finger bowl

 塔矢は………アキラは、コトが済むといつも数分寝入ってしまう。夜とかだとそのまま寝続けることもある。その日は少し声をかけるとすぐ目覚めたので、後始末が楽だった。
 照れ隠しなのか本当に不機嫌なのか、とにかくあまり近寄りたくないような顔とオーラで、風呂上りの塔…アキラはシーツを引っぺがす。塔矢家の風呂はどうにも慣れないので、続けてシャワーだけ浴びてきた俺は、前々から常々気になっていたことを聞いてみた。不機嫌ついで、というか。
「なぁ、オマエさぁ、なんで指のがイきやすいわけ?」
 途端に、鬼みたいな視線で睨まれて、それ以上重ねて質問できなかった。まったくこいつはおっかねぇ。
 塔………だからアキラは、普通の男と女が最終的にするようなやり方だとなかなか達することができない。まだ慣れていないからなのか、それとももしかしてこれからもずっとそうなのか…後の方だとすると、俺としてはちと辛い。それまで散々慣らしてやって、前の方も本当に丁寧にしてやってても、いざ挿入の段になるととにかく痛いの一点張りで。すぐ萎える。俺だって人を…それもとりわけだからつまりいわゆる一つの好きな奴を、痛めつけて喜ぶ趣味もないし、あんまり痛がられるともういいよって気分になったりする。自分がそっちの立場になりたいわけでもないから、我慢が足りねぇ、と言う権利ないし。
 というか俺がへたくそなのか。いやいやそれは…ないよな。だってだから指なら簡単なのに。大きすぎるのが…って、なんだかどんどん生々しいぞっと。
 今日だって、ローションいやっちゅーほど使ってやった。適量、というのがこういうのにあるのかは知らないが、それでも一回につきかなりの単価になると思われるくらいの量を使って、(だからシーツが濡れまくった…)指で寸前まで追い上げて、(なのになぜそういう声を出さないこの期に及んでコイツは!)それからようやく、こっちもかなりやばくなったのを、少しだけ持ってったら。
 思い切り肩噛みやがった。今も痛い。風呂場で鏡見たら歯型くっきりだった。皮膚が破れて血が出ていて、お湯が滅茶苦茶沁みた。爪でつけられたみみずばれも真っ赤に残っていた。色っぽいとか言う以前に本気で痛かった。あれは。
 それで、痛いんだよっと怒鳴ったら、ふざけるなこっちの方が一億倍痛いに決まってるだろう!? と逆切れされて、ナイーブな俺は正直少し傷ついた。
 …まだ先っぽだったのに…
 じゃなくて。
 じゃなくてだから、さすがに傷つくっての。なんだよ一億って。百倍とかならともかくさ、一億倍って咄嗟に出てくるか? 実は前から用意してたんじゃねぇのかその台詞。…傷つくっての。なんか俺たちはそんなんばっかだ。
 指ならものすごく反応いいのに。実は結構可愛いんじゃないかコイツ!?みたいな錯覚さえするのに。…それでもなかなか声は出ないんだけど。


 Q:ご機嫌斜めの塔矢アキラさんへの対処法は?
 A:碁を打ちましょう。

 ということで深夜だが対局。持ちかけると、珍しく「今から!?」なんて嫌な顔されたけれど、言いつつ手は勝手に碁盤に伸びていた。コイツ馬鹿だろ。
 体の節々が痛むだろうに、塔…ああもうやっぱり塔矢でいいや…塔矢は今夜も容赦ない。うーんうーん唸りながら、俺ははだけた浴衣の胸を掻く。塔矢家の客用の浴衣。始めはそんなもの慣れなくて、ジャージを持参していた時期さえあったけれど。最近は少しこの緩み加減が気に入ってきた。こんなだらけた着方について、塔矢も最近は諦めて何も言わない。
 石を置いて塔矢の手に答える。いい音がする。俺のうちの碁盤だって、安物なわりにいいものだと、俺は勝手に驕っているけれど、ここの碁盤はやっぱりそれなりのものだ。そういうことも、最近ようやく、少し、分かるようになった。
 塔矢の手が止まる。長考か、と目を上げて様子を窺う。人形みたいに停止していた。自慢げな思いと、なんとなく満足できない思いで、俺は前髪をかきあげる。片膝を立てて抱え込む。子供のように拗ねたくなる。塔矢なんて嫌いだ。
 碁笥の石が鳴って、またそのまましばし時が止まった。塔矢の視線はじっと碁盤に注がれている。それだからもういっそ、その顔を俺は見つめてやる。見ているうちにこっちの息が詰まりそうになったから止めた。畳に垂れた座布団の房が目に入ったとき、塔矢の腕が動いた。白くて長い指が、挟んだ石を盤上に置いた。
 左下、今ので苦しい格好になった。くそっ、と吐き捨てて碁笥を片手に抱える。よくない姿勢だねと塔矢が言ったけれど、自分だってパジャマなんだからこれくらい文句つけるなと思う。


