色をも香をも、知る人ぞ

 昨日塔矢と初めてセックスした。
 朝になりそれぞれの家へと一旦戻り、午後、待ち合わせの駅前でしばし立ち止まった。
 飾り気のない地味な、だけども上質な黒のセーターにコートを羽織り、そしてその塔矢の腕には、大輪の薔薇の花束があった。
 絶句して、他人のふりをしようとしたけれど、一瞬早く見つけられてしまった。「進藤」
 嬉しそうに名を呼ぶ。ここで走り逃げ、背後から大声で名前を連呼されてはかなわない。仕方なく近づき、極力不穏な表情で「よう」と頷いた。
「おめでとう」
 差し出される豪奢な花束。まだパーカーのポケットから手を出さない。
「…俺、別に誕生日でも何でもないと思うけど」
「知ってるよ。昨日…今朝、言ったじゃないか。お祝いをするよって」
 塔矢はいっそ無邪気とも言える表情だ。
「…俺、自分を世間知らずだと思うけど、お前よりは常識的だって、思う。いつも」
「それは僕が常識知らずだという意味かい?」
 塔矢は微笑んだ。少し、怖かった。
「…いやそんな。滅相もねぇ」
 白々しさが伝わりますように。祈りながらの棒読みに、塔矢は改めて花束を差し出した。
「おめでとう」
 受け取らないわけにはいかなかった。やり取りに注目されていて、とりあえずさっさとその場を離れたかった。
「…どうも」
 負けた。美しい薄紅の花弁が、パーカーの胸元でがさがさと鳴った。


 昨日塔矢と初めてセックスした。
「したことある?」 ベッドの上で尋ねるとあっさり頷かれた。
「あるよ。女性とはないけど」
 驚いた。驚いて、ああ、そうなの、と間の抜けた相槌を打った。
「女性ともしかけたことはあるんだけど。駄目だったんだ。男も案外にデリケートだね」
 その会話はいわゆるピロートークだったのだけど、はじめからムードなんて求めないやり取りだった。
「相手には失礼だったけれど、自分からあえて入れたいと思わなくて、結局立たなくて途中で止めた。それくらいなら自分がマグロになってた方が楽だと思って」
「それも、失礼だぞ」
「そうだね」
「そっちはできたんだ」
「イけたよ。目を閉じて君だと思えば済む」
 呆れて、「それはお前俺じゃなきゃ駄目なんだ」と指摘した。
「僕もそう思う」 塔矢は満足そうに微笑んだ。「それが、この場合一番妥当な解釈だと思う」
 解釈なんて高尚なものが必要な話ではかけらもない。
「そいつと今もつきあってんの?」
「ううん。僕はどうにももてないんだ。知ってるだろう? 君は付き合いだすと長いよね。なんでだろう。どこからどう見ても、君より僕のがいい男だと思うんだけど」
 しゃあしゃあと。どんな顔をして言っているのか、枕にうつぶせた塔矢の肩を押した。本気で真顔だった。こいつは。
「お前みたいのは」
「うん」
 肩に押し当てた手のひらに、肌の湿り気が伝わってくる。汗の引いた後の人肌のやわらかさ。
「俺くらい人間できた男じゃなきゃ、駄目だよ」
 塔矢は、仰向けのまま、標準より少し長い腕を伸ばしてきた。「それは君が僕じゃなきゃだめなんだ」
 その腕に頭を抱かれた。硬い指先が、髪を梳いた。
 何だか手馴れたその仕草に、先ほどまでの行為のスムーズさを思い返し、塔矢は本当に経験者なんだと納得した。
 また二人折り重なり、五感をフルに使って互いの身体を知ろうとした。
 吐精には至らない第二ラウンドの後、実は童貞だったのだと告白すると、塔矢は腹を抱えて笑い、感謝しろとのたまった。筆下ろしおめでとう、お祝いをあげるよ。
 正直、どこまで本気なのか分からなくて戸惑った。
「赤飯でも炊いてくれんの」
「面倒だな」
「祝いだろ?」
「ああ、お祝いだ。明日には贈り物を用意しておくよ」


「お前やっぱりおかしい」
「そうか?」
 片手に無造作に持ちたかった。花を下向きに、普通の荷物のように乱暴なくらいの持ち方で持ちたかった。だけどあまりに繊細な色と香りに、壊れ物を抱える気分で胸の位置から下ろせない。
 標準より少し長い脚で前を行く塔矢の背中を追いかける。
「そうだよ。俺、これ、どうしろって言うんだよ」
「どうって? そりゃあ、家まで持ち帰って水切りをして花瓶に生けて、水替えもして香りを楽しんだ後、最後にはドライフラワーにして取っておいて欲しいと思うよ」
「…記念に、」
「そう、記念に」
 塔矢はちらりと振り返り、微笑んだ。直視するのも何となくアレで俯くと、薔薇の柔らかな花弁が瑞々しかった。赤ん坊の肌みたいだ。連想ゲームはあっけなく昨夜の記憶を辿る。罠にかかったケモノみたいな自分だった。
「こんなの、高かったろ」
「安くはなかったな。だけど綺麗だろう。店先で見かけて買わずにおれなかった。他の人たちが素通りできるのが不思議だった。綺麗だっていう感覚を、君なんかと共有したいと思ってしまった僕の人生の汚点の記念だ、それは」
 塔矢はやっぱり笑っているようだった。幸せで。幸せでたまらないという浮ついた声だった。
 同じように浮ついた足取りで歩きながら、するりと言葉が舌を滑った。
「綺麗なものなら昨日散々見せてもらったよ。お前に」
 すると塔矢の足は止まり、勢い追いついたその顔を見た。

 他の誰が彼の肌を辿ろうと愛し尽くそうと、そんな顔をできる塔矢を知っているのは自分だけだろう。
「ま、とりあえずお前、水切りの仕方とドライフラワーの作り方を教えろよ」
 透明で確かな幸福の匂いが、鮮やかに胸で香るようだった。



少しばかりこのSSが出来た経緯をば。笑
裏庭さんのところで、アキラBD限定で発表されていた「匂ひ出づる」という素敵作品がございました。<らぶv
(その後1月、そのときのSSをプロローグとして、オフラインで同名のヒカアキご本を出されておりますv)
ヒカルがアキラに薔薇の花束を渡すお話でした。
その中の、アキラの、
「僕はてっきり、君は僕に、これを家まで持ち帰って、水切りをしてから(中略)ドライフラワーにしてとっておいて欲しいのかと思ったよ」
「僕ならそのくらいは考える」
という台詞に…受けました。笑
んで、「そのくらい考える」アキラが、ヒカルに花束渡す話が書きたいなぁと思い、
裏庭の蓮さんの許可を頂き書かせていただいたのがこれになりまする〜。
ありがとうございましたv