Today's Special 〜天上の星〜

 アキラくんの誕生日会を行います。
 その堂々たる宣言を聞いたとき、当の本人は少し考える様子で、いささか困った様子で首を傾げたものだった。つまりは、最近ようやくその地位まで上り詰めた「恋人」…しかもその頭には「秘密の」がつく…と、二人きりで過ごしたい気持ちがこの自分にさえあったらしいというコロンブス並の発見に内心うろたえていたのだ。
「それともなあに? アキラくん。進藤くんには祝わせても、私や北島さんには、前日や翌日で我慢しろとでも?」
 内心のうろたえははっきりと狼狽に変換され、アキラは魔女のようなほほ笑みに向かい、慌てて否定の意を述べた。
 自分と、その恋人との間柄について、もしや一番正確に近いところまで理解しているかもしれない市河晴美嬢は、それでよろしいと大きく頷いた。
 ということで誕生日当日、貸し切りとなった碁会所で宴は盛大に催され、アキラとその恋人…進藤ヒカルは、日付も変わる頃やっと念願の「二人きり」状態へと解放された。
「うー、風が気持ちいー!」
 酒のせいで少しばかり赤い頬を十二月の夜風にさらし、ヒカルは清々しい声をあげた。
 声を落とせ。アキラは、つい五分前までにこやかにしていた反動でもないが、極めて不機嫌に真っ当な注意をした。
 時計に目を落とす。あいも変わらず勤勉に針は進み、隣の男と二人でいる今、すでに十二月十五日であることを、その文字盤は明らかに告げていた。
「なんだよ塔矢、さっきから人の顔見て溜め息つくの止めろよな。大体お前、せっかく市河さんが楽しくしてくれてんのに愛想笑いばっかでさー。感謝の気持ちが足りねえんじゃねーの?」
 先程の復讐か、彼にしてはいたって真っ当な指摘である。しかしその意外な正当さを感心するよりも、上回って余り三十目ほどある無神経さに、アキラは唇の端を震わせた。
 イルミネーションも消えた駅ビル横のコンコース。
「だって今の時期の誕生日なんてさ、クリスマスと一緒にされんのが普通じゃん?」
 突き当たりにある小さな人工噴水も、水の流れ、ライトアップ共に静かで暗い。その中で、最近では珍しいくらいに素朴な緑色をしたクリスマスツリーが、大きく枝を広げていた。
 澱んだ水の中の小銭を笑い、いかなるイベントにも無関係な日付に生まれた男は、それからツリーに絡まる真っ赤なリボンを見上げた。
 …いや案外そうでもないか。秋分の日がすぐだし、敬老の日も近い。しかしそれがなんだ。
 アキラはさらに憮然とした。
「……僕のうちは別にクリスマスを祝ったりしないから一緒にされたことなんてない。プレゼントの包装が赤と緑になっちしまうのは仕方のないことだし…」
「……それ、一緒にされてねえ?」
「されてない!」
 むきになって反論すると、ヒカルは立てた人差し指を唇に当て、しーっと囁いた。アキラは口を閉じ、ビルに反響する己の声が、いかにも意地を張って聞こえることに赤面した。
 コートの胸元に手を当て、一度息を吐いた。頭上は吹き抜けになっている。息は白く染まった。
 ヒカルがにやにやその様子を見て、噴水の縁に腰を下ろした。座る場所に頓着しないあたり、今時の若者らしいとアキラは思う。
「これ、最近のツリーにしちゃ古典的だよな。アメリカンっていうの? 最近は白とか銀とか青とか、クールなのが多いじゃん? なんか飾りも懐かしい感じだよな」
 金銀のモールに雪を模した白い綿。赤をメインにした靴下やプレゼント。そしてそれらの頂上で光る星。
「……大分小さい頃…」
 アキラは見上げてふと口にした。
「あの星が欲しいとねだったことがあるよ。周りの子たちはクリスマスプレゼントを貰っているのに、僕だけなぜもらえないんだって」
「……へーえ…」
 口にすると、なるほどつくづく誕生日とクリスマスが一緒にされているようだった。
 しかしそもそもクリスチャンでもない子どもが、クリスマスだからといって何か貰える、そのシステムが不思議なのだ。
 しかし、小学校に上がるか上がらないかといった年頃であった幼い自分は、もちろんそんなワンダーを抱きはしなかった。


