凍った水と恋心
門松の足元に、雪の溶けた水溜りができていた。年賀状をポストから取り出すとき、そこに踏み込んだ。
わずかな反発力と、すぐに脆いガラスの感触。薄氷が張っていたことに初めて気づいた。割れた氷が、浅い水に沈んで光っていた。寒い朝。
新年の挨拶が飛び交う我が家で、母の手伝いに酒や食事を運んだ。
ふと見ると、卓上で料理の皿に隠れ、自分の携帯電話がメールの着信を告げていた。手を拭いて、携帯電話を取り上げる。誰がここに置いたのだろう。それも分からないが、酔っ払いの溢す酒などに被害を受けなくて良かった。
メールは進藤ヒカルからだった。何も珍しくない新年の挨拶に、付け加えられた多少の甘味料。
思わず、少し、顔がほころんでいたのだろう。目ざとく緒方にからかわれた。
「めでたそうだな」
「お正月ですから」
芦原がふざけて背中にのしかかってきた。慌てて携帯電話を閉じた。
「おめでとう、アキラ」
「ありがとうございます」
反射的にそう答え、はっと顔を上げた。緒方がにやにやしていた。芦原が弾けたように笑った。
「訂正します。はい、明けましておめでとうございます、芦原さん」
苦笑した。フェイントだ。引っかかってしまった。まったく、この兄弟子たちは…。
進藤と初詣に行ってくると告げると、珍しく母が不満げに頬を膨らませた。
「進藤さんとはいつでも会えるでしょう。たまのお正月くらいお家でゆっくりしたらどう?」
この手の小言が漏れるときは要注意だ。たじろいで言い訳を考えていると、予想しないところから助けが入った。
「これでは騒がしくてゆっくりするどころではないだろう。たまに帰ってきたのは私たちの方だしね。…アキラ、行ってきなさい」
父だった。母と二人、ぽかんと口を開いてしまった。
「何て顔をしている。二人とも」
「え」
「だって、まぁ、あなた…」
それから母は我慢できないといった風情でくすくす笑い出した。
「いいわ。お父さんの許可も出たことだし、行ってらっしゃい、アキラさん」
母が笑いながら手を振った。
「い…ってきます…」
外に出ると寒く、身体が震えた。しかし何だかほっこりとした。やり取りを思い出して、自然足が走り出した。
道路に張った薄い氷が、ぱきんと足の下で割れた。待ち合わせの角に進藤はもう立っていた。片手を振って子どものように笑う。息を弾ませながら、今自分も笑っていることが分かった。
「あけおめっ」
「何だ、それ。あけましておめでとう」
「おめでとう。今年もよろしくっ」
ままごとのような恋だ。ままごとのような恋だった。だけどとても幸せだった。
ぱきんと割れた凍った水と、同じくらい脆い幸せだと知っていた。
誰か一人の重みだけでも、壊れそうな胸の薄氷。
だけどおめでとうと言ってくれた。
だけど行ってらっしゃいと言ってくれた。
おめでとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう…
今年もよろしくなどとおこがましいが、どうかもう少し強くなるまで。
どうかもう少し、暖かくなる季節まで。
大切にさせて欲しい、壊さないで、壊さないでいさせて欲しい。
どうかこの胸の
恋心。