Today's Special 〜何でもない日、万歳!〜

 ヒカルが、布団を叩きながらその歌を口ずさんでいるのを聞いて、アキラは思わず新聞を畳む手を荒げた。
「…しつこい!」
「あー? 何がー?」
 ヒカルは白々しく聞き返す。最近出した厚めの布団を、秋晴れの空に音を立てて叩く。
「君がそんなに根に持つタイプだなんて、」
「えー? 何のことでしょー?」
 ピンク色の可愛らしい布団叩きが、何かの憎しみでもこもっているような悲鳴を上げる。
「俺は、別に、気にしてませんけどー?」
「…ウソツケ」
 負けじとアキラは憎憎しげに呟いた。
「気にしてません〜。誕生日忘れられてたことくらいー」
 わざとらしい抑揚をつけて、ヒカルはまた歌い出した。「なんでーもないひ、おめでとー!」
「しつこい!!」

 確かに、忘れていた。しかし前日くらいまでは覚えていたのだ。9月20日がヒカルの誕生日だということは知っていたし、まさに今日の日付が9月20日だとも認識していて、しかしその二つがなぜか結びつかなかった。…忘れていた。そういえば眠たかったから気にもしなかったが、前夜就寝時、0時を回った時計にヒカルはやけに視線を投げていた。
 その日、ヒカルより先に棋院から帰宅し、丁度玄関で靴を脱いでいると電話が鳴った。二人とも携帯を持っているので、固定電話は常に留守番電話。切り替わる前にと、慌てて靴を脱ぎ散らかし、電話に出るとヒカルの母親だった。
「進藤なら、仕事の後友人たちと約束があると言って…」
 そう告げながら、はっとした。約束?
 ヒカルの母親は少し寂しげなため息をついた。
「…誕生日も、家族よりお友達と過ごしたい年頃よねぇ…」
 ……約束は、誕生パーティだ。
 お前も来る? とずっと前に誘われていた。遠慮すると、じゃあ代わりに前の晩に祝ってな、と明るく言われ承諾した。していた。忘れていた。
 電話を切って、アキラは軽く落ち込みそうになりながらも60秒後には復活した。すぐにヒカルの携帯電話にかけてみるが、コールの後留守番電話サービスに切り替わる。居酒屋などにいればそうなるだろうが、何回かけても同じなので、いっそこれは嫌がらせかと。仕方なく、「日付が変わるまでには帰るのか?」とだけ吹き込んだ。おめでとうの言葉は意地でも直接言いたかった。
 その後冷蔵庫の中に、ヒカルが自分で買ってきたらしいホールケーキを見つけぐらりとなった。祝って欲しいならそう言え、と、思わずそこにいないヒカルへ怒鳴ってしまった。
 結局ヒカルが帰宅したのは翌朝だった。目を合わせられず、気まずく、「おめでとう…」と告げると、ヒカルは嫌味たらしく「あれ? 今日って何の日だったっけ?」と答えた。

 いい加減、逆ギレのタイミングを計っていい頃合だろうか。アキラは苛々しながら新聞をマガジンラックに押し入れた。誕生日以来、初めて重なったオフ日で、昨日仕事帰りにプレゼントも買ってきた。遅まきなのは分かっていたが、このままだと9月中ずっと嫌味を聞かされる。食べ残しのケーキもそろそろ片付けないと。
「塔矢、新聞、ちゃんと入れろよ。飛び出てんじゃん」
 たまに細かいヒカルが、ラックの新聞をもう一度入れなおす。「あ、奥に何かくしゃっとなってる」
 どうせダイレクトメールの類だろうとアキラは頓着しなかったが、ヒカルが引っ張り出してきたのは茶封筒だった。
「何これ」
「あ、すまない」
 目に留めて、慌てて謝った。「国勢調査だ。この間留守中ポストに入ってた。君、自分のところ埋めといて」
 ヒカルは封筒の中身を漁り、「へーえ」と相槌を打った。
「四年に一回だっけ? うるう年の親戚?」
「五年に一回だよ」
「すげ細かいことまで聞くんだなぁ…。あ」
「何」
 ヒカルはマークシートを眺めながら、さりげなく指差した。
「…世帯主って、うちの場合どっちになんの?」
 思わず沈黙してから、ヒカルの肩越しに紙を覗き込んだ。
「…住民票どうしたっけ?」
「忘れたって、そんなもん。一緒に出したわけでもないから、適当にしたんじゃねぇの?」
 ヒカルが呆れ顔で振り向いた。今更のようにまじまじと見つめあい、揃って首を傾げた。
「…まぁ、いっか」
「ああ、いざとなればじゃんけんでもいいだろう」
 ヒカルは面倒くさそうに書類を封筒に戻し、冷蔵庫にコーラを取りに行った。だからその件はそれで終わりだと思っていたら、ペットボトルに口をつけてコーラを飲んだヒカルが、「でもやっぱ、『なし』のがいいな」と言ってきた。
「そうだね」
 アキラは頷いた。それから昼を挟んで少しいちゃついて、空腹になったので二人で食事に出かけた。早めの夕食というか遅めの昼食というか、微妙な時間だった。
 近所のファミリーレストランで安っぽいイタリアンを食べた。帰宅の頃には日が傾き、町並みがきらきら輝いていた。背を向けるのが残念なくらいだったので、方角としては逆だけれど、そちらに向かって半時間ほど散歩した。手を繋いで歩いていると、徐々に互いの機嫌が持ち直すのが分かった。現金だけれど。
 たっぷりと時間をかけて家へたどり着き、アキラは、残ったケーキを食べてしまおうと提案した。
「ワインも開けるよ」
「いいな」
「プレゼントもあるんだ」
「へえ」
 ヒカルは照れ笑いし、負け惜しみのように言い返した。
「凄いな。でも、今日って何の日?」
 アキラは笑い返して、ケーキとワインを用意しながら歌で返事した。

 何でもない日、おめでとう。