 以前。以前、格好つけてムード作って、お前の目が好きだなんてのたまってやってあの時俺は酔ってたんだけど。
 塔矢はそのときほんの少し嬉しそうな顔をした後、わざとらしく嫌そうな表情を作りやがった。抱きしめたけれど。そうするといつも怒るんだ。抱きしめられたくなんかないんだと。君になんか。抱きしめられたくなんかないんだと。
 知ってるけど。俺だってコイツに可愛がられたくなんかない。気持ち悪い。無闇に優しくされたら、変に勘ぐってしまう。何か悪いもの食ったんじゃないか?
 なんだか俺たちいつもそんな感じで。なぁお前が要るのって俺の右腕だけじゃねぇの? 左利きだったら…左腕。
 そういう話を、勿論えっち抜きなところだけ話したら、誰だったか…ええと白川先生かな? 笑ってこう言った。そういう純文学あるよね。なんて。
 知らねぇって。なんだそりゃ。ブンガクなんて高尚なもんじゃねぇっての。
 ぶーたれた顔をしたら、更に笑って。
 確か少し、艶っぽいお話だよ。
 …いえ違いますそういう話でもありません。実はそうだけど。でもそんな高尚なもんじゃなく。全然いやらしい、全然馬鹿馬鹿しい、セックス。の話。
 えっちの話…


 4目半負け。ああもうちくしょう、と頭をかきむしる俺に、塔矢は涼しい顔で、検討するかい? と余裕綽々。
「もういいよ止め止め。終わり!」
 じゃらじゃら乱暴に石を片付けて、碁盤を横に押しやって、少し無理矢理な感じで抱き寄せてみた。塔矢はすると体を硬くして、身構えた口調で、なんだ、と問う。
「なんだじゃなくて、」
「何なんだ。検討しないなら後は寝るだけだろう?」
 わざとらしく作った無表情な声音。結局照れてるだけってのなら、まだ可愛げもあるのだけど。
「………指が…」
 呟くと、またその話かと叱られた。
「…左の…指でも、同じくらい感じるか試してみねぇ?」
 力ずくで抱きすくめた塔矢の体が揺れた。


 パジャマを剥いで馬乗りになって、これってレイプじゃねぇよな? なんて…デリカシーのないこと聞きながら塔矢の右手を掴む。
 人差し指と中指を纏めて口元に運んだら、急に抵抗してきた。だけど指、口に含むと悲鳴みたいな声を上げた。本当に滅多に聞いたことのない、それはそういう声だったから、ドキドキと切なさがどっと胸にこみ上げて、馬鹿野郎と思いながらその二本の指を舐めた。すり減った爪と、硬くなった皮膚を舐めた。ストイックなのって裏返せばつまりそういうことで、なんかあんまり、あんまり、自分が酷いことしてるみたいで、それって塔矢ずる過ぎる。
 俺だけがやらしいみたいでお前ズルイ。上がった息の合間にそう告げると、塔矢は涙の浮かんだ目をうっすら開いてまた閉じた。涙、だから頬に流れた。
 なんかこれって俺が悪いことしてるみたいでずるい。悪いことかな。悪いことなのかな。でもお前、セックスしたって囲碁できるじゃん。…打った後でもやれるじゃん…感じてるじゃん…


 畳に敷いた汚れた浴衣の上で、塔矢は仰向けに横たわってぼんやりと目を開けた。今回は…起こさなくても、起きたのな。
 その顔を覗き込むと、こんなときだというのに変わらないきつい瞳で睨まれて、反対に、笑ってしまった。
「…これだから…」
 塔矢が掠れた声で言った。
「…君と、なんか、したくないんだ…」
「………うん…」
 あんな後に何を言うのかって感じではあるのだけど、なんだか塔矢の言うその意味が少し分かったから、おとなしく頷いておいた。ううん、だからしないって話でなく。
 囲碁って、なんかさ、お前の中で聖域かよ。馬鹿だなぁ。ほんと。
 親父に習ったもんだからか? ファザコンだからさぁ。ほんと。
 だけどだから余計燃えるってさ、しょうがないじゃん、そんなもんだよ。汚いもん。いやらしいことやってんだから、しょうがないじゃん。なぁ?


 塔矢は起きていたけれど、ほんの少し優しい気分になって体拭いてやって、他のこともいろいろやってやった。何か悪いものでも食べたのか? と塔矢は疑わしげな眼つきをしていた。笑ってしまう。
 全部終わって、布団も敷いてやって、言葉だけ嫌がる塔矢を抱きしめながらその中にもぐりこんだ。やがて寝息が聞こえてきた。肩の傷、まだ痛む。一億分の痛み。一億分の快楽。本当はやらなくていいことやってるんじゃないかって、二人ともいつも思ってるはずだけど、それでもやり続けてるんだから、やりたくてやってるんだと思う。
 そのうち、本当にまたむかつくことをコイツにやられたら、碁石プレイしてやろうかなんてぼんやり考えて、いやそれやったらさすがに後から殺されるかな、とか。ていうか、自分が、それ、できるかな、なんて。
 妄想するだけ、だけど。囲碁とセックス…あんまり遠すぎて逆に近すぎて、その二つ繋ぐ指とか、意識しすぎて。
 馬鹿だなぁ、と思う。交歓、というかさ。塔矢も佐為も囲碁もやらしいことも、すべてが自分の中で深くなりすぎて。すべて、区別すべきものだと理解はしても、ベッドの中じゃケダモノなんだな、やっぱり。
 寝入った塔矢の右手を、そっと両手に包んでみた。しょうがないと思う。ベッドの中じゃ体のすべてが性感帯だし、激情迸る噴出孔だろ。しょうがないじゃないか。そんなことに一々傷ついて、それすら悦びに換えて、ほんと、でも、だってそれだけじゃないし。
 だって、それだけじゃないし。

 指と指を絡めて目を閉じた。ほんの少し、それは祈るような姿勢でもあって、それはおかしいことだなと思いながら、眠りに落ちた。