Today's Special 〜心いっぱいの花〜Ⅰ

 行きつけの碁会所に一つだけ置いてある観葉植物だけれど、随分と前から元気なく、行くたびに水をやったり日光を当てたりしていた。(日光浴に関しては、逆に葉が焦げると注意されてそれ以来止めた)
 黄色くなった葉を捨てて緑のものだけにすると、大分見た目が明るくなるし、まだ生きてるって思った。だから結構愛着あったのだけど、しばらく忙しくて足を運んでいなかったら、マスターからメールが来た。
「ビルの大家さんから貰った観葉植物なんだけど、枝だけになっちゃったしこっそり捨てようかと思って。進藤くんが可愛がってくれてるの思い出して我慢してたけどもう限界で。。」
 心の中でお悔やみして、捨ててもらおうかと思ったけれど、やっぱりそれは悔しくて。
「じゃあ、俺貰います。取りに行きますー」
 とりあえずそう返信したからには、すぐ貰いに行かないと捨てられそうだ。続けざま、塔矢にメールした。
「車出してー」
 鉢植えで、立った俺の胸くらいまで高さがある。碁会所は自宅からそう遠いわけではないので、抱えて電車に乗れないこともないけれど。塔矢は運転が大好きだし。

「わわ、塔矢プロ!」
「あー、気にしないでマスター。運転手だから。兼運び屋だから」
「…なんだって?」
「お前のが背ぇ高いじゃん。車までよろしく。あ、俺ドア開けてやるな。優しいなぁ俺」
「………」
 塔矢は諦めたような溜息を一つ零し、スーツの胸に鉢植えを抱えた。久しぶりに見た「彼女」は、本当に丸裸に近い状態で、幹も乾燥していた。駄目かな、と少し思った。もう枯れちゃっているのかも。
 でも、水やる度に葉っぱに触れて、頑張れよ、綺麗だよって語りかけてた子だから。
「んじゃ、どうもありがとでした。また来ますー」
 碁会所の自動ドアを片手で押さえ、塔矢を通す。塔矢は一度軽く振り返って、マスターに目礼した。
「後部座席入るかな」
「入るよ。僕の車舐めるな」
 軽自動車のCMみたいな会話を交わし、路上駐車していた車に積み込んだ。「土零れちゃうかも」
「…いいよ。後で掃除するから」
 車好きのご多分に漏れず、塔矢は車内の美化にひどく煩い。普段なら、助手席でスナック菓子なんかも絶対許さない。
「へええ、意外に寛容じゃん」
「土くらいならいいよ。変な虫とかついてたら許さないぞ」
「それは大丈夫だと…思うけど。葉っぱに虫食いとか見たことないし」
 助手席に座ろうとしたら、塔矢の分厚いコートが丸まって置かれていた。適当に畳み、膝に抱えた。
「外の仕事か何か入ってたの」
 塔矢は、移動は大抵車だし、室内は暖かい。丈の長いウールのコートは運転の邪魔になるだけだ。
「ああ…」
 イエスともノーとも取れる生返事。「ベルト、ちゃんとして」 塔矢は自分のシートベルトを締めながら俺に注意した。
「…近いからいいじゃん」
「駄目」
 じろりと睨まれた。つけるまで発進しないつもりらしい。諦めて、シートベルトに手を伸ばした。いい加減どうにかしたいのだが、俺はこの些細な作業がとても苦手だったりした。うまく引っ張れないし。その後も、大体いつも、一回は金具を裏表逆にしてしまい嵌らない。
 がこがこベルトを引っ張っていると、運転席から塔矢が手を伸ばしてきた。
「キミ、学習能力ないね」
「…むかつくなぁお前」
 結局、塔矢にシートベルトをしてもらった。やっと車が動き出す。コートを抱え直したら、ポケットから小さな包みが転がり落ちた。
「あ、わり。何か落ちた」
 足元に落ちたので、屈もうとするとシートベルトがそれを遮った。
「あ、むかつく。このやろ」
 何度か無理矢理体を曲げようとしていたら、塔矢がかなり冷たい声音で名を呼んだ。
「無茶は止めてくれ。いいから。後で拾うから。僕の車の中で狼藉はするな」
 ちょっと怖かった。第一さっきも聞いたぞ、「僕の車」発言。車マニアは金食い虫だから女の子寄り付かないと思う。でも、足元に落ちた包みは、どこをどう見てもリボンのかかったプレゼント仕様。
「あ」
「何」
「もしかして、誕生日?」
 塔矢は口をつぐんで、ミラー越しに俺をちらと見た。
「そうだよ。よく知ってたね」
「わあ」
「何」
 ハンドルを回し、多少強引な車線変更。だけども綺麗に車間距離を取る。スピード感覚があるというか、空間認識能力が高いというか。後はもう少し同乗者のことを考えて運転してくれたら言うことないのだけど。
「何でもないー」
 誕生日、だったのだ。コート持参。ポケットにプレゼント。デートかぁ!
 俺は、車の揺れに誤魔化して、ちょこっとだけ爪先で包みを蹴ってみた。大人気ない。
「あ、じゃあ、俺からもプレゼント!」
「…へぇ?」
 ミラーの中の塔矢の顔が不審気に歪んだ。「怖いな。怪しい。何だ?」
「怖くないだろ。怪しくねぇよ。失礼だなぁ」
 後部座席を振り返る。揺れても大丈夫なように、微妙な角度で丁寧に固定された鉢植えの木。
「あれ、やるよ。お前んちのが広いし、お前んちの方が殺風景だし、丁度いいよな。うん。ぴったり。俺って天才」
 凄くしっくり来てそう提案したのに、塔矢は物凄く嫌な顔をした。
「新手の嫌がらせだな。自分が世話するの面倒なだけじゃないのか?」
「えーっ、違うぜ。お前ってほんと失礼だなぁ。植物の世話っていいもんだぜ? 心が潤うっていうかさ! うん、お前も、車とかじゃなく、こういう命あるものにちったぁ馴染め」
「…枯らしたら」
「枯らすなよ」
 もう枯れてるかも、と思ったことは言わないでおく。そういうのはプレゼントと言うのか、と塔矢はまだごちゃごちゃ言い募る。
「ありがとう、は?」
 促すと、不貞腐れたような沈黙の後で礼の言葉が返ってきた。

「おっし、今日からここがお前んち。可愛がってもらえよー。綺麗にしてもらえよー」
 塔矢の家のやかんに水を汲んできて、とりあえずいっぱいいっぱいに土を湿らせた。
「水遣りは週一回でいいから、たっぷりやってやれよ。日光はそんなに要らないってさ。そんで、植物は心読むんだから、ちゃんと話しかけろよ。頑張れよ、綺麗だねって」
「…最後のが一番難易度が高い気がするんだが」
「女の子口説く練習だと思えよ」
 塔矢はネクタイを緩めながら、微妙な表情をした。
「あれは、母だよ」
「…え?」
「プレゼント。母からだ。今朝空港へ送っていったとき貰ったんだ」
「………あ、っそ…」
 鉢植えの横に座り込んだまま、俺は多分おかしな顔をして塔矢を見上げた。塔矢は気まずげに咳払いなんかをした。
「…まぁ…。…分かった。育ててみるよ。口説く練習も、兼ねて」
「…お…おう…」
 俺は「彼女」の枝を何度か撫で擦り、塔矢のヤツがどんなに無骨にこの子へ愛を語るのか、想像して笑ってしまった。
 その後一局打って、家までまた車で送ってもらった。今度は何もしないうちから、ごく自然な仕草で、塔矢は俺のシートベルトを締めた。