DUO
塔矢アキラを扱うのは、難しいようで時に簡単だったりする。
二人で繰り出した遊園地のジェットコースター。初めは乗ることを渋っていた塔矢だったが、自分が2、3、「怖いんだ?」だの何だの挑発してやると、こちらの手を引かんばかりの勢いで列に並んでいった。
面白い奴だとつくづく思う。可愛い奴だともちらりと思う。
「おーい…大丈夫か塔矢?」
「………」
結局、やはり絶叫系の乗り物は、お坊ちゃんには辛かったらしい。
「…どうしてみんなあんなものに乗りたがるんだ…ボクにはやはり到底理解できないよ…」
「はいはい、俺が悪うございましたってば!」
青ざめた顔で延々文句を言い続けられては、いい加減こちらも折れざるを得ない。
「おら! ベンチ! ちょっと休んどけ。なんか冷たいもんでも買って来てやっから!」
手の甲で、塔矢の額を軽く叩くとその場を離れた。恨めしげに悔しげに、塔矢は額に手をやるとそっぽを向いた。
ジュースを2本、それに売っているのを見るとアイスが食べたくなった。さすがに手は2つしかないので、こちらは一個だけ。
「ほれ、ジュース」
塔矢は手渡された冷たい缶ジュースを受け取ると、口の中で小さく礼を言った。
「アイスも食うか? もう一つ買って来ようか?」
「…いいよ、一つで」
コーンを持つ手の上に、塔矢の手が重なる。そのままクリームの頂点を自分の口元に傾けて、塔矢は一口アイスを食べた。
「…もっと食えば?」
更に勧めたのは、もう少し手を触れていていたかったからなのだが、塔矢はすげなく断った。
しかし、なんだか恋人めいた先ほどの仕草は、思い返すだけで口元が緩む。解説の仕事を一つ土壇場でキャンセルして、わざわざ塔矢の予定に合わせた甲斐があったというものだ。何しろ最近どうもすれ違いばかりで、一緒に過ごす時間さえままならなかった。
「大体ね、何を好き好んで空中で廻ったり落ちたりしなきゃいけないんだい? 宇宙開発とかなら分かるけど、なぜあんな行為が単なる娯楽として世の中でまかり通っているのかまったくの疑問だよ!」
ジェットコースターはよほどお気に召さなかったらしい。元気になったと思ったら、また文句が始まった。
「列は長いし待ち時間は長いし! 時間の浪費だよ、あれだけの時間があれば詰め……」
詰め碁の一つや二つ解けるのに、と、言いかけたのだろう、多分。いや、絶対。しかし惜しいかな。咄嗟に口をつぐんで言い直した。
「……………もっと、有意義なことに使うべきだと思う」
話は少し前後する。
今日の一日デートプランを、当日の朝になってから塔矢に披露したところ、当然というかなんというか、彼は初め、あまり気の乗らない素振りを見せた。
「いきなり叩き起こされて何かと思えば…。普段はキミの方が寝こけてるくせに…」
「普段は普段! 今日は今日だろ!?」
「久し振りに、市河さんのところに行く予定だったんだけどな…」
「んなの、いつでもいいじゃん! せっかく休み貰ったんだからさぁ」
「緒方さんに一局打ってもらおうかと…」
「塔矢ぁぁ!! 今日ってオフだろ? なんでわざわざ出かけてまで、仕事と同じことすんだよ。ほんっとにお前って囲碁バカだよなぁ」
バカ、の一言にかちんと来たらしい。塔矢は声を荒げて言い返してきた。
「キミも棋士なら、今の発言は取り消せ。碁打ちが碁のことばかり考えているのは普通だろう」
「程度問題だよ! 塔矢って、飯食ってるときも寝てるときも……オ、オレとやってるときも頭ん中で棋譜並べてそうで…」
「人を欠陥人間にみたいに言うな!」
「じゃあさ! たまの休みくらい、囲碁抜きで遊ぼうぜ! 今日一日、囲碁関係の話まったく出さなかったら、オレ、お前の言うこと何でも一つ聞いてやるよ!」
「…じゃあ、キミが破ったら、キミはボクの言うことを一つ聞くんだな?」
「おう!」
勢いよく同意しながら、内心、でも絶対お前が負けるって、とほくそえんだ。
何はともあれ、一日、若者らしいデートに塔矢を誘い出すことが出来た。やはり塔矢は面白い奴だった。
「残り、やる」
ぼろぼろに砕けそうになっているコーンと、その中に少しばかり残ったクリームを差し出す。
