Today's Special 〜心いっぱいの花〜Ⅱ

 我ながら乙女みたいだと思う。好きな人から、半ば押し付けられた枯れかけの観葉植物。何が誕生日プレゼントなものか、とも思うけれど。そのときの自分たちの微妙な関係には相応しい。
 「女の子口説くみたいに、大切に話しかけてやって」。そんな言葉を一々真に受けて。週に一度大切に水をやる。この冬の最中、小さな若葉を枝に見つけて、恐る恐る指先で触れ、その緑に「綺麗だよ」…なんて。恥ずかしすぎる。なんだ。なんだこれ。
 でもまぁ実際、少し感動はしたのだ。最初この家に運び込んできたときには、本当に枯れかけていた。幹もかさかさで、実は後からこっそり、業者の人を呼んで見てもらった。もしもう枯れているのなら、同じ種類の木を買おうと思ったのだ。進藤を喜ばせるために。
「この枝は切っておきますね。こっちだけなら、何とか栄養も届くと思うので」
 しかし生きていた。凄いな、と思った。毎日毎日、心の中でエールを送っていると、数枚の小さな葉がつくようになった。
 そんな折、韓国への親善試合の話が持ちかけられた。二週間。本来の持ち主である進藤に木を預けようと思ったが、なんのことなく彼も選手だった。どうしよう、と思っていると、都合よく父母が帰国した。不在の間の水遣りを依頼し、韓国へ飛んだ。二月初旬のことだった。

 そう、二月初旬。そして滞在は二週間。その間には、Mがつく洋菓子メーカーと同じくMがつくチョコレート会社の陰謀によって付加価値のつけられた行事がやってくる。
「へーえ、韓国にもバレンタインあるんだー。チョコって日本だけかと思ってた!」
 進藤が無神経な大声で秀英と会話している。韓国棋院近くの路上だ。「進藤うるさい」 自分でも神経質な声で前を行く背中に注意すると、進藤は振り返って舌を出した。
「…塔矢アキラは何か怒っているのか?」
「気にすんなよ。アイツ、しばらくハンドル握れなくてイラついてんだ。車依存症なんだぜ」
 なぜ意味もなく、進藤が秀英の肩に手を回すのか分からない。ああ、走りたい、と無性に思う。忘れかけていたのに、進藤の言葉に喚起されてしまった。こういうときは、夜の首都高速だ。それが無理なら…
「秀英、近くに遊園地はないか?」
「…はぁ?」
「ジェットコースターに乗りたい」
「…進藤。塔矢アキラは何を言ってるんだろう」
「気にすんな。スピード狂なんだ」
 親善試合が終わるまではよかった。碁のことだけ考えていればいいのだ。終わった途端、気づけば日付は2月14日。しかも前述の進藤の台詞のように、なぜか韓国でも、バレンタインにチョコの風習があるらしい。進藤は早速、親善試合で対局した韓国の女流棋士に貰っていた。かなり気合の入った、大きなラッピングだった。
 …気に食わない。
 スーツ姿のまま、秀英に教えてもらった小さな遊園地に一人で出向いた。ジェットコースターは、子ども騙しとも言える代物であったが、少しはむしゃくしゃした気分も晴れた。小さな売店で、日本製のチョコレート菓子を購入した。
 韓国棋院に帰ると、進藤は対局室前の椅子に座って無防備に転寝していた。ポケットから、今しがた誰かが入れていったらしいチョコの包みが落ちかけている。どうせ間抜けた寝顔に違いない、口なんか半開きのはずだ、よしそこに放り込んでやれ…と、顔を見た。
「………」
 意外に。意外に。本当に意外に、綺麗な寝顔だった。端正な顔立ちだった。口はお行儀よく閉じていて、伏せた睫が奇妙に男らしく感じられた。喋らないからだろうか。ちなみに、眼中になかったので今まで描写を控えていたが、隣の椅子では秀英が寝ている。二人は大変仲睦まじく寄り添っており、というか昼間から男二人こんなところで寝るな。
