黄金130° - nothing of sorrow -


 銀杏の葉が降り積もる道路を、今日限りの後姿が遠くなってゆく。
 最後まで見送るのを止めて、伊角は踵を返した。
 スニーカーで落ち葉を踏みしめると、弾力ある層がふうわりと受け止めてくる。
 同学年で、一緒に今まで頑張ってきた仲間が一人、棋院を去った。
 手強いライバルが減ったと喜ぶべきか?
 今年も、二人揃ってプロ試験に落ちた。
 蹴散らすと舞い上がる黄色い扇形。その角度は90°以上で180°以下。

 最後に一局打たせてもらった。
 彼は強かったし、自分も負けていなかった。
 やっぱり楽しいなと笑った。伊角が勝った。彼は負けたが笑った。
 楽しい、な。



 ————悲しいことなんて、そう、何一つ残らない。

 プロを諦めたからといって、二度と会えないわけではない。
 碁も打てる。何でもまた打てばいい。だが多分………もう打たない。
 まだまだ強くなれるのだ。打てばそれが分かってしまう。自分で自分に引導を渡さないことには、この足掻きには切りがない。
 だけど、まだ、足掻きたいんだ。
 それならば足掻けるだけ幸せなのだ。悲しいことは何一つない。

 棋院に戻ると、残っているものは少なかった。
 最近、彼以外にも仲間が数人いなくなった。かわりに新しい顔もある。
 自分はどんどん古株だ。威張れはしないが、諦めるにもまだ早い。
 和谷が手を振ってきたので近づいた。
 「打とうよ伊角さん」
 並べていた石を崩し、碁笥に戻すのを手伝った。
 手に馴染む黒と白。モノクロームの世界を抜けて、彼は毎年あの130°の黄金で、今日のこの日を思うのか。
 悲しいことは何もない。そこには輝く未来がある。
 自分にも、そう、自分にも。

 ————大丈夫。悲しいことなんて何もない。————