草野球試合の後、てっきり汗臭い男だらけの飲み会になるのかと思っていたら、いつのまにか知らない女の子たちが合流していた。おそらく実行犯は冴木あたり。野球部現部長は本田だが、彼のやり口では到底ない。その冴木は、試合には欠席していたくせに(そもそも部員でない)、ちゃっかり打ち上げには混ざっている。この要領の良さを、伊角あたりは見習うべきであろう。散々皆の足にされた愛車を置きに帰り、戻って来た頃にはすっかり一同出来上がっている状態…。女の子たちは自己紹介さえしない。見た目は悪くないのに、どうにも損をしているとしか思えない。
 伊角の肩をつついて、余っていた紅葉饅頭を一つ渡した。チーズやチョコの変わりネタが先に貰われていくので、一番スタンダードな餡のものだ。
「わ、サンキュー。広島土産なんて、珍しく気が利くんだな」
「俺、俺。俺の功績!」
 隣のテーブルから、和谷が手を振った。
「新幹線乗り込んで、席座った瞬間に、土産買って来いってメール来て。もう慌てて、ホームの売店でとりあえず錦堂だよ。乗り遅れるかと思った」
 木金と広島で打たれた名人戦第一局を観戦に行っていたのだ。塔矢の対局だった。
 乾杯でほぼ飲み干したビールのおかわりを、いつのまにか誰かが注文してくれていた。隣に座った、赤い服を着た女の子の仕業のようだが、違うかもしれない。分からない。
「誰? ありがと」
 喉が乾いていたので、二杯目もあっという間だった。食も進む。最近明らかにふくよかな腹が気にならないでもなかったが、ダイエットは明日から精神。男女混合組の輪に入りそびれた伊角や本田と、ぼそぼそ名人戦についてお喋りした。いい感じに酒が入っている割に酔いきれず、テンションが低い。隣のテーブルは盛り上がっている。今日の試合は勝ったし、都内の女子大に通っているという彼女たちは可愛いし。
「…明らかに冴木さん狙いがほとんどだよなぁ…」
 見ていない素振りだった本田が肩をすくめた。


 二次会はカラオケにという話になった。ぞろぞろと店を出る。立って歩くと、急にアルコールが体を回った。
「おっと…」
 軽くよろめくと、赤い服の女の子が咄嗟に腕に触れた。
「大丈夫?」
「うん。あんまり飲んでないし」
 そのまま二人で少し話した。彼女と一番仲がいいらしいもう一人の女の子が、終始彼女の向こうで、大人しく微笑み相槌を打っていた。ピンク色だなあと思った。服の色だったのかもしれないが、ただのイメージかもしれない。思考回路は浮ついて、赤い彼女との会話の意味も、ろくに頭に入ってこない。
 夜なのに明るい。商店街を貫く狭い道は、左右に店の明かりが瞬き、呼び込みの店員の目が光る。不思議な空間だなあと思った。遅くなれば和谷のアパートに泊まればいいと思っている。帰らなくていい時間というのは、不思議に長い。暗いはずの光が余計に非日常を照らすようで、学生のはずの少女たちは誰一人門限や終電についての言葉を口に出さない。居酒屋からカラオケまでは、真っ直ぐの道をたった50メートルほどなのに、同じ方向へ歩く他のグループと混ざってしまって歩き辛い。
(みんな、働いてるの? 社会人なんだ、偉いね)
(偉くないよ。別に。俺なんか)
 こんなに霞がかった頭で、どうして会話が成立しているのかよく分からない。赤とピンクがふわふわと混ざりあう。
(進藤くん)
 甘ったるく、名前。名前。自分も彼女の名を呼んだのに、舌先から零れた途端薬局の明かりに攫われて記憶の彼方。それでも少女は笑うのだ。
(広島に旅行してきたの?)
 微笑み、呼吸し、音を紡ぐ柔らかい唇に、ぼんやり幼馴染を連想していた。
「違う」
 男の声が、不意にはっきりと耳に入った。驚いて立ち止まると、すぐ後ろを歩いていた見ず知らずのカップルが、迷惑そうに自分を避けた。
「忘れ物?」
「…ううん」
 ピンクのネイルを輝かせた、大人しい方の少女が首を傾げた。そう、服の色でもなくて見ていたのは指先だ。
「ちょっと、仕事思い出しただけ。広島にも、仕事で」
「偉いね」
「偉くないよ。俺よりエライやつを見に行ってただけだから」
 男の声は自分だった。友人たちと比べて遅い変声期ではあったけれど、それでもここ数年、ずっとこの低さに慣れてきたつもりだった、のに。
「ごめん、ちょっと」
 数メートル前の冴木まで小走りで追いつき、ここで抜ける旨を告げた。本田や伊角はすでに帰っている。
「え、進藤くん、帰るの?」
「うん、ちょっと。人と会うから」
「今から!?」
「うん。じゃあね」

 9月も中旬、まだまだ残暑厳しく、わずかな風も人波に遮られて、不快指数は抜群に高い。脇や背中に汗を感じながら駅へと急ぐ。野球、下手だけれど好きだし、女の子たちの会話も上手くないが好きだ。だけど酔い切れない指先が、ワークパンツのポケットの中で潰れた菓子に触れて笑った。
 ひしゃげた饅頭一つ、土産だと言って押しかけたら、どんな嫌がらせになるだろう。
 きっとあの家の台所にだって、同じように慌てて買った菓子折りが積まれているに違いないのだ。