DUO ~after

 賭けに勝った塔矢の要求は、ずばり、マッサージだった。
「お前結構凝ってるよ。棋士って凝り性の人多いのかな」
「職業病だ」
 ベッドの上にうつぶせに寝転がった塔矢の肩から腰を中心に、丹念に揉み解す。
「普段運動しないからってのもあると思うぜ? オレそんなに凝らないもん。冬になったらスキー行こうぜ、スキー!」
「…冗談…。いきなりそんな激しい運動なんてしたら、肩凝りの前に筋肉痛だよ…正座できなくなったら嫌だ…」
「じゃあ、普段からしようぜ、激しい運動」
 髪をかき分けると、音を立てて、襟から覗くうなじにキスをした。
「おい! 違うだろ、それは!!」
 焦った塔矢が身を起こそうとするのに乗じて、細い身体をひっくり返す。
「しんど…っ!」
 喚き続ける塔矢の口を同じもので塞いだ。半ばふざけて馬乗りになる。
「…だぁって、さっきから蛇の生殺しじゃーん…」
「……賭けに負けたんだろ、キミは」
「ぶーぶー…」
 塔矢の胸倉を掴んだままで、折り重なって倒れこんだ。テンポの速い彼の鼓動が耳を打つ。
「進藤?」
「んー…」
 しばらくぬくもりに浸ってから、塔矢の顔の横に両手をついて、ぐいと身体を持ち上げた。
 鼓動。ぬくもり。舌の濡れた感触さえ貴重に思うことを、どう伝えられるだろうか?
「あのさ、今日、塔矢言ったろ? 碁打ちから碁を取ったら何も残らないって。でもオレたち生きてるんだから、何か残るだろう、残らないかって、ずっと考えてた」
「……それで、見つかったのか?」
「分からない。身体は残るか、心は残るかって、いっぱい考えたけど…。なぁ、たとえば塔矢、お前、碁を離れたオレには興味ないだろ?」
 まるで、「仕事と私、どっちが大事なの?」と問い詰める女のようだと自分で思った。難しい比較、そんな仮定、成り立つはずがないと分かっているのに。
 それでも塔矢は、出された質問を真剣に考えているようだったので、なんだか焦った。
「…なんだかなぁ…。なんなんだろうな、ほんとに。碁打たなくたって、死ぬわけでもないのに。なんてーかもう……バカだよな…」
 塔矢は、2本の腕に顔を挟まれたまま、微動だにしなかった。なぜかしらどきりとしたとき、彼が口を開いた。まなざしは真っ直ぐに、冷え冷えと、そしてその深奥に、触れることさえ躊躇わせるような炎を抱えて。
「…キミが新初段の頃…しばらく手合いを無断で欠席したときがあったろう?」
「………ああ、」
「あのとき、夜の棋院にキミがやってきて、ボクに言ったことを今でも覚えてるよ」
「…オレも、覚えてる」
「あのときから畢竟、キミは同じ穴のむじなさ。やっと掴まえたんだ。逃がさない」
 塔矢の腕がぐっと頭を抱く。耳元でどこまでも真剣な声が囁く。世界中のものすべて敵に回そうって、脅されているみたいだった。
 それくらい怖くて……甘かった。
「……今更キミが、一人で、全部投げ捨てることなんて許さない。どこまでもボクが追いかける」
 少し浮き上がった塔矢の背中に手を回した。ぎゅっと抱き締めると、塔矢は少し息を吐き出す。なんだかおかしくて、わずかに笑って、言い返した。
「…怖いな、お前が一番…。囲碁は噛み付かないけど、お前はそれどころじゃねぇもんな」
「………なんだそれは。ボクが凶暴だとでも? 失敬な…」
 憤慨している塔矢の腕をほどくとベッドに横たえた。小さな顔の横に片肘をつく。
「だってそうじゃん。お前って、ほんと……」
 額をあわせると、祈るように目を閉じた。
「お前なら、絶対、追ってくるんだろうな」
 どこまでも。どこへ逃げても、絶対に。
「…お前でよかった…。オレみたいな人間には、塔矢アキラくらい執念深い相手が丁度いいんだ」
 口に出してから、自分で笑った。怒るかと思ったけれど、目を開けると塔矢も苦笑していた。
 自分たちは本当にバカだろう。
 本当に、本当に、本当に、信じ難いくらいのバカだろう。
 今更、賢くなろうとも思わずに、それくらいなら一局打とうと誘い出す。
 自分たちのうちのどちらかが、もし明日命を絶ったとしても、今なら化けて出るかもしれない。
 死んだって治らない。
 それが分かってくれる、本当に、お前でよかった。
 ……一人じゃなくて、よかった——