GREEDHEAD

 今期の棋聖戦は挑戦者・塔矢アキラが制した。同時にアキラは、七大タイトルすべてを1回以上獲得するグランドスラムを達成した。
(まぁ、俗っぽいとか言っても…)
 めでたいことに変わりはない。
 随分経ってから、塔矢行洋経営の碁会所で、本人不在のもと祝賀会が行われた。本気で男泣きしている後援会のメンツを横目に、芦原はちびちびビールを飲んでいた。
「ども」
 と、向かいの椅子にどっさり腰を下ろしてきたのは進藤ヒカルだった。芦原は、中身にそぐわない紙コップを軽く掲げ、挨拶に代えた。
「進藤くんもビールいけたっけ?」
「あ、すいません」
 相手のコップにビンから注ぐと、喉が渇いていたのか一気に飲み干した。すぐにまた満たしてやる。しばらくすると頬が火照っていた。そんなには強くないのかもしれなかった。
「主役はどうでした?」
「ああまぁ、大丈夫だよ。ろくなもの食べてなさげだったから、タッパーで冷蔵庫いっぱいにしてきてやった」
「……一家に一台芦原さん」
 祝賀会は、当然、アキラのスケジュールに合わせて予定されていた。しかし当日になって、アキラが体調不良でリタイアしたのだ。
「食欲が乏しいのはいつもだけどさ、けどまぁ体が資本だしなぁ」
「ほんとほんと」
 大きく頷く進藤ヒカルは、最近少し体格にボリュームが増してきた。「健康的」の範疇に収まっている内は、指摘するほどのことでもないだろう。
「…喜んでましたか」
「へ? 何を? あ、今回の? 何、しばらく会ってないの?」
 兄弟子の自分より、ヒカルはアキラと普段の交流があると思っていたので、芦原は目を瞬かせ驚いた。
「はぁ、なんだかんだで。当たる手合もなかったし」
「そうなんだぁ」
 低段の頃は、二人はプライベートの時間、よくこの碁会所で打っていた。しかしアキラは今、日本一対局過多の囲碁棋士で、ヒカルもその数に迫る勢いだ。伴って雑事も増えている。
「うーん、俺も今日久しぶりに会ったからなぁ。もう棋聖戦も終わって数カ月だし、話題も出なかったよ」
「そっか」
 病人相手だしね。付け加えて、芦原はつまみのミックスナッツに手を伸ばした。
「でもまぁ、嬉しいんじゃないかな」
「……そうですね」
「うん、アキラは、何というか、欲の深い碁を打つから」
 ヒカルは紙コップに唇をつけ、またビールを飲み干した。
「普通は、『勝負強い』とか言うんじゃ?」
「……ん」
 ああ、この子も自分と同じことを感じている、と、芦原は複雑に頷いた。ビールをもう一杯与えてやると、いかにも酔った様子のへにゃりとした笑顔を見せた。
 今日、芦原が数時間塔矢邸の台所を占拠していると、アキラは微妙に所在なさげだった。つまりはわずかばかり迷惑そうだった。人の善意や好意を遮断すべきではないと芦原はそれを無視した。食欲ないからいいですよ、と遠回しに拒否するアキラの言葉を受け流し、半ば無理やり食べさせ寝かしつけた。食欲も睡眠欲も、一般的な物欲も、アキラにはあまり見受けられない。しかしストイックでは断じてない。
「……欲にまみれた碁を打ちますよ…」
 呟くと、赤い顔のヒカルは「だけど」と言葉を返した。
「盤上の碁打ちはみんな強欲です。星を9つじゃ満足できなくて、宇宙全部手に入れようとするんだから」