空いた片手で、ポケットに丸めて突っ込んでいたガイドマップを取り出した。
「次、どうする? アトラクション系? 最後はやっぱ観覧車だよな、お約束だよな!」
「何の約束なんだか…」
「そういうものなんだよ、遊園地ってのは!」
どういうものなのか、いまいち把握しきれていない塔矢が、コーンの最後のひとかけらを食べてしまうのを待った。
それから、これもお約束だよな、と思いつつ、
「クリームついてる」
と、塔矢の唇の端をぺろりと舐めた。
咄嗟のことで固まった塔矢は、数秒の後に勢いよくベンチから立ち上がった。
「…ふ、ふ、ふざけるなっ…!」
「あはは、わりぃ」
何でもないことのように、軽く流してマップを示す。
「じゃ、次、ここな。あんまり並ばなくてもいいみたいだから…」
手を取ろうとしたら容赦なく払いのけられた。まぁいいさ、と、振られた両手を頭の後ろで軽く組んだ。
「ゆっくり行こうぜ。なにせ、せっかくのオフなんだからさ」
夕陽がおもちゃ箱のような家並みの向こうに沈んでいった。散々歩き回って、塔矢はいい加減疲れてしまったようだった。実は藤崎あかりよりも、体力が劣っているかもしれないと思ったけれど、さすがにそれを指摘するのは失礼かと黙っていた。
「さぁて、じゃあそろそろ観覧車だろう」
速度を落して歩く二人の真上で、チューリップ型の街灯が丁度点った。
「休めるし、夜景も見れるし、ええと…」
夜間照明のついた巨大迷路を横手に過ぎて、カップルだらけの列へと並ぶ。
それに気づいた塔矢は、眉をひそめて、ゆっくり廻る巨大な円形を改めて見あげた。
「…もしかしてこれは、デートスポットなんじゃないのか?」
二人で遊園地に来る、という行為がデート以外の何物だと言うのだろう。
おかしくて、でも笑いは噛み殺し、「気にしすぎ。ほら、親子連れだっているだろ?」と誤魔化した。
順番は意外に早く回って来た。小さなゴンドラに男二人乗り込むと、何だかいっぱいいっぱいだったけれど、これはこれで都合がいい、きっと。
塔矢は、身じろぎするとくっつきそうになる膝小僧を気まずげに、しかしそれを口に出すのは更に気まずげに、黙って外を眺めていた。
「夜景、綺麗だろ? 来てよかったろ?」
色取り取りの照明が綺麗なのは、別に自分の功績ではないけれど、なんとなく自慢げに同意を求めた。
「まぁね…たまにはね…」
時にかすかに揺れながら上がっていくに連れ、地上にある巨大迷路が巨大ではなくなっていった。
行き止まりごとに白い照明がついているのか、光は横に並んだり、飛んで跳ねた場所にあったりして、まるで…
「碁盤みたいじゃん。あ、右下がアタリになってる」
考える前に口をついた。塔矢も、ああそうだなと頷きかけて、その後でばっと、窓から顔を離した。それを見て自分も賭けのことを思い出した。
「進藤…。負けだよ、キミの」
そう言って、堪え切れないといった具合に笑い出した。
「……………ちぇーっ!」
「ほら見ろ。ボクのことを散々馬鹿にしといて、自分だって人のことを言えないんじゃないか。碁打ちから碁を取ったら何も残らないって、これでキミも分かっただろう?」
塔矢はけらけらと笑っている。楽しそうにしてくれるのはそれはそれで嬉しいけれど、あまりに笑いすぎだった。
「とーやー…お前ね、笑い過ぎ。くそっ…」
空の道中も半分が過ぎた。負けるだけ負けて、ただそれだけでは「デートスポット」の名が廃るだろう。
「おい、塔矢!」
顔を上げる、その細いあごを片手で固定し、むきになってキスをした。小さな箱が揺れたのは風だ。
自分から言い出した賭けに負けたことが悔しい。碁打ちから碁を取ったら何も残らない? くそっ…
「……んっ、」
塔矢が苦しげに喉を鳴らした。自然と開いていく唇の隙間から、更に口付けを深めていった。
強く背を叩かれる。あわよくばこれで賭けのことなど忘れさせてしまいたい。
彼の舌を追って捉えて、半ば食らうように味わった。こんな激しいキスの最中でさえ、囲碁なんてものを捨てられない、正真正銘の大馬鹿野郎がここに二人…。
お似合いのカップルじゃないかと鼻で笑って、地上に着いたら何食わぬ顔、他のたくさんの恋人たちの例に習って、キスの事実はなかったことにしてしまおう。