Today's Special 2

 俺の家に来た塔矢は、部屋に入るまではずっと借りてきた猫だった。母さん相手に優等生笑顔を振りまいて、母さんは母さんで半オクターブは声が高い。
 いい加減おいおいって感じになって、塔矢の手を引いて自分の部屋へ。すると塔矢はきょとんとして、その日はじめて物珍しげに、不躾に周囲を見回した。
「なんだよ?」
「いや…凄いな、電化製品がたくさんある」
「…お前いつの人間だ」
「だって自分の部屋に冷蔵庫まであるなんて」
「ああ…その冷蔵庫は壊れてんだよ」
「そうなんだ」
 物がいろいろあるんだね、と塔矢はしみじみ言った。それから早碁で3局ほど打っているうちに夕方になった。この季節じゃ五時には真っ暗だ。
 そろそろお暇するよ、と塔矢はコートとマフラーを抱え立ち上がった。今日はお邪魔しました、と部屋の入り口でぺこっと礼をする。
 二人で下に下りていったら、母さんが、あらもう帰っちゃうの? と残念そうな顔をした。
「どうせなら泊まっていってくれてもいいのに。今晩はビーフシチューなのよ」
 ありがとうございます、と塔矢はにこにこしていた。だけど今日はこれで。また次の機会に。
「ヒカル! ヒカルあんた何やってんの! 塔矢くんバス停まで送ってあげなさい!」
「えー…道分かるだろ?」
「何言ってんの! もう暗いんだから!」
 子供じゃあるまいし、と思ったけれど、仕方なくジャンバーを着込む。
 外はとっぷり暗くて、そして寒い。
「うー…さみぃ…。なーんで俺がこんなこと…。そーだよ…どうせなら泊まってけばよかったんじゃん。そっちのがもっと打てたし」
「今日は駄目。母がケーキ焼いて待ってるから」
 風が吹いて、マフラーに顎を埋めながら塔矢が言う。
「ケーキ?」
「誕生日だから」
「誰の?」
「僕」
「あ、そうなんだ」
 何だこいつ誕生日に俺んちくんだりまで来てたのか。そう思ってにやにやしていたら、そのうちバスが来た。
「じゃあ今日はこれで」
 塔矢は、母さん相手にしていたのとは全然違う無愛想な態度でステップに足をかけ、そのまま振り返りもしないで乗り込んだ。

 一人でまた震えながら家に帰り、ビーフシチューを食べた。それなりにいける味だった。食ってかえりゃよかったのに。
 それからふと、電話をかけてみた。あいつの家に電話するのもはじめてだった。だって塔矢先生が出たらと思うと緊張する。
 塔矢のお母さんが出て、名乗るととても嬉しそうにされた。アキラさんをよろしく、みたいなことを言われて、口ごもってしまった。何をよろしくすればいいのか分からないし…。
「ちょっと待ってくださいね。……アキラさーん、進藤くんからお電話よ」
 受話器の向こうからぱたぱた足音が聞こえて、やがて少し驚いた様子の塔矢の声。
「はい替わりました」
「あ、俺」
「ああ。何か?」
「…ええと…」
 口ごもって少し苛つく。じゃあ今日はこれでってそうじゃなくだな。てゆーか、早く言えああいうことは。
「あー…」
「進藤?」
 一度言い逃したのが敗因だった。確実に。誕生日だと言われたときに、ごくごく自然に、言えばよかったのだ。それが普通のように。何も別に、特別なことじゃないように。
「…あのさ、今度は泊まってけよ。誕生日じゃない日に。母さんにも前もって言っとくから、きっとご馳走作ってくれるぜ」
 電話での沈黙に少し焦って、口早に言ってからまた黙った。
 やがて塔矢の小さな笑い声が聞こえた。
「…うん。次また、誕生日じゃない日に」
「……そんじゃ」
「うん」
 受話器を置く寸前、また小さく、ありがとうと一言聞こえた。
 聞き返す前に電話は切れた。

 誕生日おめでとうとか言い合う仲じゃない。大体一年365日のうち、そんな照れくさいこと言わずに済む日のほうが圧倒的に多いのだし、そっちの364日の方がずっと大切だ。次会うときは、もう「誕生日じゃない日」。何も意識しないで済む、特別じゃない日。

 特別、なんかじゃ…