 スーツの内ポケットから、菓子を取り出した。開ける。銀や金のエンゼルはついていなかった。
 進藤の鼻を摘んでやった。かなり熟睡しているらしい進藤は、それでも起きることなくただ不快げに唸った。知っている。昨夜は遅くまで、秀英と永夏と検討していたのだ。僕抜きで。
「う…うー…」
 やがて本当に苦しげに、進藤の口がぱかりと開いた。そこにチョコレートを三粒ほど放り込み、鼻は解放。今度は顎を閉じさせる。がこ、と音がしたようにも思うが空耳だろう。
 進藤はさすがに覚醒し、目を白黒させて、いきなり口の中に出現したチョコを噛みもせずに嚥下した。よし。
「と、ととととと、塔矢っ!?」
 ごほごほと咽て涙目になっている進藤に背を向ける。寝ぼけ声の秀英が韓国語で何か言っているがさすがにヒアリングできない。
 2月14日バレンタイン・デー。
 何だかよく分からないが、とりあえず好きな人にチョコを食わせる日らしい。
 完遂。
 達成感を胸に部屋に帰ろうとしていると、棋院職員の人に呼び出された。日本から電話だという。もう明日には帰国だというのに、なんだろうと電話を取った。
「アキラさん、ごめんなさいね、いきなり」
 母だった。
「ほら、あなたのお部屋の緑ちゃんなんだけど」
 いえ、あれはヒカルです。とはもちろん口に出さない。
「あの木がどうかした? 元気がないとか? 変な虫でもついたの?」
「いいえ、違うの。蕾がね」
「…え、」
「蕾がついたの。もう少しで咲くんじゃないかしら。アキラさん、とても大事にしているようだったから、伝えたくて、つい」
 はあ、そうなんだ、あれ、花が咲くような木だったんだ。
 受話器を置いた丁度そのとき、背後から殺気立った叫び声が届いた。
「塔矢ぁぁぁっ!! てめ、何だよさっきの!! 俺を殺す気か!?」
 振り返る。進藤は僕の顔を見て、なぜか言葉を飲み込んだ。
「…なんだよその笑顔…気持ちわりぃ…」
「失敬な」
 帰国したら一番に車を走らせて進藤の家へ行こう。まだスーツケースも片付けていない進藤を僕の家へ拉致して、蕾を見せてやろう。そう思ってほころぶ顔を、手のひらで隠し横を向いた。と、進藤が片手を突きつけてくる。
「…何?」
「チョコボール! 寄越せよ、まだ残ってんだろっ。ったく…キャラメルかアーモンドか、期間限定味かも分からなかっただろうがっ!」
 言われ、内ポケットから取り出してパッケージを眺めてみた。
「…よくチョコボールだと分かったね。…アーモンドだ」
 それだけ知ったら満足するかと思いきや、進藤は突き出した手を引っ込めない。仕方なく、箱をその手に乗せてみた。すると引っ込んだ。おもちゃのようだ。
 進藤はクチバシ(という名称らしい箱の一部)から、手のひらに三粒チョコを転がし、また僕へと突き出した。
「お返し」
「…僕が買ったチョコなんだけど」
「俺が貰ったんだから今は俺のだ」
 その理屈が正しいのかどうか逡巡したが、それよりも、進藤の手のひらに乗ったお菓子が魅惑的だった。進藤は、僕より背は低いが手足のサイズは僕より大きい。犬だとするとまだ大きくなるのだろう。その大きな手のひらに、口付けるようにして直接チョコを口に含んだ。
「うわぁっ!」
 すると失礼にも進藤は慌てふためいて手を引いた。汚いと思うなら初めから手で寄越すな、と言いたい。
 幼くも甘いカカオが溶けて、僕は残ったアーモンドを舌で噛み砕いて、食べた。