野薔薇

 塔矢が誕生日にバラの花束を貰っていた。送り主は指導碁のお得意様の、ご令嬢だったらしい。棋院経由で送られてきたが、さすがの塔矢も閉口し、しかし受け取らないわけにもいかず、取り次いだ職員と二人苦い顔をしていた、ということだ。
「だってお前…真っ赤なバラが、何十本くらいかな。すごかったぜ。持って帰るのすげぇ嫌そうだった。あれ抱えて電車乗るのはいくらなんでも、なぁ。女の子ならまだ嬉しいかもしれねぇけど」
 しばらく仲間内でのネタになっていたけれど、年も改まり数ヶ月後には、忘れられたエピソードとなった。それがまた、3月、一気に再噴出したのはもちろんあの行事のせいだった。ホワイトデー。
「塔矢、プロポーズされたって」
「……はあ」
「例の、バラの君に。本命チョコのお返しに、塔矢が焼き菓子か何か持ってったときに」
「…ふーん」
「そんで、ばっさり、断ったらしいけど」
「へえ…」
「惜しいよな、玉の輿。まぁ塔矢なら、自力で稼げるからいいんかね」
「ほお…」
「……進藤、さっきからハ行でしか返事してねぇぞ、おい」
 後日。検討にかこつけて塔矢の住むアパートにお邪魔した。下宿でもマンションでもなく、アパートとしか言いようのない一人住まい。そこの玄関に飾られていたらしい不釣合いに豪奢なバラは、当然もう姿を消している。
「バラ、どれくらいもったの?」
「すぐ枯れてしまったよ。大掃除で全部処分した」
 淡々と塔矢は答え、不愉快な話題だと嫌な顔をした。
「そもそも僕はあまりバラを好きじゃない。あんな押し付けがましい贈り物をするくらいなら、相手の好みくらいリサーチしてほしかった」
 俺専用の安物のほうじ茶を入れて、塔矢はお盆を使わずに、湯飲みを座卓に運んだ。熱くないのかな。意外に掌の皮、厚いのか。
「じゃあ何の花なら好きなんだよ?」
 塔矢に好きな花なんてないだろうと、確信しながらそう茶化してみた。案の定塔矢は渋い顔をしてしばし黙った。
「同じバラなら」
 やがて、重々しく口を開いた。
「まだ、ノバラの方が…奥ゆかしくて」
 バラとノバラの違いなど分かるはずもなく、逆に、塔矢からそんな、些細とはいえ情感ある言葉が飛び出したことに驚いた。
 数日後、初めて花屋に足を踏み入れた。ノバラってありますか。そう聞くと、怪訝な顔をされた。ノバラの花が咲くは五月。都内でも河原に生えていたりすると教えてもらった。
 五月を迎えるまで、バラやバラの君絡みの事件は何もなく、奥ゆかしく穏やかに、二人の間に変化もなかった。
 手合の後、ふと思い出し、花屋の店員に教えてもらった場所に塔矢を誘った。ノバラ、咲いてるんだって。言うと塔矢は目を丸くした。そのわりに、よく覚えていたな、とか、そんな無難なコメントもなかった。
「どれ? ないじゃん」
「ああ、あれだよ。…君、もしかして真っ赤なバラみたいなの想像してた?」
 塔矢が示したのは、群生する低木で、その枝先には白い清楚な花が総状に咲いていた。
「これぇ? バラ?」
 イメージしていた花とは全然違った。もっと花弁が華やかに重なる、それも真紅を思い描いていた。
 驚いて、何気なく枝に手を伸ばすと、途端に痛みが走った。
「…気をつけて。刺が」
「ああ…」
 楚々とした白色に不釣合いな、鋭い刺が指先を傷つけた。それがまるで塔矢みたいで、少し戸惑った。
「…どうしよう。花泥棒する気満々だったのに」
「君が?」
「…お前に、」
 塔矢は、好きな花を聞かれたときくらい長めに沈黙した。
 ありがとう。やがて小さくそう聞こえた。それから塔矢は注意深く枝を折った。
 塔矢の暮らす古びたアパートの狭い玄関に、一枝だけの白い花がそれからしばらく飾られる。実家に帰るよう説得に訪れた塔矢のお母さんが、それを目に留め、何かを悟ったように諦めた表情を浮かべたらしい。
 聞いた話だ。