わからなくてもいいから

 油断していると思い出は不意に落ちてくる。思いがけないところからやってくる。来るぞ来るぞと身構えているときには、まだ覚悟もあるけれど。
 押入れのダンボールの中から、そのときは一枚の紙切れだった。テストだ。社会のテスト。小6のときの。
(「佐為、これは?」)
(「ああ、大政奉還ですね」)
(「たーいーせーほーかん」)
(「大政奉還」)
(「次次。これは?」)
(「………」)
(「わかんねぇのっ!?」)
(「この時代、私まだ生まれてないと思うんですが…」)
(「ちぇー、使えねぇのっ」)
(「…すみませんねぇ」)
 さすがにそのとき、謝罪の言葉は嫌味だった。子ども用の低い机に、佐為は両腕を乗せて、その上に顔を乗せていた。教室の床に座り込んでいた。
(「どーせどーせ、使えない奴ですよーだ」)
(「ま、まぁそう言うなよ。ほら、次の問題行こうぜ。明日はさ、囲碁教室の日だろ」)
 怒っていてもその言葉でぱっと顔が輝いた。
 そのときのテストは実力テストで範囲が広かった。古代の問題も多くて、佐為はあまり、役に立たなかった。返って来たテストの点数を見て悲鳴を上げると、とてもとても、申し訳なさそうにしていた。別に、お前のせいじゃないのに。
 ああ、バカだな。
 何の役にも立たなくたって。
 囲碁さえ、今、打てなくても、構わない。
 両腕を大きく広げて迎えるのに。
 帰ってきて、くれるなら。
 今度は俺が囲碁を教えるよ。

「進藤、君またサボって。ほら新しいダンボール貰ってきたよ。君の荷物だろう? 手を動かせ」
 部屋に入ってきた塔矢が、思い出に浸る俺を見咎めた。塔矢の荷物は昨日から新居に入っている。俺のだけ、いつまでも片付かなくて。今日もわざわざ塔矢に、俺の実家に手伝いに来てもらった。
「…進藤?」
 明日からは、一緒に暮らす。みんなに止められた。お互いのためにならないって。
 みんなに笑われた。だけどバカだな。何の役にも立たなくたって。

 どんな問題の答えも。
 分からなくても、いいから。

「ん、なんでもないや」
 笑って。
 荷造りを続行。鯉のぼりが泳ぐ、今日も空は青かった。