 同い年くらいの子どもたちが、デパートの紙袋を引きずるように持ち歩いていた。頬が赤いのは寒さのせいだけではないだろう。
 そのとき自分はなぜか一人だった。華やかな光が頭上のアーチを彩る下、赤色のダッフルコートに顎を埋めて、革靴の爪先をじっと見ていた。
 知らず頬が不満に膨らむ。お父さんもお母さんも、緒方さんも嫌い。日曜日だったのだ。誕生日なのに。
 見上げると、広場の吹き抜けに高く立つ、緑のクリスマスツリー。
 息を吐くと白かった。唇を心持ち尖らせてまたうつむく。そのとき唐突に、横から声がした。
「機嫌悪いんだな」
 ツリーの周辺は人待ち顔の若者らでいっぱいだったから、何秒間か、その言葉が自分に向けられたものだと気付かなかった。
「別に…」
 知らない人についていってはいけません。父母を始め身近な大人から何度も繰り返し言われてきた文句が思い浮かんだが、警戒するには不意をつかれ、親しげな青年の口調に、なぜか違和感を覚えなかった。
「プレゼント気にいらなかったのか?」
 おもしろそうに彼が重ねて問うた。
「あ、貰えなかったのか?」
 図星を指されて答えずにいた。
「当日に貰えるんじゃねえの?」
「今日だもの。クリスマスじゃなくて、誕生日」
 思わず訴えた。「お父さんが大切なきせんだから、お母さんも行っちゃった。お父さんは今日勝てばてんげんになるんだよ」
 恨みごとのはずだったのに、気付けば顔を輝かせ、見ず知らずの青年に誇っていた。はっとして、慌ててまた不満げな表情を作る。
「そうか、すげーな」
 青年は声を立てて笑った。
「タイトル取るのが、プレゼントなんだな」
「そんなの」 小さな革靴の踵をぽすぽす打ち付けた。「違うよ。お父さんが碁を打つのは僕のためじゃないもの。それは僕だって分かる」
 でもね、と、言葉足らずに、けれど精一杯、父を擁護しようとした。
「でもそれは僕がお父さんに嫌われるとかじゃなくて、囲碁のことはまた別だから、…それは僕も、………いいんだ」
 …………よくない。
 小さくなって消えた声に、店舗の流すクリスマスソングがかぶる。
「……『ごめんなさいね、プレゼントはクリスマスでいいでしょ』って、お母さんが」
 そのときは笑って、うんいいよ、と頷いたけれど。
「………よーし」
 かたわらの青年がアキラの頭をくしゃくしゃ撫でた。父ほどは大きくない、だけど大人の男の手。
「じゃあ代わりに俺がやるよ。誕生日プレゼントな? 何が欲しい?」
 改めて何が欲しいか尋ねられ、ぐっと言葉に詰まった。本当は、取り立てて欲しいものなど何もなかった。
 …お父さんに、「てんげん」を。
「……あれ欲しい」
 赤いコートに包まれた体をうんと伸ばして、頭上を指差した。「お星様」
 困らせる意図はなかった。けれどそう口にした瞬間から、自分がずっと、それを欲しがっていたように思えた。
 華やかで美しく、また浮ついた師走の町を映す金の星。大嫌いなクリスマスの、一等星。
「あれが欲しいのか?」
「うん、あれが欲しい」
 はっきりとそう告げると、青年はくすくす笑った。「無理難題だな」
 ツリーは大きく、見上げるほどに高かった。青年は、父くらい背が高く見えたけれど、「背伸びしても」届かない…と言えるほどの次元ではない。
 そう改めて考えると、途端に恥ずかしくなった。
「ごめんなさい」
 少し悲しくなって頭を下げた。先程からの拗ねた態度も、ひどく子どもっぽくて。
「何言ってんだよ。誕生日だろう?」
 しかし青年はほほ笑んだままで、もう一度ゆっくり頭を撫でた。
「俺が、プレゼントしてやるって」
「でも」
「目、つぶって」
 魔法使いみたいだ。いたずらっぽい声で指示され、素直に目を閉じた。
「お星様くれるの?」
「ああ」
 笑い声が聞こえ、続いて手を取られた。ニットの手袋越しに、大きな手を感じた。あれ、お父さん?
 …いや、そんなわけはない。父は今大事な挑戦手合いの真っ最中だ。しかしなぜかそう思った。理由は………多分、指先の固さだ。
 小さくて丸いものを握らされ、すぐにその正体を知る。厚く編まれた毛糸越しにだって、あまりに慣れすぎた碁石の感覚。


「……今思うと、あれは門下の誰かだったんだろうな。あんなに小さかったのに、町中で一人でいたはずないし、偶然行き合った若い人が碁打ちだったなんてでき過ぎてる。きっと、母が、誕生日に一人は可哀想だとお弟子さんの誰かに世話を任せていたんだろう」
 そう語り終えてアキラはふうと溜め息をついた。
「当ててやろうか」
 途中で茶茶を入れるでもなく、おとなしく話を聞いていたヒカルが、不意にそう言った。
「何を?」
「そのときの石が黒か白か」
 思いがけない提示に少し言葉を飲んだ。
「……いらない」
 魔法が、解けるよ。
 ヒカルが笑って、それからきょろきょろするから何かと思えば、両腕をこちらの頭に回してきた。
「こら」
 顔をしかめてみせたが、人気のなさに安心してもいた。不用心すぎると自分を諫める一方で、夜の闇と消えた光に解放感を覚えていたことも確かだ。
 顔が近付くのに、拒まなかった。
 遅れましたけど。そんなふうに律義に前置いて、ヒカルが「おめでと」と小さなキスをくれた。

 お星様が欲しいとねだったのに、貰ったのは白の碁石だった。そのときの、わくわくとした「なあんだ」の気持ち。裏切られた安堵感。
 知っていたよ。本当の本当は心の底から、クリスマスも誕生日もどうでもよかった。握らされた石の、慣れ親しんだ冷たさだけでよかったんだ。
「…これだけ?」
 意地悪にそう尋ねたけれど、今だって、本当は。
 乾いた唇の冷たさだけで満足していた。
 催促されて、ヒカルはごそごそポケットを漁り出したけれど、きっとばれているのだろうなと思った。
(あれ?)
 唐突に、あのとき安物の碁石をくれた青年の髪形が、奇抜な前髪メッシュだったと思いだし、首を傾げた。


 ………あれ?