばくっそぉっ!」
 自分や碁盤はいくら罵倒されても言い返す術を持たない。彼の身体の痛みを和らげる秘儀を持つわけもない。
 自分の成長期を思い出す。比較的早かった。中学校に入るか入らないかの頃で、痛みもそれほどではなかった、と思う。
「キミ、これまで小さかったからなぁ」
「……………バカにしてるのかお前…」
「どうして?」
「見てろ、絶対追い抜いてやるから…っ」
「棋力で?」
「……………そっちは長い目で見るんだよっ」
 長期的視野を持つべきなのは、どちらかというと身長の方ではないかと思うが、口には出さずにいた。成長の速度は人それぞれ。もしかすると碁の腕と同じく、加速度的に伸びるかもしれないし。
「今日はもう帰る? 誰かに送ってもらおうか? 対局、無理そうだ」
 気遣い再び、のつもりだったのだが、進藤は片膝を抱えたまま、顔を碁盤にくっつけてしまった。
「汚いよ」
「どっちが」
「……」
「…………。今に見てろ、お前」
 進藤は低く呟くと——そういえば声変わりはいつだった?——足を床に下ろし勢いよく立ち上がった。
 痛むらしい足を踏ん張って、仁王立ち。
「今に見てろ。ほんとに。対局なしでも引止めにかかるくらい・・・・・・に、なってやるから!」
 右手を拳銃の形にして、ばぁん、と棒読みの銃声。人差し指で人の額を狙い打つ。額?
 に、しては、少し角度が深かった気もするけれど。

 進藤はそれからまた碁盤の前に腰を下ろし、打つわけでもなしにイタイイタイと唱えていた。
 とりあえず自分は途方にくれて、打ちもせず並べもせず、彼の前に座っていた。
 ほとほと無意味な時間を、発育途上の痛みのために費やして。